——嶋田美子さんの個展「おまえが決めるな!」がじつに21年ぶりの開催、しかも中ピ連(中絶禁止法に反対しピル解禁を要求する女性解放連合)がテーマとあって、これはぜひ取材をしたいと思いました。そこで、嶋田さんが取り組んでこられたフェミニズム・アートや、表現規制の問題、アーカイヴといったテーマについて、同じように問題意識を持ちながら独自の方法で活動しているアーティストと一緒にお話をできたらと思い、今回はMultiple Spirits(マルスピ)の遠藤麻衣さんと丸山美佳さんにお越しいただきました。
マルスピのおふたりが関わっている「紙魚プロジェクト」も、いま(取材:4月21日)神保町のPARAで「月を読む:遠近のアーカイブ」という展覧会を開催していて、こちらも面白かったです。丸山さんと嶋田さんはもともとお知り合いだったようですね。
丸山 初めてお会いしたのは2019年ですね。
嶋田 オーストリアのウィーンで開かれた展覧会「ジャパン・アンリミテッド」に、ブブ・ド・ラ・マドレーヌ&嶋田美子の作品が出品されて(そこでウィーン在住の)丸山さんと知り合いました。私が会場でレクチャーをしたときに非常に的確な質問をしていただいたり、その後ディナーも一緒に行きました。
この展覧会はもともと日本とオーストリア両国の友好150周年事業だったから、ディナーには在オーストリア大使館の文化担当の人もいて、とても良い会でした。でも私が次の日に東京に帰ったあと、日本大使館がこの展覧会に対して事業の認定を取り消した、ということがあって。私や会田誠さん、Chim↑Pomなども参加していて、その作品の内容について匿名の人々や日本の国会議員が外務省に問い合わせしていたことが報道されました。
丸山 その直前に「あいちトリエンナーレ2019」で企画展「表現の不自由展・その後」が問題視されたこともあり、それが波及した状況が続いていましたね。
——「表現の不自由展」や検閲の問題については、嶋田さんが展覧会とほぼ同時に刊行された新刊『おまえが決めるな!東大で留学生が学ぶ《反=道徳》フェミニズム講義』(白順社)でも論じられていますね。また、紙魚プロジェクトが展覧会で発売した遠藤さんの書籍『Scraps of Defending Reanimated Marilyn』も、表現の自由や規制に関わる内容です。
こうしたはなしにはまたあとで触れるとして、まずは嶋田さんの今回の展覧会についてお聞きできますか? 中ピ連は1972年に設立された団体ですが、なぜ今回テーマにしたのでしょう。
嶋田 私は小さい頃に中ピ連をテレビで見て、ピンクのヘルメットで活動している姿などをかっこいいなと思っていたんです。ただ大人になってからフェミニズムの歴史を見ると、中ピ連については書かれていないか、書かれていても悪口ばかり。まったく評価されていません。でも調べてみると、彼女たちはとても重要なことを言っていた。当時はウーマンリブの時代でしたが、性と生殖に関する女性の「自己決定権」を明確に権利だと主張していたのは彼女たちだけなんです。ほかのフェミニストたちはピル解禁について、副作用や薬害を気にしたり、青い芝の会などによる障害者運動との衝突があったりして、「権利」と明確に言うのを躊躇していた。
今回出した本は東大で留学生向けに日本のフェミニズムについて教えたゼミをまとめたものですが、この授業で学生にいちばん受けるのが中ピ連なんですよ。それ以前のフェミニストたちも真面目に重要な活動をしてるんですけど、あまり外向けのアピールがなくて、内向きなんですよね。いっぽう中ピ連はマスコミを積極的に利用していたし、代表の榎美沙子さんは真面目一方ではなく、裏でペロリと舌を出すようなトリックスターみたいなところがある。彼女は医師会の会合に着物を着て行くんです。そうすると奥様っぽいから入れてもらえちゃう。そういうパフォーマティヴなところがあった。国政進出を図って立ち上げた日本女性党は、タツノオトシゴ(オスが稚魚を出産することで知られる)をマスコットにするとかすごい面白いのに、当時からバカみたいだと超バッシングされていた。榎さんはいまでは行方知れずだけど、また表舞台に出てきてほしいです。お目にかかりたい。
それで、この本の表紙にも使った写真は、2〜3年前にアニー・ジェール・クワンというシンガポールのキュレーターが南房総にあるうちのアトリエに遊びに来ていたときに撮影したものです。コロナの感染拡大によって彼女が帰国できなくなっちゃったので2週間くらい一緒に過ごし、中ピ連の話をするなかで「中ピ連になってみよう」と。これうちの隣のデッキで撮ったんですけど。
遠藤・丸山 アニーさんだったんだ。すごくいい!
嶋田 この写真を大田さん(オオタファインアーツの大田秀則)に見せたらなぜかすごい気に入って。同年代だから彼も中ピ連を知ってたんですね。それでほかの作品も準備して、コロナもだいぶ落ち着いた今年、展覧会を開きました。
——おふたりは中ピ連についてどういうイメージを持っていましたか?
遠藤 私は4、5歳の時にテレビのワイドショーとかで見た記憶があって。中ピ連を通してピルっていう言葉を子供の頃から知れたことって大きかったなと思いました。
丸山 麻衣ちゃんと違って、フェミニズムの思想や本で少し触れたことがある程度で、子供の頃の記憶はまったくありませんでした。嶋田さんと話したときに、中ピ連ってこんな面白い人たちだったんだと知りました。
——今回嶋田さんは絵画も描かれていますが、これらは中ピ連の有名なイメージですか?
嶋田 そうですね。有名な写真をもとに少しイメージを変えたりしています。でも彼女たちは雑誌にもたくさん出ていたはずですが、残っている写真はあまり多くなくて。
絵画を発表するのはほぼ初めてで、みなさん驚かれるのですが、 絵画のフィジカリティとその矛盾を孕む寓意的な表現が今回は表現方法として最適だと思いました。写真で綺麗に仕上げるのはなんか違うなーと。
そういえば1973年にオノ・ヨーコが出した「女性上位万歳」という曲は、中ピ連に捧げる歌でした。オノ・ヨーコもずっとバッシングされてきて、いまやアート界では神様みたいになってるけど、こんなにも扱いが変わるんだって思いますね。草間彌生だってそうだけど。 草間もオノ・ヨーコもいいんだから、榎美沙子もいいじゃないですか。
丸山 嶋田さんの本は「《反=道徳》フェミニズム講義」と謳っていることからしてやばいですよね。バッシングされるか、綺麗に片付けられがちな女性主体の物語やフェミニズムの問題を、これまでと違うかたちで出されている。こういう本が日本の美術分野でもやっと出たことにとても興奮しました。
そして嶋田さんはフェミニズムの活動と並行して松澤宥や60年代美術やオルタナティヴ美術教育について研究されているので、展覧会ではその両方が重なって見えてきます。先日ギャラリーで行われたトークでも話されていましたが、あのピンクの幟(のぼり)は松澤の《消滅の幟》(1966〜)をもとにしていますよね。たとえば松澤のスピリチュアリズムは未だにあまり語られていません。そうした部分がこの展覧会を機に議論されるようになるのではないでしょうか。そして嶋田さんが絵画を描かれたのはとても新鮮でした。
遠藤 私も絵についていろいろ聞きたい。ピンクのリボンが登場して、そこに予言のような言霊が描かれていたりするのは、マルスピ的な読みとして萌えるというか。
嶋田 丸山さんとは2年前に「ラディカル・スピリチュアリズム国際会議」というオンラインのプロジェクトを一緒にやりました。金芝河(キム・ジハ)という韓国の反体制詩人が、神話やスピリチュアリズムは右翼や国家主義に回収されてしまいがちだが、これを解放と革命の宝として奪還しなくてはと言っています。また、美術史家の萩原弘子さんはフェミニズムにおいてスピリチュアリズムが必ずエッセンシャリズムとして母性主義に回収されてしまうと警鐘を鳴らしました。物質主義や資本主義に代わるものとして、スピリチュアリズムは重要だと思いますが、それをもっとラディカライズして再検討することが必要です。たんに「スピ系」とバカにするのではなく、もう一回スピリチュアリズムを考えて美術と政治の領域で生かすべきではないかと。そういう点でマルスピにもすごく共感しました。
遠藤 マルスピも名前に「スピ」が付いてるから怪しい人たちって思われちゃうときがある。そういった警戒のされ方は、もちろん引き受けながらやっているけど。でも私たちを含めいまスピリチュアリズムに関心を持っている人たちは、たとえばかつてエコフェミニズムが「母なる大地」という表現を使ったように、女性を「自然」につなげてその神秘性を強調してきたような考えを批判しています。それとは違う方法でいろんな実践を試しているところです。
——遠藤さんがさっき言っていた、嶋田さんの絵画への「マルスピ的読み」っていうのはどういうものですか?
遠藤 これは勝手な読みなんですけど……リボンって、日本では明治期に洋装が広まったとき官職の身分や勲章などを表すために男性が身につけていたところから始まり、日本髪を解いた女性たちが髪を束ねるための道具として広まったと言われています。リボンで髪を束ねた女性の絵は、雑誌や百貨店の広告などを通して、良き母や良き妻になることのできる女性のイメージとして流通していきます。リボンが結ばれているのは、貞操が守られているというイメージなんです。そこから時を経て、少女マンガでは魔法少女が変身するときに自分のリボンを解くという表現が出てきました。内なるポテンシャル、魔力を解放するためにリボンが解かれる。嶋田さんの絵画では解かれたリボンがヘビのようにうねっていて、あれがやっぱり解放された力みたいに感じるんです。
嶋田 もともとルネサンス絵画に預言者シビルの予言が口あたりからリボンになって出てくるものがあります。そしてヘビはとても意識していました。ヘビが盃を持っている姿は薬学のシンボル。理知的なものであり、ちょっと間違えると毒になるものでもある。榎美沙子は京都大学薬学部出身で、言ってることもすごく理知的なんですよ。彼女の科学的で、感情的にベタベタしていないところも私はすごく好きなんです。そういう存在は危険なものと見られるというので、リボンが蛇となってキリスト教の矯風会の人をぐるぐる巻きにしている。そういうアレゴリーです。
丸山 嶋田さんの本では、平塚らいてうが母性中心主義を唱えて女性に戦争への加担を促したことに始まり、母性や産む性を前提としたフェミニズムがナショナリズムと結びついてきた歴史と、それがかたちを変えてゾンビのように何度も蘇ってきていることを痛烈に批判していますよね。戦中の女性は被害者でもあるけれど、大きな国の一部として加害者でもあった。そういう複雑な立場であったことがこれまで日本のフェミニズムでもあまり顧みられずにきてしまったという話を本の中でされています。
嶋田さんは《日本人慰安婦像になってみる》というパフォーマンスもしていて、まさにこういった嶋田さんの立場を反映した思想と実践が結びついていると改めて思って、そのあたりについても聞きたいです。私がキュレーターとして東・東南アジアの作家たちと仕事をしていると、同じ世代で一緒にフェミニズムの実践をやろうって言っても、「同じ」であることは絶対にありえない。彼女たちだけでなく、私の身体が背負ってしまっている歴史も同時に感じるわけで。文脈によってパフォーマーとしての立ち位置を変えている嶋田さんも、そういう体験をされていたということをこの本で感じました。
遠藤 「ラディカル・スピリチュアリズム国際会議」についての記事を『Multiple Spirits vol.3』で掲載させてもらうのですが、そこでも登壇されていた青山学院大学教授のチェルシー・センディ・シーダーさんが「同じ」であることを目標にしない共同体、みんながバラバラのまま、共同体でいることが目指されているという話をされていました。それがすごくいいなって。
嶋田 チェルシーさんは60年代の全共闘に参加したラディカルな女子生徒について研究しているのですが、全共闘思想もそうだと思うんですよね。ひとつの運動を作るけどそこにピラミッド構造はなくて、参加したい人が集まってみんなでディスカッションしていた。それは新左翼と言われる人たちが実践していたことで、72年の連合赤軍によるあさま山荘事件以降にそうした動きはなくなったと言われています。それは一種の歴史の捏造だと思うんですが。ウーマンリブも75年に田中美津がメキシコに渡ってなくなった、中ピ連もすぐなくなった、なんて70年代に「おしまい」とされるものは多いんですけど。実際にはそこで生まれた思想がやっと広がっていこうとしたときに、芽の部分でつまれてしまってないものにされた。
——嶋田さんが本の最後に「過去の歴史の主流に消されたものから学ぶこと、矛盾や複雑さを恐れないこと、一枚岩になろうとしないこと、排除しないこと」と書かれていて、この言葉が本当に素晴らしいなと思いました。でも難しいことです。
嶋田 4月に開催されたリベレーションマーチは「排除ではなく連帯を!」をスローガンにしましたが、それは最近ますます排除の方向が強くなっていることへの危機感の表れです。排除ばかりでは表現できるものが無くなります。アーティストももっと切実に考えないと。
遠藤 この本の「まとめ」にこれまでのフェミニズムの流れを図にしたものがあって、失敗したり消えていってしまった運動にバツって書かれている。それが逆に希望だなって。歴史は連続性の中で物事が語られてしまうけど、それに対して、不連続なものとそこにあったポテンシャルを掘る方が、私たちとしては意味があると思ってるんです。
嶋田 本当にそうですよね。さっき歴史の捏造と言いましたが、美術史においてもそう。60年代はもの派があって……とか、これまで語られてきたものだけできれいなラインがつくられちゃって、それ以外のものがあたかも価値がないように扱われている。2010年に黒ダライ児さんの『肉体のアナーキズム 1960年代・日本美術におけるパフォーマンスの地下水脈』が出ましたが、それを除くと60年代研究は本当にほとんど誰もやってない。私が2010年くらいにオルタナティヴなアート教育機関として美学校(1969年創立)の研究を始めたら、芸大の教授になった人から「そんなマイナーなことして何になるの」って鼻先で笑われて。
一同 えー!
丸山 私は美術史懐疑派というか、距離をおいてしまうのは、「それが美術史的にどういう価値があるの?」っていう上からの判断から始まって、その価値がないと判断されてしまうとそもそも研究できないという雰囲気をずっと感じるからです。実際私もそういうことを何度も言われたし、以前日本で勉強をしていたときはフェミニズムの話をすると「いや、フェミニズムの議論は90年代で全部終わってるでしょ」って言われましたし。
一同 えー!
嶋田 その美術史は誰がどういう過程で作ったものなのか、ということに対して疑問をまったく持っていない人が多すぎます。既存の美術史を正典(カノン)として鵜呑みにしている。
丸山 まさに「お前が決めるな!」です。そうしたカノンへの批評性が嶋田さんの面白さですよね。つねにオルタナティヴなことを続けている。マルスピはそこをリスペクトしていますし、かなり影響を受けています。
それと、この本が「文化と政治は一緒に語らないと意味がない」という話から始まっていることも重要だと思います。フェミニズム系のアートが、必ずしも美術史の範疇に収まる話ではないと言っていく必要がある。
——嶋田さんの本は戦前から1990年までのフェミニズムについて解説する「歴史編」と、嶋田さんご自身を含むアーティストの活動を追う「実践編」に分かれていますが、「歴史編」のほうにも当時の政治・社会的背景とともにアーティストの田部光子や岸本清子らについても紹介されています。
さらに、橋詰米子というほぼ誰にも知られていない画家の展覧会についても紹介されていて、こんな人がいたんだと驚きました。引用すると、「1971年にヨーロッパのポルノ雑誌の写真をもとにした作品を東京の画廊で発表したのですが、女性器が描かれていたため、わいせつ物として警察に押収されてしまいました。一方、同時期、同様のテーマを扱ったアメリカの画家トム・ウェッセルマンによる『グレート・アメリカン・ヌード』は、性器が描かれていても、ポップアートの傑作と賞賛されました。この事件にはアート界はおろか女性運動の中でも注目する人は少なく、わずかに美術評論家のヨシダ・ヨシエがエロティシズムの表象に対する検閲という視点で記事に書いています」(P54)。
嶋田 1960〜70年代の『美術手帖』をほとんど持っているんですが、記事の中には女性アーティストに関する記述は少ないものの、後ろのギャラリーガイドには女性アーティストが展示をたくさん行っていた記録が残っています。でも、ほとんどの作家が表舞台から去っていて、作品も残っていない。橋詰米子については『黒の手帖』という雑誌に小さな写真が載っているのを見つけて、これは面白いと思ったもののほかに記録がないんです。人に聞いても誰も知らないし、『黒の手帖』は国会図書館にも全巻揃っていなかったり。
ヨシダさんはこのようにほかの人がやらない重要な仕事をたくさんしていますが、ヨシダさんが遺した特別資料(アーカイヴス)はカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)にヨシダ・ヨシエ文庫として収受されました。そこで デジタル化されて図書館で検索できるようになったことはよかったですが、本当は海外に行ってしまうより日本できちんとアーカイブされ活用されるようになってほしかった。でも難しかったんです。60〜70年代の貴重な資料がゴミとして捨てられてしまうことはよくあります。
遠藤 いま私たちが「紙魚プロジェクト」としてやっている展覧会「月を読む:遠近のアーカイブ」は、アーカイヴをテーマにしています。
私は去年、文化庁の在外研修でニューヨークに行ったんですが、そのときのリサーチ先がフランクリン・ファーネス(Franklin Furnace)という、1970年代のオルタナティヴ・スペース・ムーブメントを牽引した非営利のギャラリーでした。アーティストのマーサ・ウィルソンが創設し、パフォーマンスやインスタレーション、アーティストブックなど、当時はたとえばアーティストブックで言うと「アートでも本でもない」と思われていたようなどの制度にも位置づかない実験的な活動を発表する場としてアーティストを支援していた。同時にそれらをコレクションし、アーカイヴする機能も担っていました。スペース自体は現在は閉じて、オルタナティヴ・スペースからアート・オーガニゼーション・イン・レジデンスへと形態を変え、アーティストの支援や、アーティストブックの収集を続けつつ、2000年代からはデジタル・アーカイブ化を進める組織として活動しています。
そこで美佳ちゃんとコラボレーターであるステファニー・ミサと一緒に調査も行い、イトー・ターリさん(パフォーマンス・アーティスト、1951〜2021)のアーカイヴにも出会いました。展覧会ではこのフランクリン・ファーネス・アーカイヴや、アーティストの山岡さ希子さんが運営するインデペンデントパフォーマンスアーティスト映像アーカイブ(IPAMIA)の活動紹介、そしてIPAMIAがアーカイブしているイトー・ターリさんの映像などを通して、芸術におけるアーカイブの実践とは何かを問う展覧会になっています。
丸山 フランクリン・ファーネスにはパフォーマンスの記録だけでなく、ターリさんとのコミュニケーションの記録も残っています。手紙やメールなどマーサ・ウィルソンへターリさんが送ったメッセージとかも読むことができます。「私が送った(パフォーマンスで使用する)ラテックス届いてる? 届いてないなら一応持ってくけど」みたいなやりとりとか、パフォーマンスを実演することだけでなく、その後の活動やデジタルアーカイブについての交渉もあります。
遠藤 「あのとき一緒に食べた魚介の味が忘れられない」みたいな、親密なやりとりとともにアーカイブの交渉がなされていて、信頼関係の構築を垣間見れたのはとても貴重でした。いっぽうで、アーカイブに必要な場所や労力など、課題もたくさんありますよね。イトー・ターリさんのパフォーマンス作品に関連するものやレズビアン・コミュニティの記録など多岐にわたる活動の資料は、ターリさんのご友人の方たちが結成した「ターリの会」が保存・整理しているそうです。その会のメンバーの西村由美子さんからお話を聞いたのですが、倉庫の維持費や関わる人の労力などの問題があり、どうやってアーカイヴ化していくかは難しい課題だそうです。
——マルスピがアーカイヴに関心を持ったのはどのようなきっかけだったんでしょうか。
丸山 マルスピはZINEを出していますが、vol.1の表紙は『青鞜』(1911〜16年に刊行された婦人月刊誌で、編集長を平塚らいてう、伊藤野枝が勤めた)の創刊号の表紙を麻衣ちゃんがアプロプリエーションにしたものです。
『青鞜』創刊号の絵は長沼智恵子(のちの高村智恵子)が描いたものですが、じつはウィーン分離派の画家ヨーゼフ・エンゲルハルトの図案をアプロプリエーションしたものだったということを、美術評論家の水沢勉さんが数年前に明らかにしたんです。私たちが水沢さんに話を伺ったたところ、『青鞜』の表紙をGoogleのイメージ検索に入れたら、エンゲルハルトの図案が出てきてわかったんだそうです。こうした現代テクノロジーによって可能となるリサーチに面白さを感じました。
高村智恵子はそれほど研究が進んでいるとは言えないですし、『青鞜』の表紙は謎に包まれていて、これまで「女性の解放を描いたものである」とか、みずがめの表象をスピリチュアルに読み解いた解釈などがいろいろありましたが、実際はアプロプリエーションから生まれたものだったわけです。当時は、『明星』をはじめとする文芸・芸術雑誌の表紙を担当した男性アーティストも、ヨーロッパの雑誌やポスターの盗用を一般的に行っており、そこから新しい時代の文芸雑誌が作られていきました。そのフェミニズム・バージョンが『青鞜』だった。そう考えると、美術史だけでもフェミニズム史だけでもなく、文化や情報の伝播、テクノロジーの影響など様々な文脈を結びつけながら考える必要性を感じて。既存のアーカイブや歴史記述とは違うかたちで、知やイメージの集積を行うことの可能性とその不可能性に興味を持ちはじめました。
マルスピとして調査を行うと同時に、それぞれアーカイブと関わる芸術実践を個人でもやっていて、麻衣ちゃんはヘビの神話を調べているよね。
遠藤 そう。なので、さっき嶋田さんがおっしゃっていたヘビをアレゴリーとして描いたというお話を興奮しながら聞いていました。エンゲルハルトが描いた神話的な女性像を、長沼が青鞜の表紙にアプロプリエーションすることで「新しい女」として読み替えられたように、ヘビの神話を通して、イメージがどのように読み替えられたのか? ということに関心を持って調べています。
ヘビと人間の物語は日本各地、韓国や台湾に類型としてあるのですが、地域によって物語の結末が変わっている。そういう伝播の仕方を調べると、今日まで語り継がれている物語だけでなく、物語が捨て去られたり、よその地域に追いやられたりする様子が見えてきます。選ばれなかった物語から想像を膨らませて作品を作っています。
丸山 私はいま、ウィーンでオーストリア女性アーティスト協会の理事を務めています。19世紀末にウィーン分離派(セセッション)が結成された当時、女性アーティストが会員になれなかったことから自分たちのために立ち上げた協会で、113年の歴史があります。個人的には青鞜ともパラレルな歴史を持っていると思うは、女性芸術家を支援したフェミニスト団体でしたが、1938年にナチ時代になると、その国家主義イデオロギー下でプロパガンダを行うようになり、ユダヤ人のメンバーを追放しました。でも当時の代表はレズビアンで、男装して戦争に行っていた。フェミニズムという解放運動から始まったのに、歪んだクィア性を担保したまま暴力に加担していくという捩れた歴史を抱えた組織なんです。
この協会も草の根的な独立したアーカイヴを持っています。いまは外国人の私が理事になっているくらいなので、クィア・フェミニストや移民といったオーストリア社会から周縁化された人たちを支援する方向性へと向かっていますが、こうした排除や歪みを持った組織をどのように複数的に語っていくのか、アーカイブと接するとつねに問いが付きまとうんです。こうした個人活動とマルスピが交差しながら進んでいる感じです。
それは、たんに過去の出来事のアーカイヴではなくて、サディア・ハートマンが言うような、アーカイブにおける沈黙や欠落に向き合いながら「いまの歴史を書くこと」への興味なんだと思います。今回の嶋田さんの展覧会は中ピ連がテーマですが、まさに彼女たちの活動を通していま現在を物語るという意味でも重要であり、興味深い。日本ではまだアフターピルが簡単に手に入らないし、中絶へのハードルは歴然とあり、海外では中絶に対するバックラッシュが凄まじい状況です。
嶋田 アメリカの州も次々と中絶が禁止になり、テキサスではアフターピルが禁止されそうになっている。作品を描いてるときは予想していなかったけれど、アメリカからの反響もすごくあって、本当に中絶やピルは現在進行形の問題。
遠藤 4月15日にオオタファインアーツで行われたトークイベントで、嶋田さんが「ある種の暴力は許容する派だ」っておっしゃっていたことが印象的でした。暴力性が特に女性性やフェミニズムのなかで抑圧されてきたとおっしゃっていて、共感するところがありました。個人対個人の傷つけ合いを許容するということではなくて、大きな闘争としての暴力であり、プロテストとしての暴力の話ですよね。
嶋田 その通りです。先日首相が襲われるというテロがありましたが、その報道を受けてピンドン(ドンペリニヨン ロゼ)の火炎瓶はまずいんじゃないか……なんていうことも思いましたが。ただああいうことすべてひっくるめて暴力とされてしまうことには問題を感じます。とくに一般の人がおこす暴力に対してすごく厳しくなってる。性労働も暴力にカテゴライズされてしまうとか、ポテンシャルに暴力性があるものはすべて排除しときましょうってなっている。でも、個別の暴力を潰していくことによって、国家的な大きな暴力がなくなるかといったらなくならない。重箱の隅みたいな暴力をいちいちつついていくことだけに集中しても、いいことがないと思います。
丸山 いっぽうで難しいのは、ハラスメントを構造的な暴力であると指摘すると、「キャンセルカルチャーだ」という反発があがることです。嶋田さんの本でも「アラーキー事件と『キャンセルカルチャー?』」という章がありますが、KaoRiさんの告発以降も、この話をする人はほとんどいなかった。ここにも書かれていますが、一般的にハラスメントなどを指摘された主に男性たちは、高い社会的地位を失うことはないまま、「俺たちは誘導されただけだ」と逆に被害者ぶるようになっている。
こういった自分と他者のパワーバランスに無自覚なことは問題です。でも、こうした過ちを防ぐために、暴力性のポテンシャルをすべて排除しようとすると、表現も難しくなるし、単純に生きづらくなります。いまこういった問題をアーティストたちはどのレベルで考えているのでしょうか。
「月を読む:遠近のアーカイブ」初日の裸体表現に関するトークイベントを聴きに来てくれたアーティストの百瀬文さんが質疑応答で、若い学生のなかには映像作品を発表する際に、たとえば「虫が出ます」という注意書きを付ける子も出てきていることを共有してくれました。現在ではたとえば、傷やトラウマを再生産しかねない暴力的な表象を多数の人の前に出す場合に、注意喚起を行うことは一般化してきています。でもそれを虫でも言うのか……と。生理的に嫌悪することはわからなくもないですが、百瀬さんは、日常的にすでに存在している虫を「見てはいけないもの」として扱うことになるのではないかという危機感を持ったと言っていました。
マルスピや別の活動でもそうですが、フェミニズムや周縁化された事象を扱っていると、すべての事柄に対する平等性や反暴力性を、あるいは寛容性を不必要までに求められることがありますが、配慮と批評性は別のものだと思います。
嶋田 フェミニズムの側には弱者に寄り添おうとする姿勢が強いので、「こういう表象が嫌いな人いるかもしれないから、やらないでおこう」というふうになりがちです。またはマイノリティなどの問題を扱う場合に、「当事者が言うのは良いけど、経験もない人が言っちゃいけない」みたいな。それで口をつぐむとか、すごく気を遣った表現になってしまうという自己規制があると思うんです。たとえば、ある作家が抑圧されている人々に取材して作品を作ったのですが、「取材した当事者たちにお礼を支払った」 ということをステイトメントに明記していました。それはいいけど、書かなくてもいいんじゃない? 「搾取してません」って言わないといけない圧力があるのか。でもそれが進むと、いちばんの弱者しかものを言う資格がないという弱者競争になっていく。
丸山 弱者競争になりますね。いっぽうで気持ち悪いと思うのは、「作品にあまり関係ないけど、多様性やフェミニズムについて一応言及しておく」という態度が増えていることです。フェミニスト的な実践をしていなかったり、本当は興味のない人たちが、「フェミニズムについて話さなくてはいけない」って話したりする。誰にとっても関わりのある問題なので全員が議論することは重要なことですが、彼らがそのまま声を持つ位置に居座り続けて、結局のところ無数の声を殺していく行為も見受けます。
嶋田 何年か前に、ある学生がショートフィルムを作ってお披露目会をしました。よくできていたんだけど、何が言いたい作品なのかよくわからなかった。その人はフェミニズムに関する作品が作りたかったらしいんだけど、「男性の声も入れないとバランスが取れない」「レズビアンの子が出てくるから、ゲイの子も入れないと」ってバランスだけを考えていろんな声を入れていった。自分の撮りたいものだけ撮ればいいじゃないと伝えたけど、「それだとほかの人に対して差別的になるかもしれないから」という強い自己規制が働いていた。
遠藤 暴力的なものごとに自覚的な人ほど、自分が持つ暴力性や権力を内省して、なるべく無くしていこうとすごく気にしているように感じます。でも、人を排除してはいけないという包摂的な態度を内面化するだけでは、より大きな暴力の構造を見逃していると思うんです。
——嶋田さんがトークイベントで、中ピ連は戦いの矛先を(父権的)権力からずらさなかったとおっしゃっていたと思います。「過激」「暴力的」と見なされた行動は、一般市民や社会的弱者ではなくて、権力に向かっていた。そのことは重要だと思います。ネットなどでは「どちらがより弱者か」みたいな戦いが起きやすいし、それが容易にミソジニーやマイノリティ叩きに結びつくけど、それはさもしい。
丸山 いまの社会が個人主義になりすぎていて、「お前が決めるな!」という批評性や暴力が、権力ではなく別の方向性に向かって、自己責任論に転嫁されるされる可能性もある。「あなたが苦しいのは、あなたが選択した結果ですよね」という、ねじれも感じるので複雑です。そうなると、主体性を持つことや権利を主張してきたフェミニズムやその他の運動に自己責任論のやり場のなさの矛先が向かってしまいますよね。
——近年は「ケア」概念の重要性にも注目が集まるようになりました。様々な配慮が求められるようになったいっぽうで、それらが資本主義や個人主義において都合よく扱われてしまうことで、自己防衛に走りすぎたり、他者を攻撃したり、根本的な構造の歪みを温存してしまう可能性もある。暴力性をよいかたちで発揮したり許容するにはどうしたらいいでしょうか。
嶋田 私たちが権利を獲得するためには直接行動が必要なんですよ。そして直接行動はなんらかの暴力性を伴うものです。イギリスの女性参政権100周年の展覧会がありましたが、そこにはハンマーをポケットに持ってる女の人、それもイーストエンドから来た下層階級の人たちの写真がありました。「私たちにも参政権をくれ」って、ハイロードの窓を殴りつけて壊していった人たちです。それぐらいしないと変わらないこともあります。韓国の民主化運動を研究している人が、私の描いた中ピ連の絵画を見て、韓国(の民主化運動)と通じるものがあると言っていた。でも日本は民主主義だって上から降ってきたし、参政権だって戦後にもらったようなものなので、権利を獲得するために力が必要、暴力性が必要だと身に染みてわかってないんじゃないでしょうか。
丸山 まさに複数のエネルギーが集まって行われる運動と同時に、日常の実践も重要だと思っています。ケアというのは、ただ周囲の人に優しく接するということではない。たとえば職業倫理的に「ダメ」だと思うことに対して黙らないとか、きちんと「ノー」を言う。そういう直接行動を続けていくこともケアだと思っています。「お前が決めるな!」と言うときに、「お前」がいま・ここでは誰なのか、毎回自分たちで批判的に判断していく必要があるのではないでしょうか。
友達とアクティビズムをやっていると、暴力に向き合うことに疲弊もするし、意見や価値観の食い違いでお互いに傷つけあっちゃうこともある。そうしたときにみんなで改めて誰によってどう傷ついたのかを把握したうえで、運動を続けてく必要がある。そうすると、自ずと暴力で疲弊したときに誰がケアできるんだろう、ということを考えるわけです。たとえば中ピ連を想像すると、当時から色々とバッシングされて、きっと傷つきもあったんだろうなって思うんですよね。そういうときに彼女たちのなかでケアがどのようになされたのかは、すごく興味があります。アクティビズムについて考えるときは、ケアもセットで考えるべきだと思います。
嶋田 ブラックパンサー(1960年代後半〜1970年代に、アメリカで黒人民族主義運動・黒人解放闘争を展開した政治組織)も、その急進的な武装蜂起にばかり注目が集まるけれど、実際そのコミュニティは食事を提供したり教育しあったりするというケアの要素によって維持されていた。コミュニティがピラミッド型ではなくて、有機的なかたちでお互いにケアしてるから成立していたんです。
丸山 こうしたかたちで広がったコミュニティのおけるセルフケアのかたちから、ブラック・フェミニストの文脈ではオードリー・ロードも「マザリング(mothering)」という言葉を使っています。子供たちをマザリングするだけでなく、お互いにケアし合い、nurture(育成)し合うことで価値を確認していく作業であり、その可能性を探っていこうというものです。現代のクィアを生きるコミュニティにとってもマザリングというのは大切で、どうやってお互いに生存を認め、マザリングできるかというコミュニティ実践へとつながっていっています。
遠藤 母性とか、無条件の愛という話ではないってことだね。ケアについて、その「お互いに」の重要性がもっと浸透すると良いなと思います。
嶋田 そうなんだ。nuturingをどういうふうに日本語にすればいいかはこれまで悩ましかったんだけど。母性=女の問題として限定的にならないかたちでマザリングって言うのも、正々堂々としていますね。そうした考えがブラックパンサーからいまへとつながっているのかな。
——ここでも1960〜70年代から現在へと接続されましたね。今日はありがとうございました。
福島夏子(編集部)
福島夏子(編集部)