いまからおよそ5000年前、紀元前3000年頃から約3000年にわたって続いた古代エジプトの歴史。ナイル川の豊穣の恩恵を受けて長きにわたって栄え、いまだ多くの謎に満ちたこの地の文明は、時を超えて人々の関心を惹きつけている。そんな古代エジプトの遺物が一挙集結する展覧会「ブルックリン博物館所蔵 特別展 古代エジプト」が、1月25日に六本木ヒルズの森アーツセンターギャラリーで開幕する。
これまで多くの研究者たちがその謎の解明に挑み、現在も最新技術をとりいれた調査が進む。ピラミッドやミイラなどは映画やマンガにも登場する身近なモチーフかもしれないが、当時の人々の営みや社会の様相についてどれだけ知っているだろうか。今回はテレビ番組『世界ふしぎ発見!』への出演や自身のYouTubeチャンネルでも知られ、「特別展 古代エジプト」で監修を務めるエジプト考古学者/名古屋大学デジタル人文社会科学研究推進センター教授の河江肖剰氏にインタビューを敢行。古代エジプト人の生活から最新の研究事情まで、5つのトピックにまつわる「知ってるようで知らない事実」を教えてもらった。
日本ではこれまでも多くの古代エジプト展が開催されてきたが、意外にもそこに生きた人々の営みについては多くは語られてこなかったそう。当時の社会では王が絶対的権力者として君臨していたが、王の支配下にあった人々はどんな暮らしを送っていたのだろうか。
「社会構造としてはピラミッド型のヒエラルキーがありました。時代によるので一概に言えませんが、王の下には神官、貴族、その下に軍人などがいます。その下には商人や職人、さらにその下に農民や漁師、そして時代によっては、奴隷もいました。
ヒエラルキーの上部にいる神官や貴族、軍人は、『ものを書く人』ということで、『書記』というくくりで呼ぶこともあります。書記といっても、ただ『書き留める人』というわけではありません。古代では文字のことを『神の言葉』を意味する『メドゥ・ネチェル』と呼んでいたのですが、書記は神の言葉を読み書きして、記録できるという重要な役職でした」
王や権力者と比べて庶民の生活については記録や資料が少なく、居住地については、そもそもあまり調査されてこなかったという背景もある。
「1920年代にたくさんの財宝とともにツタンカーメン王の墓が発見される前は、見つけたものを分け前として半分手に入れることができました。そのため墓や神殿の発掘に向かう人が多く、街や住居に関する調査があまりされてこなかったんです。1980年代から住居考古学といって、住居を発掘することで古代エジプト人のことを知るという分野が出てきました。
その結果いくつかの街が発見されました。有名なところでは、私たちも発掘に関わっていた『ピラミッド・タウン』、ツタンカーメンが王子だったときに暮らしたアマルナ、王家の谷を作ったデイル・エル=メディーナという村の3ヶ所です。いずれも特殊な場所ですが、王宮があればその周囲に貴族が住んでいて、一般の人々はそこから離れた場所に住んでいました」
古代エジプト人の食生活はどうだろう。ナイル川の恩恵を受けて発展した農耕は、穀物や野菜をはじめ、多様な食物を人々にもたらした。
「古代エジプトの主食はパンです。エンマー小麦という小麦や大麦などからパンを作っていました。ピラミッド時代だと、直径最大36cmほどの大きな円錐形の壺をパン窯の代わりにして、非常にどっしりとしたカロリーの高いパンを王が人々に供給していたんです。我々も実際にカロリー計算をしたことがあるのですが、一斤約9500kcalという非常に高カロリーのものでした。
また、庶民の主なタンパク源は、やはりナイル川にいる魚が多かったようですね。実際に出土物として、ナイルパーチやナマズといった魚の骨がたくさん出ています」
長い古代エジプトの歴史のなかでも、ピラミッド建造者たちの街である「ピラミッド・タウン」ではそれまでとは異なる食卓の風景が見られたという。
「庶民のなかでも職人のような人たちだと思いますが、肉を非常に多く食べたのは、ピラミッド時代の特殊な事例です。肉は通常お祭りなどでしか食べないようなものですが、ピラミッド建造に関わる人々は高カロリーの食事が必要だったので、国が数日に1回、羊や山羊を屠って食べさせていた。動物の骨の専門家による統計からはそういった事実も出てきています」
庶民の多くは農業に従事したが、古代エジプトには年貢のような税制度があり、農民たちが作った穀物も王の管理下にあった。
「国として税制はいちばん重要です。家畜や穀物などを中央に集めて、それを王や神官が消費したり、別のところに再分配したりしていました。また、2年に1度、国家が家畜の頭数を調べる制度もありました。
税制度や官僚制度など、いま私たちの社会で使われているシステムは、古代のエジプトを含むオリエント、あるいは西アジアと呼ばれる地域に起源があるものが多いんです。時間の概念もそうで、1日24時間という考え方もエジプトで生まれました」
「特別展 古代エジプト」では、このような古代エジプト人の生活にも光が当てられる。
「ツタンカーメンが生きたアマルナの、王宮の調理場のレリーフという非常に珍しいものも展示されます。ここでは人が壺を運んでいますが、これはワイン壺です。実際にツタンカーメンの墓からワイン壺がたくさん見つかっているんです。彼はワインが好きだったみたいで、いまのように何年ものでどこのぶどう園かも書いてあります。日用品は煌びやかなものではないですが、そういった背景を踏まえて見るとすごく面白いのではないでしょうか」
王の墓であるピラミッド。一般的にイメージされるのは四角錐の建造物だが、古王国時代(紀元前2686〜2181頃)を最盛期とし、時代によって様々に形状は変化した。またピラミッド単体だけではなく、神殿などピラミッドを中心とした複合施設が作られていたこともわかっている。
古王国時代に作られたギザの三大ピラミッドのひとつであるクフ王のピラミッドは、150m近い高さを誇る巨大な建造だが、当時の人々はどのようにして重い石を運び、ここまでの高さに積み上げたのだろうか。
「石を運ぶのに傾斜路を使ったということはほぼ間違いないです。色々な所に傾斜路の跡が残っていますし、傾斜路について書かれたテキストも残っています。ただ、傾斜路はピラミッドを作る過程で壊してしまうので、その傾斜路がどのような形状であったのかがわからないんです。
でも、ちょうど私たちが今期から調査を始めたアビュドスのシンキという場所にあるピラミッドでは、ピラミッドのそれぞれの面に傾斜路が残っていたりもします。その傾斜路は日干レンガや石灰岩、瓦礫などでできています」
ピラミッドは石をただ積み上げただけではなく、中には王の棺が置かれる玄室などの部屋や通路が存在し、様々な建築的な工夫が施されている。
「クフ王のピラミッドに関して言えば、おそらくまず内部にコア構造という階段状の構造体があります。もともと最古のピラミッドが階段状だったので、やはり構造的にもっとも安定している、最初の成功例ということでこういった構造が作られています。祖先崇拝という意味もあると思います。
また外側などは、いまで言う鉄筋工事の骨組みのような構造で大きい石がピラミッドを支えていて、要所要所で砂や瓦礫を緩衝材のように使って空間を埋めていたりもします。それから石が202段現存していますが、上部では石の一部が凹んでいて、レゴブロック状に嵌め込むように並べられているということも私たちの調査で明らかになりました。たんに水平に石が並んでいるのではなく、様々な構造によってできているということですね」
ピラミッド作りというと、奴隷が石を引く姿を想像する人もいるかもしれないが、じつはそれは誤ったイメージだ。三大ピラミッド建設時には建造者たちの街「ピラミッド・タウン」が存在し、人々はそこで暮らしながら組織的にピラミッド作りに取り組んでいたと考えられている。
「ピラミッド・タウンに住んでいた人たちは、超高カロリーのすごく良い食事をしていたことがデータで明らかになっています。また燃料もナイルアカシアという固形燃料を使っているので、すごく煌々とした場所だったのではないでしょうか。ある意味、消費大国のような世界のなかでピラミッドが作られたということが、資料などから示唆されています」
ミイラはなぜ作られたのか? その理由は、死後に再生・復活し、永遠の命を得ることを望んだ古代エジプト人の死生観と結びついている。死後に再生するためには肉体が必要だと考えられていたことから、遺体の保存が行われるようになったとされる。
「古代エジプトでは、人間を構成する5つの要素があると考えられていました。名前、影、人間の生命力であるカー、魂であるバー、そして肉体です。人が亡くなったときにもこれらが必要不可欠でした」
ミイラ作りは、内臓や脳を取り出し、遺体が腐らないような処理を施して乾燥させるのが基本的な制作プロセスだが、その作り方にも古代エジプトの死生観が反映されている。
「内臓をすべてとるわけではなく、心臓以外の4つの主だった臓器──胃、肝臓、腸、肺をとり、カノブス壺という容器に収めます。
来世から現世に行く際に『魂の裁判』と呼ばれるものがありました。自分の生前の行いが正しいものか、真理に合うものかということを神々に告白するんです。そして最後に、真理や調和の象徴である女神の羽『マアト』と心臓を天秤に乗せ、それが釣り合えば来世に行ける、釣り合わなければ心臓が食べられてしまう。そのような死生観があるので、心臓は遺体に残されました。
脳は捨ててしまうのですが、古代エジプトでは脳はそれほど重要な器官ではなかったんです。考える、感じる、ということを司るのは、心臓だと考えられていました」
「特別展 古代エジプト」でもカノプス壺が展示されるが、4つの壺にそれぞれ異なる動物を象った蓋がついている。
「古代エジプトではハヤブサの神ホルスが王権の象徴になっていました。壺の動物はホルスの息子と呼ばれていて、それぞれの内臓を守る神様です。息子たちが、埋葬されるファラオの臓器を守っているということです」
本展では人間のミイラ2体に加えて動物のミイラも展示される。動物のミイラにはどんな意味があったのだろうか。
「動物のミイラは、動物の神様に奉納されたものですね。ワニの神様セベクだったらワニ、猫の神様バテストだったら猫が神殿に祀られ、それがミイラ化したものです。末期王朝頃には奉納品としてミイラが売られていたりもしました。
それから少ない例ですが、ペットとして飼われていた動物のミイラもあるようです。いまもペットの埋葬はありますが、古代にもペットの棺を作ってミイラにして奉納する、ということもあったようです」
古代エジプトには数は少ないが女王もいた。また幼い王に代わって摂政政治を行った王妃もいる。とはいえ男性中心の社会に見えるが、女性の地位はどのようなものだったのだろう。
「女性は家の中、男性は家の外というような男尊女卑的な価値観はあったと思います。ただ、『自分の妻を大事にしなさい、そうすると家が栄える』といった教訓が残っていたり、彫像でも夫婦仲良く肩を並べた姿で表現されていたりもするので、ほかの古代社会に比べると、女性がリスペクトされる社会だったのかなと思います。
それでも、女性が亡くなったときは一度男性にならないと来世に行けないという考えがありました。子供が生まれる性行為の主体も男性にあると考えられており、亡くなった女性はそのままでは再生できず、『性の変換』と言って一旦男性になってから女性の姿に戻る、ということが行われていたんです。埋葬されるときも、棺の外側では肌が茶色く男性的に描かれているけれど、中のマスクは少し白く、女性らしく描かれるなどの区別もありました」
力を持つ女王だとしても、やはり王になるのは男性だと考えられていたため、男装など自らを男性的に見せることで権力の正当性をアピールするということもあったという。
「たとえば第18王朝の女王であるハトシェプストは、男性形と女性形を混ぜて自分のことを表現しました。英語で言う『he』のような言葉で自分を呼んだりして、自分は男性と女性、どちらの権利も持っていると示していたんです」
絶世の美女とされ、ビヨンセやリアーナといった黒人女性スターがオマージュしていることでも知られるネフェルトイティ(ネフェルティティ)も、権力を持った女性のひとりだった。
「彼女が王妃だったのか、宰相のような存在だったのかが長年謎だったのですが、最新の研究では彼女は王だったとされています。そして名前を2回変え、当時大混乱だったエジプトをなんとか治めようとしていた。古代エジプトにおいて、ヒエログリフは神の言葉なので、これを変えるというのはすごく意味があることです。ただ彼女の墓が見つかっていないので、どういった人だったのかはあまりわかっていません。アマルナ時代(第18王朝期)の女性の墓はまったく見つかっていないんです。
最近の説でひとつ話題になったのは、義理の息子であるツタンカーメンの墓がもともとネフェルトイティの墓だったのではないかということ。実際に発見されているツタンカーメンの遺物のうち5000点以上におよぶ7〜8割が彼女のものなんです。だから彼女の墓がツタンカーメンの墓の壁画の後ろなどに隠されているのではないかという説を唱えている人もいます」
まだまだ多くの謎を残す古代エジプトの文明。現在、その研究にはAIやドローンをはじめ、最新技術が多く導入されている。最新技術がもたらした大きな恩恵のひとつは、取得できるデータが非常に増えたということだという。
「科学の基本は観察と記録です。観察するにあたって取ることのできるデータ、見えるものが増えるというのは、やはり理解が深まります」
実際に研究の最前線ではどのように最新のテクノロジーが用いられているのだろうか。
「私たちがメインで行っているのは、写真測量による三次元化です。これまでピラミッドの建造方法などは、見て、手で書くしかなったのですが、いまは画像から三次元データをとることができ、それが実測図を超えるような情報量を持っている。これは一般的になりつつある技術です。またレーザー計測で、1秒間に何百万点ものレーザーを対象に飛ばすことで、形状データや色データをとることができます。
もっと最先端で言えば、今回の展覧会でも紹介されますが、本学(河江氏の所属する名古屋大学)の物理学の森島(邦博)先生が、宇宙から降り注ぐ素粒子を使って、人の体をX線で見るように巨大構造物を透視して、ピラミッドの内部を見るということも行っています。
AIについては、我々がピラミッドの石がどのように積まれているのかを知るには、一つひとつ石を記録していくしかないのですが、いま使っているSegment AnythingというMETA社のAIはその一つひとつを見分けてくれるんです。AIの導入は2024年に始めたところなので、まだここから何かがわかる段階ではないですが、ようやく三次元のデータで石を一つひとつ分けられるようになったので、そこから何が言えるのかを論文にしていきたいと思っています」
最後に、「特別展 古代エジプト」など様々なコンテンツや書籍を通じて、現代に生きる私たちが古代エジプト文明について知ることの意義を尋ねた。
「いまは社会が全体的に近視眼的になっている部分があると思うのですが、人類史という大きな流れのなかで自分たちを見てみることは、数千年前からいまと同じようなことが行われていたんだと、自分たちを客観視することにつながるんじゃないかなと思います。時間が離れれば離れるほど、そこで起きていることを感情移入せずに情報として見ることができますよね。古代エジプトは日常生活から死生観や王の権力まで、色々なことを知ることができるので、人間とはどういうものなのかをふと考えるきっかけになるのではないでしょうか。
今回の展覧会でも目玉はたくさんありますが、やはり全体を見て、色々な背景を想像しながら、エジプトの生と死に触れてほしいですね」
河江肖剰(かわえ・ゆきのり)
エジプト考古学者/名古屋大学 デジタル人文社会科学研究推進センター教授
1972年、兵庫県生まれ。1992年から2008年までカイロ在住。カイロ・アメリカン大学エジプト学科卒業。2012年、名古屋大学で歴史学博士号を取得。サッカラの階段ピラミッド、ギザの3大ピラミッドとスフィンクス、アブシールのピラミッド群の3D計測調査、「ピラミッド・タウン」やシンキの小型ピラミッドの発掘など、様々な考古学調査に20年以上にわたって従事。2016年、ナショナル ジオグラフィック協会のエマージング・エクスプローラーに選出される。