ブルックリン博物館の古代エジプトコレクションから、選りすぐりの名品群を紹介する大規模展覧会「ブルックリン博物館所蔵 特別展 古代エジプト」が、1月25日から六本木ヒルズの森アーツセンターギャラリーで開幕した。会期は4月6日まで。
本展では、彫刻、棺、宝飾品、土器、パピルス、そして人間やネコのミイラといった約150点の遺物が、アメリカ最大の古代美術コレクションを持つブルックリン博物館から集結。いまから5000年以上前に始まり、高度な文化を創出した古代エジプトの人々の営みをひもとく。『世界ふしぎ発見!』への出演などで知られる、エジプト考古学者/名古屋大学デジタル人文社会科学研究推進センター教授の河江肖剰が展覧会の監修を務めた。
*河江肖剰のインタビューはこちら
内覧会に登壇した河江は「今回の展覧会は、コロナ禍後初の古代エジプトの展覧会になります。多くの方に訪れていただき、ファラオの偉業、日常生活、葬送文化をそれぞれ見ていただきたいと思います」と挨拶。「(本展は)ひとりの王、ひとつの地域ではなく、エジプトの全時代を通して、様々なところからエジプトをわかりやすく説明しているのが見どころになっています。生から偉業、そして死まで、文明のひとつのかたちを感じていただけたら」と見どころを話した。
展覧会は3つのステージで構成。1stステージ「古代エジプト人の謎を解け!」では、ピラミッドなどのファラオの功績と比較してこれまで取り上げられることの少なかった、古代エジプト人の日常生活に光を当てる。
古代エジプトでは、知識と読み書きの能力がもっとも評価された。識字を習得した男性は《書記アメンへテブ(ネブイリの息子)》のように、パピルスの巻物を膝に置いて足を組んだ書記の姿で表現されていた。この時代の書記は、神の言葉である文字を操る役職として重要視され、人気の職業だったそう。
気品を漂わせる横顔が印象的な《貴族の男性のレリーフ》は、新王国時代のエリート層の墓から出土したもの。宗教改革を行ったアクエンアテン王が主導した自然主義的な優美な芸術表現が現れている。
この章では古代エジプト人の衣食住の様相を垣間見ることができるのが特徴だ。かれらが何を食べ、どんなものを纏い、どのような場所で寝食を行っていたのか。その暮らしを伝える展示品が並ぶ。
たとえば古代エジプト人はベッドで寝ていたそうだが、《被葬者の寝台を整える召使のレリーフ》は男性が死者のために寝台を整えている様子が表現されている。寝台の隣の空間に置かれているのは、油壺や腰掛け、身だしなみを整えるための道具などだ。
また木製のローテーブルやゲーム盤と駒といった生活や娯楽の道具は、現代にも通じるデザインで、古代エジプトの人々をより身近に感じられる。
ナイル川とその氾濫によってもたらされる肥沃な土壌によって、豊かな食生活を謳歌していた古代エジプト人。かれらにとって肥沃や豊かさ、創造と結びつく象徴的なモチーフだったという沼地の光景や、狩りをする男性の姿、奉納場面を描いたレリーフなども、当時の生活の風景を想像させる。
珍しい《王宮の調理場のレリーフ》にはワイン壺を運ぶ男性が描かれているが、ワインは王朝以前から上流階級の嗜好品として楽しまれていたという。ツタンカーメンの墓からもワインの生産年や産地、醸造者の名前などが書かれたワインの壺が30個以上見つかっている。
さらには、古代エジプト人の美意識とファッションにも注目。古代エジプトにおいて「美」とは、容姿の美しさだけでなく、内面的な美徳である「善良さ」を意味する概念だったという。首飾りや櫛、化粧箱、鏡をはじめとする展示品からも古代エジプト人の容姿へのこだわりがうかがえる。
青いまぶたが不思議な存在感を放つ《人型棺の右目》は、ミイラを収める外棺に使われていた装飾品。まぶたは青いガラスで作られているが、ガラスは当時高い価値を持つものとして考えられていたという。
また、出産や出産直後の安全を願うために女性や赤ん坊が身につけた出産の神タウェレトの護符や、授乳をする女性の像など、古代エジプト人にとって命がけだった出産にまつわる遺物も興味深い。
次のステージに向かう前に、資料展示でピラミッド研究の最前線を伝える。ここでは、ピラミッド研究調査の歴史や、レントゲン撮影のようにピラミッド内部を可視化する新技術「宇宙線ミューオンイメージング」などの最新テクノロジーを駆使してピラミッドの謎に挑む国際共同研究「スキャンピラミッド」の活動、本展監修の河江が取り組む「ギザ3D調査」などが紹介されている。
さらに河江が実際に発掘現場で使っているカメラや野帳、方位矢印などの“七つ道具”の実物を展示。またクフ王の大ピラミッドの石の写真が実物大で展示されており、ピラミッドの大きさをリアルに感じることができる。
続く2ndステージ「ファラオを実像を解明せよ!」は、神の名を冠し、絶大な権力を握っていた「王(ファラオ)」がテーマ。王がどのような存在で、なぜピラミッドや神殿などの巨大建造物を作ったのかなど、その実像に迫る。
《王の頭部》は、河江が「今回いちばん楽しみにしていた」と語る展示品。ギザの大ピラミッドを建造させたクフ王の頭部なのではないかとされているもので、日本で展示されるのは約40年ぶりだという。
この章では先王朝時代からプトレマイオス朝時代まで3000年間におよぶ王朝史を通して活躍した、12人の王たちの偉業が多様な遺物とエピソードとともに紹介されている。
古代エジプトの重要な巨大な建造物のひとつであるカルナク神殿は、中王国時代からローマ時代まで2000年以上にわたって増改築が繰り返されたという。広大な神殿には最高神アメン・ラーが祀られ、134本の柱が並ぶ大列柱室にを抜けた場所には巨大なオベリスクがそびえていた。
ここでは末朝王朝時代のアメン神官の像や、神殿模型の一部だったと推測されるオベリスクの模型の一部、第3中間期のもっとも特徴的な記念碑だという奉納石碑などを展示。奉納石碑に刻まれている文字には、土地を神殿や神殿の職員に寄進した記録やその条件、規定を破った場合は呪われるといった内容が書かれている。
本展は様々な象徴性を持った王の装束にも注目する。古代エジプトの王は秩序や正義、真理などを意味する「マアト」をもたらす統治者で、政治、宗教、軍事における権力者でもあった。王は冠や殻竿など、多様なアイテムを用いて、神聖な権威や、民の生活を支える養い手としての地位など自身の権力を強調した。
また、神から王権の象徴を授けられる場面を描いた石碑、戦いの場面を描いたレリーフなどは、王権の正当性や軍事指導者としての側面をアピールするねらいもあった。
さらに、多神教ではなく、太陽円盤の神アテンを唯一神として定める宗教改革を行なったアクエンアテン王についても紹介。スフィンクスの姿でアクエンアテンを表したレリーフは王の頭部にのみの跡が確認できる。これは王の死後に改宗前の宗教が復活し、王や親族の名が建造物から消された際についたものと推測されている。それほどアクエンアテンの宗教改革は異例だったということなのだろう。
またアクエンアテンの王妃であったネフェレトイティのレリーフも展示。独特の青い色の冠をかぶった横顔が美しい。
ファイナルステージ「死後の世界の門をたたけ!」では、白壁だったこれまでの展示室とは雰囲気ががらりと変わり、暗い照明と深い青の展示壁で囲まれた神秘的な空間が広がる。
古代エジプトでは、人は死後に来世で復活し、永遠の命を得ることができると信じられており、来世での豊かな生活のために生前から様々な準備が行われていた。最後の章では、人や動物のミイラ、多様な副葬品などを通して、古代エジプトの死生観と葬送文化に迫る。
動物は古代エジプトにおいて神聖視されており、神聖なものが動物のかたちで現れると考えられていた。ナイル川西岸のヒエラコンポリス遺跡ではゾウやカバ、ワニなど多くの動物たちが丁寧に飼育されて埋葬された痕跡も見つかっている。また動物は故人のペットや奉納品など、死後の世界のお供としても扱われた。
たとえばネコやネコの頭を持つ女性像は女神バステトを表しており、ネコのミイラともに動物墓地に埋葬されていたという。かわいらしい小さなトガリネズミの像は、動物の棺の上に置かれたもの。トガリネズミは夜行性で攻撃的な狩猟能力を持つことから、創造神アトゥムと結び付けられた。
また、首飾りや護符、耳飾りなどのバリエーション豊かな美しい副葬品からは、死後の世界でも日々の暮らしがあると信じた当時の人々の思いが伝わってくる。
古代エジプトでは、永遠の命を得るために肉体を保存することが重要だと考えられていた。死後、遺体が生前の姿を保ち腐敗しないよう処理を施してミイラにした。本展ではミイラの包帯や、人間の体のなかでもっとも重要であるとされた4つの臓器を入れるためのカノプス壺など、ミイラ作りの工程で用いられる品々も展示。
ミイラ作りへの知識を深めた後で最後の展示室に進むと、静謐に横たわる人間のミイラの棺が視界に飛び込んでくる。
カルトナージュと呼ばれる、亜麻布やパピルスを漆喰で固めて何層にも固めた、ミイラを収める入れ物は様々な場面が細かく描かれ、彩色されている。《神官ホル(ホルス)のカルトナージュのミイラ》のカルトナージュに描かれているのは、死者を守り、復活を助ける大勢の神々。《トトイルディスの木棺》には、被葬者がミイラの姿で描かれるとともに、死後の願いが図像で表されている。
ミイラの展示室では、ゆっくりとした念仏のような音声が響き渡っているが、これは現存最古の葬送文書といわれる「ピラミッド・テキスト」を読み上げたもの。宮川創・筑波大学准教授が当時の人々が話していたであろう古代エジプト語の発音によってテキストを再現し、自ら読み上げている。当時ファラオの葬儀が行われた際も唱えられていたとされる死者への言葉を聞き、目だけでなく耳でも当時の文化を感じながら本展は締めくくられる。
古代エジプト人を身近に感じられる日常の暮らしの様子から、数々のファラオの偉業、そして独自の死生観まで、3000年にわたる古代エジプト文明を俯瞰して学ぶことのできる本展。遥か昔の人々の営みに触れることのできる貴重な遺物が揃うこの機会に、会場を訪れてみてほしい。