公開日:2024年8月29日

北原恵×FAQ?(谷川果菜絵、小宮りさ麻吏奈)座談会:アートにおけるフェミニズム・ジェンダー・クィアの20年【Tokyo Art Beat 20周年特集】

Tokyo Art Beat設立20周年を記念する特集シリーズ。表象文化論、美術史、ジェンダー研究の北原恵(大阪大学名誉教授)と、アートプラットフォーム「FAQ?」の発起人である谷川果菜絵(MES)、小宮りさ麻吏奈の座談会をお届け(聞き手:福島夏子[編集部]、構成:後藤美波[編集部])

左から、小宮りさ麻吏奈、北原恵(オンライン参加)、谷川果菜絵 撮影:雨宮章

Tokyo Art Beat設立20周年を記念する特集シリーズ。「これまでの20年 これからの20年」と題して、6つのテーマで日本のアートシーンの過去・現在・未来を語る。

第3弾は、日本のアートシーンや美術史におけるフェミニズム・ジェンダー・クィアがテーマ。ジェンダー視点による表象文化論、美術史の研究を牽引してきた北原恵(大阪大学名誉教授)と、交換日記を中心に活動するアート・プラットフォーム「FAQ?」の発起人である谷川果菜絵(MES)小宮りさ麻吏奈の座談会をお届けする。

Tokyo Art BeatのYouTubeチャンネルにて動画も公開中。

*特集「TABの20年、アートシーンの20年」ほかの記事はこちらから

日本における「アートとフェミニズム」の変遷

 ——まずこれまでの日本のアートシーンで、フェミニズムやジェンダーというテーマがどのように扱われてきたのか、その変遷を北原さんの視点からお話しいただけますでしょうか。

北原:美術史研究のなかでジェンダーやフェミニズムが意識され始めたのは遅かったんです。1970年代頃から「フェミニズムアート」「フェミニストアート」という言葉が登場しますが、1980年代頃は女性学やフェミニズムの研究者で美術に関心のある人たちが主にそうした議論を担ってきました。たとえば、京都精華大学の藤枝澪子さんには私もすごく影響を受けました。

美術史のアカデミズムのなかで研究が行われるようになったのは1990年代半ばになってからです。若桑みどりさんや千野香織さんといった研究者たちが学会でジェンダーの視点の重要性を訴えたり、戦争画に関する研究のタブーがなくなってきたのも同時期でした。私も若桑さんや千野さんとイメージ&ジェンダー研究会の発足に関わりました。キュレーターも育ってきて、笠原美智子さんや小勝禮子さんなどがジェンダーの視点で次々と公立美術館で展覧会を開催しました。

北原恵

いっぽうでそれを面白く思わない男性の研究者や批評家たちによるバッシングから97〜98年にジェンダー論争がおきました。批判者の主な主張は「ジェンダーというアメリカから輸入された借物の考えは日本に馴染まない」というもので、標的になったのが日本軍「慰安婦」のことを描いた作品などでした。

2000年代以降はアーティストの意識や作品も変化しました。「身体」はそれ以前から重要なテーマでしたが、この頃から生殖技術やバイオ技術、自らが体験した不妊治療などをテーマにした作品が登場します。またマスメディアで表象される女性の身体も変わりました。たとえば2010年代には、写真・表象研究者の小林美香さんがメディアにおけるマタニティ・フォトの増加を指摘しましたし、テレビで活躍する女性のサッカー選手の姿は、多くの人の女性身体に関する認識に影響を与えたと思います。

同時に、身体の表象をめぐる検閲もひどくなっていきました。2012年に森美術館で開催された「会田誠展:天才でごめんなさい」では四肢切断の少女像を描いた「犬」に対して撤去を求める抗議が起きました。2014年には愛知県美術館で展示された鷹野隆大さんによるヌード写真(「おれと」シリーズ)が警察から撤去か展示中止を求められ、ろくでなしこさんが自分の性器をデータ化した作品を頒布したことで逮捕されました。

アートへの検閲としては、さらに「あいちトリエンナーレ2019」や、飯山由貴さんの《In-Mates》に対する検閲などへとつながっていきます。

身体のほかに2010年代以降の特徴として、戦争に関する作品の変化があります。たとえば祖父母の戦争体験を追体験するような作品や、歴史資料や日記、絵葉書などを収集するなど「記憶」に注目する作品が増えました。背景には2011年の東日本大震災があり、政治的な状況や歴史に対して何ができるのか、アーティストが一度立ち止まって考えるようになったことが大きいのではないかと考えています。

ブブ・ド・ラ・マドレーヌ+嶋田美子 《1945》 1998 © BuBu de la Madeleine. © Yoshiko Shimada. Courtesy of Ota Fine Arts

 その発展として、ナショナリズムやポストコロニアリズム、ディアスポラなどの視点から、戦争に再注目する動きも重要です。70年代、80年代から植民地の問題を作品にしていた富山妙子さんがいたり、90年代には嶋田美子さんやブブ・ド・ラ・マドレーヌさんなどによる先駆的な表現はありましたが、最近はまた違うアプローチの表現が出てきている。沖縄をテーマに制作を続ける石川真生さんや山城知佳子さんの作品にも注目しています。

またアーティストや研究者が協働する動きとして、90年代からイメージ&ジェンダー研究会のほかイトー・ターリさんを中心に作られたWAN(ウィメンズアートネットワーク)などがありましたが、2010年代になると新しい世代のグループがどんどん出てきた。明日少女隊や、マルスピ(Multiple Spirits)Timeline Project闘う糸の会などです。表現の現場調査団のようないまの問題をデータ化して実践的に担うような人たちが出てきているのも素晴らしいことだと思っています。

長くなってしまいましたが、フェミニズムアートと言われるものは単線的に進化してきたわけでなく様々な展開をたどってきました。大阪大学の「日本学報」に1930年代頃から戦後の状況を書いた「試論:「フェミニズムとアート」の歴史:戦後日本で 何が起こったか」があるので、そちらもご覧いただければと思います。 

FAQ?ふたりの出発点

 ——ありがとうございます。FAQ?のおふたりは、どのようにアートに興味を持ち、現在のジェンダーやフェミニズム、クィアといったテーマと自分の表現の関わりを考え始めたのでしょうか。

小宮:小さい頃から絵を描くのが好きでしたが、アーティストとして作品を作り始めたのは学校教育の影響があります。中学から女子美術大学の附属校に通っていて、そのまま大学に進学し油絵科を出ました。

クィアやフェミニズム、ジェンダーにまつわる問題への関心としては、小さい頃から、なんで男と女ってこうなっているんだろうとか、結婚ってすごく変だなとか、日常生活のなかで常に違和感を感じていました。大学の油絵科、女子美だと「洋画科」と呼んでいて、その名の通り西洋美術を勉強したのですが、しっくりこなさすぎて続けられないなって思ったんですよね。西洋中心主義で、男性作家ばかりが有名で、その歴史の中で自分が表現することにすごく違和感があったんです。私の表現形態は、インスタレーションやパフォーマンス、マンガなどメディアを横断しているのですが、油絵の外側を模索していくうちに様々なメディアと出会いました。ひとりの人間がセクシュアリティやナショナリティなどのグラデーションの中で流動性を帯びた多面的な存在であるということと、メディアを限定しない多面性が自分のなかで重なってしっくりくるなと思っていまに至ります。

小宮りさ麻吏奈「機械化する種 ep.01」展示風景 Photo:Ujin Matsuo
小宮りさ麻吏奈「Invasive Ale」展示風景

谷川:私は普段、アーティストとしてはMESというデュオで活動しています。高校生で北海道から東京に出てきたのですが、高校の現国の先生が教科書を使わず、雑誌や映画を見せてジェンダー表象を分析するような授業をする人で、私が進路に悩んでいたときに美術館を教えてくれたり、北原さんの著書『アート・アクティヴィズム』(インパクト出版会、1999)をくれたりしたことがきっかけで、本格的に美術を学ぼうと思い始めました。なので、『アート・アクティヴィズム』が初めて読んだ美術に関する本です。

その後、浪人して東京藝術大学に入るんですが、最初は制作ではなく研究のほうを志していました。でも在学中、『アート・アクティヴィズム』を超える面白い授業や本に出会えなかった。あの本に出会った衝撃が自分のなかではすごく大きくて。そうしているうちに、展覧会を作ったり、周りの人たちと何かしたいなと思うようになり、グループ展を行ったことでMESが始まりました。

MES CEASEFIRE 2023

MESを一緒にやっている新井健がVJに誘われたことでクラブシーンとのつながりもできていくのですが、そこで一緒に遊んでいた人たちがクィアの人たちにとってのセーフスペースづくりなど、新しい動きを作ろうとしていたこともあり、インターセクショナルに現場で起きていることを考えていく土壌になったと思います。クラブカルチャーもアートも、クィアのコンテクストあるいは迫害されていた人たちがスクウォットすることでできた歴史だと思ってるので、そういったものを実感する時間があったことがいまの作品につながっています。

MES サルベージ・クラブ 2024 「スピルオーバー#1 陸路」(BUG) 撮影:守屋友樹

 「政治的なアート」の語られ方

 ——谷川さんにも大きな影響を与えた北原さんの『アート・アクティヴィズム』ですが、これはどのようにスタートしたのでしょうか?

北原:『アート・アクティヴィズム』は、私が90年代の半ばから連載しているシリーズのタイトルで、もう30年くらい書き続けています。最初は『インパクション』という雑誌で書いていたのですが、雑誌が休刊になり、その後はピープルズ・プラン(PP研)が誘ってくれて、そちらで書きました。それも廃刊したので、昨年から『エトセトラ』で書かせてもらっています。

北原恵 『アート・アクティヴィズム』『攪乱分子@境界: アート・アクティヴィズム2』(インパクト出版会、1999)

——『アート・アクティヴィズム』はどういった動きを対象にしているのでしょうか?

北原:よく聞かれる質問なんですけど、あえて定義しないようにしています。なぜかというと、アート・アクティヴィズムをすごく狭義に「政治的なアート」ととらえる人が多いからなんですね。私はもっと流動的な、いろいろなアートを食い破って、アクティヴィズムそのものを変えていくようなものに関心があるので、狭義の意味に限定されないよう、定義はしないようにしてます。

谷川:「政治的なアート」という枠にとどめたくないということは、いまのアートシーンにおいては大きなテーマだと思います。「政治的」という言葉がアートシーンの分水嶺になってる気がしていて。アーティストだからこそできることがあり、いっぽうで群衆のひとりとしてプロテストや運動に関わっていくことも大事で、使い分けていきたいということを最近感じていました。

小宮:私もどちらも使い分けつつ、時には領域横断も有効なのかなって思います。それこそ最近、国立西洋美術館で行われた飯山由貴さんや「展覧会出品作家有志を中心とする市民」によるプロテスト(詳細)に対しての、「あれは美術とは言えない」「美術館でやることじゃない」といった手法に対する批判に違和感があって。手法などで美術を固定化するのではなくて、横断的に、その場面で必要なやり方を選択していけたらいいと思っています。

北原:「政治的なアート」って言われる場合、どうしても批評家も自分の言いたいことが先走っちゃっている人が多い。ほかの作品を持ってきても同じことが言えるでしょう、みたいな。そうじゃなくて、私は作品そのものから出発するということをずっとやりたいなと思っています。

——谷川さんは『アート・アクティヴィズム』で紹介されたなかで、印象的だった作家はいますか?

谷川:読む時期によって見え方も変わるのですが、最初は海外の作家がかっこいいなと思って。それから日本の作家はいるのかなと読んでいって、ダムタイプとブブさん、嶋田美子さん、あとはイトー・ターリさんの作品にすごく惹かれました。当時ターリさんの作品を見られるところがなかったので、ウェブサイトにあった電話番号にかけたらご本人がアーカイブを売ってくださったんです。そのDVDを持っていたこともFAQ?につながります。北原さんの取り上げた作家を追いかけていくことが、ライフワークになっているようなところもあって、読み直すたびに発見があります。

イトー・ターリ 自画像 1996 「第3回日本国際パフォーマンスフェスティバル(NIPAF)」でのパフォーマンス風景 撮影:芝田文乃

 「交換日記」の可能性

 ——FAQ?はどのように結成されたのでしょうか。

小宮:FAQ?はいま2人でやってるんですけど、メインのプラットフォームとしては、交換日記から始まって、そこから派生してイベントやトーク、ZINEの発行、過去の作家についてのリサーチやアーカイブなど領域横断的に活動しています。

対面でのコミュニティを築きにくかったコロナ禍に始めたのですが、直接的なきっかけは、展覧会の女性作家と男性作家の割合を半々にするという試みが出てきたことです。強制的にでも女性作家の割合を上げないといまの状況が続くことは容易に想像できるので、試み自体はすごく重要だと思うのですが、同時に、作家を女性や男性というラベルでくくって展覧会に呼ぶということに、少なくとも私は違和感があったんです。自分が「女性作家」というカテゴリーで展覧会に呼ばれてリストアップされると思うとすごく抵抗感がありました。それを谷川さんと話していて、重要な動きだから水を差したいわけではないけど、違和感を持っていることは表明したい、でもSNSで発信することには少し恐怖感があったので別の方法を模索しました。

やっぱり何らかの形で発信しないと、この動きに違和感を抱いた人たちの声が残らないんじゃないかと思ったんです。未来のアーティストがそのことに違和感を抱き、クィアな存在の美術史みたいなものを編んでいくときに、連なれる先として過去にも同じ違和感を持った人たちがいたことを残しておきたかった。FAQ?のQはクィアだけでなくいまの歴史や規範に違和感を持って問い続ける、クエスチョニングという意味も持たせたくて、?をつけました。交換日記の案は谷川さんが出してくれたっけ?

FAQ? 交換日記 https://www.faq-circle.com

谷川:そうだったかな。美術館で行われる画家の個展などで往復書簡が置いてあることがありますが、それがちょっと権威付けのようなところもあると思って。でも手紙や日記を公開するということは、すごくプライベートな身体に近い部分を公開するようなことである気もして、ぐるぐる回る交換日記をやったらどうかなと。

小宮:交換日記って昨日のご飯とか、ハマっているアイドルのこととか、結構どうでもいいことをみんな書くんですよね。そういう些細なことを含めて自分がいま考えていることをシェアできるってすごく良い。ある種、「個人的なことは政治的なこと」を体現できるメディアなんじゃないかなと思いました。

FAQ? ZINE 「陸路(スピルオーバー#1)」展示風景 Photo:Yuki Moriya

違和感を言葉にして残すこと

——FAQ?はZINEも出していますが、vol.1のタイトルは「性、生、そして抵抗」でした。

小宮:FAQ?の活動で、数年前に中絶の権利について話すイベントをやったんです。そのとき私はアメリカにいたのですが、女性の中絶の権利を認めた50年前のロー対ウェイド判決がひっくり返った瞬間で、各地でデモが起きていました。中絶の権利って個人的には当然の権利だと思っていて、それがひっくり返る可能性があるんだということに衝撃を受けて。日々のなかで抵抗して、過去の出来事も批判して風化しないようにしていかないと、あるとき簡単にひっくり返されてしまう。だから自分たちの目で過去に起きたことを確かめて語っていく必要があるんじゃないかと思って、「性、生、そして抵抗」というタイトルにして、関連するテーマを持って活動していると思う方々に声をかけて制作しました。

FAQ? ZINE 「陸路(スピルオーバー#1)」インスタレーションビュー Photo by : Yuki Moriya

北原:私もFAQ?のZINEを送っていただきましたが、本当に面白かったです。先ほど小宮さんが「違和感の表明」とおっしゃっていましたが、『アート・アクティヴィズム』が始まったのも、運動のなかでの違和感の表明だったんです。

きっかけは、1980年代に富山県立近代美術館で、《遠近を抱えて》という大浦信行さんの版画作品を巡って、女性の裸と天皇が同一画面にあることが不敬だ、と検閲された事件でした。当然その検閲に対して反対運動があったのですが、検閲に反対する人たちは「女性の裸と天皇が同一画面にあるからこそ革命的な作品なんだ」というようなことを言っていて。私は不敬か革命的かというのは、どちらも女の裸が汚らわしいということを前提にした考えで、同じ論理をもとにしたコインの裏表だと思ったんです。そのことを書いて検閲の反対運動の方に勝手に送りつけたら、運動体の方が出していた『越中の声』に載せてくださって、そこから論争が始まりました。

『越中の声』

でも論争をやっていても全然埒が明かなくて。こんなやり方ではダメだと思って、そのやりとりのなかでゲリラ・ガールズを紹介したんです。それが『インパクション』の編集長の目に止まり、『アート・アクティヴィズム』の連載につながりました。運動体のなかでの違和感を言葉にして残すというのはすごく大事。

ただ、それをどんなメディアでやるかは本当に難しいですよね。SNSでは言えないけど、ZINEで言えたというのは私と同じだなと思ったんですよ。『インパクション』もある程度変なバッシングを受けずに済む、安心して書けるメディアでした。

「ゲリラ・ガールズ展 『F』ワードの再解釈:フェミニズム !」(渋谷パルコ、2023) 撮影:編集部 ゲリラ・ガールズは1985年にニューヨークで誕生した匿名のアクティヴィスト集団。ゴリラのマスクを被り、アートにおけるジェンダー不平等を批判する作品などを発表。写真の「メット(メトロポリタン美術館)に入るには、女性は裸にならねばならないの?」は有名

谷川:共通しているところがあって嬉しいです。いまZINEのシーンはすごく盛り上がっています。クィアやフェミニズムについてのZINEも多いですが、それはやはり発表する場所がないということもありますし、読んでほしい人にだけ届けたいということもあると思います。

いっぽうで一般流通する本として残ることも私はすごく大事だなと思っていて。この前、北原さんの『アジアの女性身体はいかに描かれたか』を定価より少し高い値段で買ったんですけど、中嶋泉さんの『アンチ・アクション』や足立元さんの大正時代のアナキズムの本(2023年に復刊しました)、ベル・フックスの『アート・オン・マイ・マインド』など大事な研究書がほとんど重版されていなくて高価になっていることも気になっています。この5年、10年で、フェミニズムやクィアの理論書などの出版が増えましたが、歴史を変えていく抵抗の力を持つ研究書が、新しい世代に届いていかないのではないかという危機感があります。

 また、海外のクィアをテーマにした展覧会でよく引用されるホセ・エステバン・ムニョス『クルージング・ユートピア』などは、出版されてから長い時間が経っているのに日本語としてほとんど翻訳されてきていません。

家父長制と帝国主義は避けて通れない問題

——紙のメディアというところでは、小宮さんはマンガ『線場のひと』 (リイド社、2024)を出版されています。

小宮りさ麻吏奈『線場のひと』(リイド社、2024)

小宮:『線場のひと』は、戦中戦後の存在していたであろうクィアな人たち、ナショナリティやセクシュアリティなどのあわいにいるようなアイデンティティを持った人たちの存在を、過去のなかに見出して物語るという作品です。4月に『布団の中から蜂起せよ』の高島鈴さんをお呼びして出版記念トークをした際にも、物理的に残っていく本というメディアの重要性が話題にあがりました。

過去に生きたクィアの人たちは、当時は発信するメディアもないし、抑圧を受けるなかで何かを残すことが難しかったと思うので、いま自分がそういうメディアを持ちうる以上、残していきたいと思っています。

北原:『線場のひと』の表紙は、小宮さんが制作された映画《繁殖する庭》のイメージショットで使われているウェディングドレスの2人のイメージと似ていますね。《繁殖する庭》ほうも非常に面白かったです。

小宮りさ麻吏奈 映画『繁殖する庭』ポスターヴィジュアル

小宮:ありがとうございます。『線場のひと』と《繁殖する庭》はどちらも同性婚式を想起させるようなイメージを用いています。いまだ解決してない問題として、日本だと同性婚ができないということがあって、それを辿るといろいろなことにつながっていきます。とくに家父長制と帝国主義はこの国の根幹に横たわっていて、ジェンダーについて考えるうえで避けては通れない問題です。それを戦後日本が清算しないで放置してきたこと、そのうえで歴史修正主義的な動きが台頭していることを踏まえると、自分たちが実際に体験したことではなくても、風化しないように問いを投げかけていく必要があるという問題意識はあります。

谷川:北原さんの問題意識のなかにも、もともとナショナリズムや植民地主義などに関するグローバルな視点が含まれていて、『アート・アクティヴィズム』でもたくさんの作家が取り上げられていますが、いまあらためて見直してみたい作家はいらっしゃいますか?

北原:どの人を見直したいかはすぐ出てこないんですが、ただ、同時代の記録として書いていくということはすごく大事で。きっちりしたかたちで重要な仕事をしてこられた方にインタビューしていくことも大事だけれども、若い人で、世間ではそんなに評価されていないけど面白いなって思うような人について、同時代の記録として書いてきたのが『アート・アクティヴィズム』なんです。そういう仕事は、もっといろんな人がやっていったらいいなと思います。

FAQ?が上映プログラムディレクターを務めた「熟睡、東京編 Sound Sleep in Tokyo, daydream」(The Fifth Floor、2022)上映風景 作品:『繁殖する庭』

富山妙子の絵を「読む」

——見直しというところでは、富山妙子さんが今年の「第8回横浜トリエンナーレ」で取り上げられました。FAQ?も富山さんの絵を読む「読絵会」を行った記録がZINEに載っています。

富山妙子『アジアを抱く: 画家人生 記憶と夢』(岩波書店、2009)

小宮:富山さんが満州で育って日本に帰ってきて、炭鉱や「慰安婦」や、いろいろな場所で差別されてきた人の声をインディペンデントに取り上げてきたというのはすごいことで。ちゃんと学び直したいなと思って、FAQ?で取り上げることにしました。

谷川:偶然、今年の「第8回横浜トリエンナーレ」で展示される機会と重なりましたが、現在進行形の場所に行けなくても、過去のカタログや書籍をみんなでよく見て、「こういうものが描かれている」という表象の「絵解き」みたいなことができたらいいんじゃないかって思ったんです。それで読書会ならぬ「読絵会」として、富山さんの作品を見ながら、鄭梨絵さんと長谷川新さんと我々とで話をしました。

北原:富山妙子さんの絵解きってすごく大事だし、アーティスト自身がやるのは意味があると思います。富山さんを語るときに、作品そのものの図像分析はいままですごく弱かったんですね。どうしてもその背景にある政治的な問題についての言説が多かった。私はそれではアカンと思っていて、富山妙子研究でも、どうしてこういうイメージになったか、とかをもっとやる必要があると思っています。

「越境する女たち21」展を手がけたイトー・ターリの言葉

——FAQ?のお2人は、先行世代の作家とご自身たちとの違いについてはどう見てらっしゃいますか。

小宮:先行世代との比較というより、震災以降みたいなことになってしまうのですが、私は大学に入ったのが2011年だったんです。だから、自分が大学で作品制作を始めるときに東日本大震災を避けては何も考えられないし、語れなかったんですよね。(谷川さんも)同じ年に入学していて、私と近しい世代の人たちは表現のベースにつねに震災があったのかなと思います。

個人的には震災以降、自分に表現者として何ができるのかを模索したことがすごく重要だった気がします。2010年前後からの第4波フェミニズムと言われる流れと、震災を通して表現について考えていたことが、複雑性や交差性を保ったままつながっていたんじゃないかなって。少し離れた出来事のなかでも自分が当事者性のグラデーションを持ってるという気づきもありました。

谷川:震災の時に、水戸芸術館 現代美術ギャラリーで「クワイエット・アテンションズ 彼女からの出発」展という、女性作家やフェミニズムをテーマにした展覧会が中止になりましたが、私は当時まだ学生だったこともあり、そのことで展覧会などにおけるフェミニズムというテーマが、震災っていう大きい枠組みにシフトして、忘れられちゃったのかなという気持ちにもなりました。震災によってアーティストやキュレーターが取り上げるメインテーマが少しずれた感じがするんです。

北原:フェミニズム展というところで言うと、イトー・ターリさんが2001年に「越境する女たち21」っていう展覧会をされたんですね。そのときに、女って誰なのか、出品できるのはどういう資格を持った人なのかという問いが出た。それで展覧会が終わった後にターリさんはWANを抜けて、結局解散します。

そのときにターリさんがおっしゃっていたのは、「越境する女たち」という展覧会、あのようなかたちの女性アーティストの展覧会というのは、一回やればいいんだと。女の展覧会といういままで可視化されなかった、あるいはネットワークを作れなかったものを一気に作った。しかもキュレーターを置かず、美術制度に対しても批判的な展覧会を自分たちの力だけでやったわけですよね。ターリさんはその後、すぐにパフスペースを作ったり、レズビアンのコミュニティのつながりをサポートするほうにシフトされていきますが、多分ターリさんは先のことをわかっていたのかなって思うんです。だからもしかしたら震災後に偶然フェミニズムの展覧会の位相が変わったように見えたのかもしれないけど、それは必然的だったような気がします。

『ドキュメント越境する女たち21展』

谷川:フェミニズムやクィアの歴史をリサーチしていても、やっぱり一枚岩ではまったくないなとは思います。フェミニズムを謳っている展覧会があっても、トランスフォビアがないか、レイシズムがないかとかが気になりますし、展覧会の記号的なフェミニズムやクィアという言葉に対しても、一気に乗れないというか。いろんなイシューがすごく絡まっているのが可視化されてきているから、息苦しさもあるけど、そこで逆に新しいものができそうな感覚もあります。

「いま」を無視して作品を作ることはできない

——震災後の変化を経て、2020年代はフェミニズムやジェンダーの視点を打ち出した展覧会が公立美術館を含めかなり増えたと思います。ジェンダーやクィアに関する問題意識を表明する若手のアーティストも目立つようになりました。そうした作家や研究者はジェンダーだけでなくインターセクショナルに様々な問題へと接続し、ウクライナやイスラエルとガザの問題に反応していることも多い。先日のMESのパフォーマンス「祈り/戯れ/被虐的な、行為」も、ガザにおける虐殺に対し「CEASE」と停戦を訴えるものでしたね。いま起きている戦争など、大きな政治的問題に反応するのは難しさもあると思うのですが、そのあたりはいかがですか。

MES WAX P-L/R-A/E-Y 2024 MES個展「祈り/戯れ/被虐的な、行為 P-L/R-A/E-Y」(CON_) 撮影:竹久直樹
MES WAX P-L/R-A/E-Y 2024 MES個展「祈り/戯れ/被虐的な、行為 P-L/R-A/E-Y」(CON_) 撮影:竹久直樹

谷川:さっき北原さんが『アート・アクティヴィズム』の執筆に関して、同時代的に記録していくことが大事だって話をされていましたが、作品の制作態度としては、いまの時代に起きていることを無視することはできないと思っています。自分が身体で得ている情報をシャットダウンして何か違うことをやるということは、自分たちにはできない。でも何かをやるにあたってその責任を少しでも自分が持つならば、やはり歴史を知ることは必須の作業かなと思います。

小宮:そうですね。自分の制作としては、最初は自分が女性作家として認識されることにすごく抵抗があったので、性別を感じさせない作品を作りたいと思っていました。身体みたいなものから逃げた先の、人間を超越するような作品を模索してた部分があって。でもなんかそれってあんまり意味ないなって途中で気づいたんですよね。自分が逃げたい苦しさはやはりいまの政治的な状況によって形作られているから、それを批判して変えていかないと、一生解放されないんだって。

それで、いまの状況に反応し、抵抗する作品を作ることが自分には必要だと思うようになりました。クィア的な思想を持って生きることは、どうしても抵抗の連続のなかで生きるということなので、いまはそういった問題に反応することから逃げることはできないと考えています。

小宮りさ麻吏奈 Invasive Ale

これからの20年に向けて

 ——では、今後20年でやりたいことや展望を教えてください。

北原:私はもう『アート・アクティヴィズム』をとにかく死ぬまで書きたい。同時代の記録としてずっと書き続けたい。それだけです。

谷川:すごいです。かっこよすぎ。

私は20年というと想像がつかないのですが、イメージとしてはでっかい川があって、その中にあるでっっかい石をちょっとずつ動かすような作業を、これまでの研究者やアーティストがしてきたと思っていて、そのひとつとして、ちょっとでも石を動かせたらいいなっていうのはあります。川の流れを少し変えるというか。

『美術手帖』で福島さんが担当した「女性たちの美術史」特集(2021)があって、そこで北原さんがターリさんのテキストを書かれていて、嬉しい気持ちと、これが1回で終わってはいけないとも思いました。北原さんから見たターリさんの一部をテキストとして発表してくれたことに対して、別のアプローチとして作品を見返す機会を作れないかなとはすごく思っていますね。フェミニスト・クィア・ライブラリーみたいなものも作ってみたいし、やりたいことはたくさんあります。

小宮:FAQ?としては、いまもやっているように、リニアな歴史じゃなくて、ノンリニアな歴史として、クイアやフェミニズムに関心のあるアーティストのネットワークを作っていきたいです。

個人的な興味としては培養肉というテーマがあります。もともと細胞培養にまつわる生政治みたいなことに関心があったのですが、次の大阪万博のメインのひとつが培養肉らしくて。細胞培養技術の向上は、そのまま生殖技術にも直結し、倫理的な問題にも発展していくんじゃないかなと考えているので、そのあたりをリサーチしていきたいです。

北原:これまでとこれからの20年ということで言うと、私が最近ずっと考えているのが、クリスチャン・ディオールが2018年の春夏コレクションで、リンダ・ノックリンの1971年の論文のタイトル「Why Have There Been No Great Women Artists?(なぜ偉大な女性芸術家はいなかったのか?)」と書かれたTシャツを発表したことについてです。美術史をフェミニズムの視点から考える出発点になったと言われる論文ですが、それがなぜディオールのTシャツに付いたのか。これは大量生産・大量消費のフォーディズムの時代であった1970年代には絶対作られなかった、新自由主義時代のいまだからこそ出てきたものだと思っています。

アーティストが美術館と企画のたびに契約したりする個人化された労働形態、作品の消費システム、それから一部の花形キュレーターが華々しい活躍をして、それがメディアで報じられ、多くの人が憧れる。これはポスト・フォーディズム、つまりいまの新自由主義時代においては理想化された自己実現のモデルでもあると思うんですよ。非常に個人化されていて、知的でおしゃれでやりがいがあるとなったら、みんな憧れるじゃないですか。でも、ここがすごく怪しくて。

アーティストにおける従来型の男性天才画家の理想像はいまでも生きていますが、同時にこういう新しいファッショナブルなフェミニズムが混ざったモデルもいまは求められる。だからこそ売れる。そのような資本主義との親和性には気をつけたほうがいいなって思ってます。

いっぽうで、アーティストが個人契約で消費されていくとすれば、戦うときも従来型の労働組合とは違うところで個人として発信したり、ユニオンを作ったりできるかもしれないので、そこには同時に希望も持っています。これは今後20年、あるいはこれまでの20年に関連してみんなで一緒に考えたいことかなと思いました。

これからのアートメディアに望むこと

——ありがとうございます。では最後に、これからのアートメディアに望むことを教えてください。

北原:ネットが普及して、Tokyo Art Beatをはじめ、いろんなものが出てきたおかげで、いままで男性に独占されていた美術雑誌の構造的な変化が起こっているのかなって思います。締め出されていた女性の書き手がいっぱい書けるようになったし、女性だけでなくて、クィアな視点など多様なものがどんどん書けるようになってきたのはすごく良かったなって思います。

もうひとつ、さっきから話に出ていた、物としてのメディアというのはやはりすごく大事だと思っていて。『アート・アクティヴィズム』を連載していた雑誌がなくなったときに、ネットでやらないかという声ももらったんですね。ただネットでは、現段階では物が残っていかない。数年は検索できるかもしれないけれど、20年後、30年後にはおそらく残らないだろうと思ったときに、私は残ることにすごく執着したんです。いまネットに美術批評の素晴らしい記事がいっぱいあるけれど、この先20年で残っていくんだろうかということも気になります。

谷川:Tokyo Art Beatにはハッシュタグがあって、#クィアっていうタグを押したら、近藤銀河さんの女性同性愛美術史の記事齋木優城さんのプライドマンスに行われるテートブリテンでの「QUEER AND NOW」の記事とかが読めるんですよね。書き手の世代も新しく、クィアのトピックはこれからもっと増えていったら良いですね。

でも今回の鼎談は「フェミニズム・ジェンダー・クィアの20年」というテーマですけど、ほかのトピックでもクィアやフェミニズムっていうものは含まれていると思っていて。クィアとかフェミニズムっていうタイトルがついてなくても、クィアリングしていったり、フェミニズムとして読解したりっていうものがいっぱい出てくると面白いのかなって思います。

小宮:メディアとしてはTokyo Art Beatがすでに掲げている、中立であり、網羅的であるということはやはり重要かなと思うのでそれはこれからも望みつつ、同時にその「中立」が何を指すのかっていうのは、メディア全体として自覚的であってほしいと思っています。「中立」を保つことが、権力側によって都合のいい状態を再生産することにつながるというのは往々にしてありますよね。『Artforum』の編集長が、パレスチナ解放と停戦を求めるオープンレター公開して解雇されたり、『ドクメンタ』でも芸術監督が圧力を受けて辞任するとか、権力による検閲とも取れるようなことは世界中で起きています。インディペンデントの状態を保つことはすごく難しくて容易に脅かされうることだと思うんですけど、だからこそ真に中立であるメディアが必要なのかなと思います。

——今日はどうもありがとうございました!

左から、小宮りさ麻吏奈、北原恵(オンライン参加)、谷川果菜絵 撮影:雨宮章

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北原恵(きたはら・めぐみ) 
大阪大学名誉教授。東京大学大学院・総合文化研究科・表象文化論博士修了、学術博士。2001〜08年甲南大学教員、2008〜21年大阪大学教員。専門は、表象文化論、美術史、ジェンダー研究。主な著作・編著に、『アート・アクティヴィズム』『攪乱分子@境界』(インパクト出版会)、『アジアの女性身体はいかに描かれたか』(編著、青弓社、2013)他。1994年に『インパクション』で始まった社会と美術、視覚表象を論じる「アート・アクティヴィズム」を、現在『エトセトラ』で連載中。ジェンダーや人種、ポストコロニアルの視点から、美術など視覚表象を研究するHP、「Art Activism: 視覚文化 / ジェンダー研究(Visual Culture / Gender Studies)」を主宰。

谷川果菜絵(たにかわ・かなえ)
アーティスト、野良研究者。FAQ?の発起人。NEON BOOK CLUBの運営メンバー。芸術学を学び演劇経験ののち、2015年から新井健とアーティストデュオMESとして活動。
MESは、既存のフレームでとらえきれない果てしない煩雑さであり、自分たちの身体を熱源ととらえ熱や光を通して世界と反応しあい、時代の体温を測るマルチメディアなインスタレーションやパフォーマンスを展開してきた。主な作品に《DISTANCE OF RESISTANCE/抵抗の距離》《サイ/SA-I》《サルベージ・クラブ》《WAX P-L/R-A/E-Y》がある。現在までレーザーVJとしても活躍し、パーティー「REVOLIC -revolution holic / 革命中毒-」などのイベントオーガナイズを行っている。

小宮りさ麻吏奈(こみや・りさ・まりな)
アーティスト/アーター。FAQ?の発起人。自身の身体を起点とし、クィア的視座から浮かび上がる新たな時間論への関心から「新しい生殖・繁殖の方法を模索する」ことをテーマにパフォーマンスや映像、 場所の運営などメディアにとらわれず活動している。近年の主なプロジェクトに「小宮花店」「野方の空白」など。共同プロジェクトに制度における同性婚不可と建築法の問題を重ね合わせ、再建築不可の土地に庭をつくるプロジェクト「繁殖する庭」の運営など。マンガ家としても活動し、『線場のひと』を『トーチ』で連載中。

FAQ?
F...figure, feminism, feeling…?
A...art, alternative, affimative…?
Q...queer, questioning, qualia…?

その周辺、その時の関心や疑問をトピックとした記述を書き綴る、エッセイのようなコラムのような、とりとめもない交換日記から始めるネットワーク。 谷川果菜絵(MES、NEON BOOK CLUB)と小宮りさ麻吏奈によって2021年に始動。 交換日記のほか、イベントや企画なども行う。 

福島夏子(編集部)

福島夏子(編集部)

「Tokyo Art Beat」編集長。『ROCKIN'ON JAPAN』や『美術手帖』編集部を経て、2021年10月より「Tokyo Art Beat」編集部で勤務。2024年5月より現職。