公開日:2024年9月13日

瀬尾夏美×小森はるか×久保仁志(慶應義塾大学アート・センター)座談会:アーカイヴの20年【Tokyo Art Beat 20周年特集】

Tokyo Art Beat設立20周年を記念する特集シリーズ。東日本大震災をきっかけに活動開始したアートユニット、瀬尾夏美+小森はるかと、慶應義塾大学アート・センターのアーキヴィストである久保仁志の座談会をお届け(聞き手:ハイスありな[編集部]、構成:ハイスありな、後藤美波[編集部])

左から瀬尾夏美、小森はるか、久保仁志 撮影:雨宮章

Tokyo Art Beat設立20周年を記念する特集シリーズ。「これまでの20年 これからの20年」と題して、6つのテーマで日本のアートシーンの過去・現在・未来を語る。

第6弾となる本稿では、画家・作家の瀬尾夏美と、映像作家の小森はるかと、アーキヴィストの久保仁志が登場。

瀬尾夏美小森はるかによるアートユニットは東日本大震災をきっかけに活動開始。2012年より3年間、岩手県陸前高田市に暮らしながらインタビューとリサーチを重ね、長編映画『波のした、土のうえ』(2014)を制作。2015年に仙台にて、土地と協働しながら記録をつくる組織・一般社団法人NOOKを設立。主な作品に『二重のまち/交代地のうたを編む』(2019)、『11歳だったわたしは』(2021)、『山つなみ、雨間の語らい』(2021)、『台風に名前をつける』(2021)がある。

久保仁志は慶應義塾大学アート・センターに所属し、芸術とアーカイヴの関係性を考えるための企画『プリーツ・マシーン』(2018~)や、VIC(ビデオインフォメーションセンター)とヴィデオアートの先駆者である中嶋興を基軸に、ヴィデオアートからメディア芸術史を再構築するプロジェクト「中嶋興/VICを基軸としたビデオアート関連資料のデジタル化・レコード化Ⅱ」(2020〜2021)などを手掛けている。

記憶と記録の継承に取り組んできた3名が、アーカイヴが必要な理由、記録活動に取り組む意義、誤読の可能性を語る。

Tokyo Art BeatのYouTubeチャンネルにて動画も公開中。

*特集「TABの20年、アートシーンの20年」ほかの記事はこちらから

作家活動とアーカイヴの原点

──はじめに、ご自身の活動においてアーカイヴと記録をどのように見ているか、自己紹介を兼ねてお話しいただけますでしょうか。

瀬尾夏美:いまの制作につながる原点は東日本大震災です。当時はボランティアに行って、役割を与えられる経験がありました。「自分は被災をしてしまって、動くことができないけど、美大生だったらカメラ持ったりするでしょう。もっと遠い場所、違う集落もやられているから、代わりに撮ってきてほしい」と言われて、自分がやってきたことが記録メディアを扱うことでもあったというのが最初の気づきでした。代わりに行って記録したり、その場所で起きていることを伝えたりすることがすごく大事であるというのが原体験ですね。

瀬尾夏美 つどう場 2017

関心として語りを記録したいというところもありますね。言葉にまだなってないけど経験したこと、話してみたいけどまだ言語化できていないこととか。言葉になっていないものをどうやって表に出していくのか、あるいはどうやってテキストに残すか、「物語」を通して考えています。

小森はるか:私は映像メディアを扱っていて、個人ではドキュメンタリー映画など作っています。監督よりはカメラマンに近くて、出会った人たちの声や見せてもらった風景をどのように記録していくかということを撮りながら、また編集しながら考えています。

記録することがいちばんやりたいことの軸としてあるんですが、一方的に撮って見せるのではなくて、被写体の方と一緒に考えたりすることに近いです。こちらが見ているだけではなくて、向こう側からも私たちのことを見ている、そのなかでいかに見えていないものも含めて残せるかということを考えてきました。

小森はるかの長編デビュー作『息の跡』(2017) ©︎ KASAMA FILM+KOMORI HARUKA

久保仁志:僕の仕事は基本的にアーキヴィストと呼ばれるものです。アーカイヴはモノを集積していく、貯めていく、どこかに集める、という定着したイメージがありますが、僕はアーカイヴを、思考するためのひとつの方法だと考えています。

この20年を振り返るというテーマを与えられて、そういえば僕は2004年から芸術資料——とくに美術資料——を対象にこの仕事を始めたのだと思い出しました。2000年周辺は「アーカイバル・ターン」「ドキュメンタリー・ターン」と呼ばれる時期で、美術の分野ではハル・フォスターが「An Archival Impulse」というテキストを書いていたり、アーカイヴ的な方法や要素を明示的に持った美術作品が登場してきている時期にもあたります。そのあたりは、リサーチベーストやプロジェクトベースト、ソーシャリーエンゲージドといったかたちでまとめられるようなアート作品が急激に出てくる時期ともおおよそ重なっていますね。

久保仁志(執筆・編集・デザイン) 「アート・アーカイヴ資料展XIX × プリーツ・マシーン3:中嶋興―MY LIFE」展の展覧会カタログ 『プリーツ・マシーン』3号 慶應義塾大学アート・センター(2019)

美術において、以前は絵画や彫刻のような、恒常的にかたちを維持しているように見える作品がスタンダードでしたが、60年代くらいから、インスタレーションと呼ばれるような、一過性の形体を持ち、展示後に解体されるような作品がどんどん出てきます。しかし、その時期の作品にアプローチしたいと思っても現物がないので、現物=作品の周辺に産出された資料を通してアプローチすることになります。そのため資料の重要性が増してきました。作品を調べるためにはアーカイヴが必要だという考え方が、この20年間でかなり認知されてきたという状況です。

おふたりの話を聞いて、記録していく際に、記録対象との対話のなかで生まれてくるもの、表面に現れていないものを含めてどのように残せるのかという問題は、まさに僕がアーカイヴのなかで考えていることの中心的な問題のひとつだと思いました。よく記録と記憶はどう違うんだみたいな話がなされますが、記憶は内在的なもので、記録は外在的なものだと思います。つまり記憶が外在化されると記録になる。自分しかアクセスできないものが記憶で、それは人間に限らず、生物や人工物などを含むあらゆる存在にあります。だけれども、それを知るためには、記憶のメカニズムとは異なる記録化する仕組みが必要です。アーカイヴもよく比喩として「記憶の部屋」と言われますが、記憶そのものがあるわけではなく、記憶を内包した記録、すなわち様々な物がそこにある、という状態がアーカイヴです。

久保仁志(執筆・編集・デザイン) 左から「〈半影〉のモンタージュ:アーカイヴの一つのモチーフについて」「《おとし穴》──「風景」という〈半影〉」「〈半影〉のカーゴ」(勅使河原宏映画関連資料による「モンタージュとしてのアーカイヴ」研究成果|「JSPS 科研費 26580029」|2017)

風景に刻まれる過ぎ去った出来事

──『波のした、土のうえ』は岩手県陸前高田市で3年間かけて作られた大作ですね。どのような経緯で生まれた映画でしょうか。

瀬尾:『波のした、土のうえ』は2014年の復興工事が始まった頃に作った作品です。私たちは2012年から3年間、陸前高田に暮らしていましたが、住めば住むほど地域の人の顔も見えるし、それをどう伝えるかということが難しくなっていく部分もありました。私は絵を描くので、風景がとても印象的だな、いつか描きたいなと思って、陸前高田を選びました。

その後に訪れる復興工事で、それは、“すべて失った”とされている場所を再び耕してきた時間や、あの人がいた、こんなことがあったと語り合いながら、自分たちの過ごしてきた時間を確かめてきた場所を埋めちゃうようなことで、二度目の大きな喪失だったんです。それは私たちにとっても怖いことでした。残されていた町跡を歩きながら、まちの人たちは過去を思い出し、語り合って、その傍らにいれると聞けることがあって、その時間がとても大切でした。埋めちゃったらどうなるんだろうって。

小森はるか+瀬尾夏美 『波のした、土のうえ』 予告編

久保:物が思い出すための装置になっているのですね。

瀬尾:そうです。風景それ自体が記憶しているものも多くて。風景のなかに、記憶をひらくトリガーみたいなものがあって、そこを歩くことで人々は何かを思い出す。今回の工事では、風景の改変があまりに大きいと感じました。なので、いま残っている町跡からできるだけ記憶を引き出して、それをどうやって定着するか、その方法を考えていましたね。

『波のした、土のうえ』は、語りと風景が重なる映像作品です。作り方としては、まずは陸前高田のまちで暮らしていた方と一緒に町跡を歩いて、とにかく思い出せることを話してもらいます。震災の話もですが、これからの未来のことも含めて様々なことを語ってもらいました。私が一度引き受けて、テキストに書くのですが、そのときに、本人は語らなかったけれど、まちの人が共有していると思われる感覚だったり、風景の描写なども含めてみる。そして、今後は小森さんに託して、小森さんが本人に会いに行って、相談しならテキストを再編集しました。

久保:その時点で小さな継承が起こっているわけですよね。別のメディアに置き換えられていくというか。

瀬尾:そうですね。本人が納得いくかたちになったらテキストを朗読してもらって、その音声を軸にしながら、小森さんが撮っていた映像を当てたりしながら作っていくスタイルでした。

『波のした、土のうえ』(2014)スチル ©︎ KOMORI Haruka + SEO Natsumi

私自身は映像というメディアが苦手なんです。やっぱり、語りは一回性のものであることが重要だと思っています。この空間のなかだからこそ安心して語れた、あるいは信頼関係のなかでこそ語られたということがたくさんありますよね。一回性の会話を何度も録音で聞くことって、なんだかズルしている気がしてしまうし、聞けたことの意味が更新されていくのも違う気がして。会話って、お互いに誤読しあいながら進んでいきますよね。それでも、自分が思っていたことをやっと言葉にできたとか、初めて聞かせてもらった話だとか、これはいい時間だったという実感を大切にしたいです。いかにそういう時間を一緒に作っていけるだろう?ということに興味があります。

そもそも会話というのは、聞き手がどんな人間であるか、語り手とは関係性はどんなかたちか、相槌の打ち方やその場のリアクションがどんなものかによって変わっていきます。だから、会話で語られる言葉を語り手だけの責任にしてしまうことにも違和感があるんです。それで、私のリアクションも含めて、いかに残していくかというのを考えていて。そこには聞き手自身の身体で語り直すプロセスが必要だと思っているんです。

小森:瀬尾さんが書いたテキストを本人に確認してもらうときに、まず文字として読んでいかれるんですけど、基本的にはとても嬉しいと思ってくださります。でも声に出すときに気づくことが本人のなかにあって。自分が話した言葉が文字になって返ってきているんですけど、距離が生まれるというか。気づかなかったことも含めて編集されていく、あるいは声が作られていくようなことが起きていて、それはすごく面白かったです。

久保:記録がそもそも一方的で、客観的なものではなくて、むしろ記録者と記録対象との相互作用のなかで進んでいくものだというのはまさにそういうことですよね。

小森:そういうことが起きていましたね。自分だったら言えないことも声にしてみようというポジティブな気持ちになったり、あるいは癒やされる部分もあって、受け止めてくれていたような時間ですね。読んでいる時間よりも、それを発声している時間の方が長かったりして。

久保:反芻する感じですね。

小森:もう一回読んでみていいですか?ということを繰り返して。

久保:自分の言葉が鏡に映されて返ってくる感じでしょうか。そのなかで誰の言葉かわからなくなっていく。けれど、起点はその人の記憶だし、その人しか体験できなかったことだし、その人にしか起こり得なかった、誰とも交換できないような出来事です。そのような核が絶対あると思います。過ぎ去ってしまって、でもその人が確かに抱えている記憶と呼ぶようなものを何とかかたちにしようというのはアーカイヴの根本問題に近いと思います。

『波のした、土のうえ』(2014)スチル ©︎ KOMORI Haruka + SEO Natsumi

客観的な記録と主観的な記憶の境界線

久保:アンリ・ベルクソン『物質と記憶』という本を書いています。「物質と記憶」はそれまで西洋哲学で言われていた肉体と精神、あるいは物体と観念、という対概念の言い換えでもあります。それまで精神は空間的なものとしてとらえられがちでしたが、それがじつは時間的なものなんだとベルクソンは考えました。空間は諸事物を保存するけれど、時間はその諸状態を破壊していくという一般的アイデアを退け、物体に起こるあらゆる出来事の変移は時間において、空間とは別のあり方、つまり記憶として保存されるとベルクソンは考えました。だから僕らはつねに半分は「いまここ」にいながらも、もう半分は「記憶」のなかにいます。アーカイヴが必要な理由はそれでしかないと思います。僕らの生きる条件として過ぎ去った出来事が無数にあり、記憶によって生かされている。それだけでアーカイヴは作らざるを得ないという気がします。

ジャック・デリダ『アーカイヴの病──フロイトの印象』のなかでアーカイヴの根本的なメディアは言語だと語っています。たとえば、いま話してきた言葉も、かつて誰かが語った言葉じゃないですか。だから私たちはオリジナルな言葉を語っているようでいて、つねに死者が語っていた言葉を語り直している。半分は生者の言葉を語りながらも、半分は死者の言葉を同時に語っているところがあります。普段はそこに気づくことはあまりないですが。つねに情報が更新されていくような現代において、どんどん「いま」に閉じ込められるような時間が発生しているような気もします。歴史の終わりとか、芸術の終わりとか、何とかの終わりと言いたい人が結構いますけど。揮発的な「いま」だけでは世界が成立しない。

瀬尾:何でも終わっちゃうんですね(笑)。

久保:そうですね(笑)。終わらせることによって新たに何かを始めることができるというのはもちろんあるんですけど。

本当に恐ろしいことですが、人類が人類として歩み始めたときから連続したものがあって。それが物としては残っていなかったとしても、人々の振る舞いのなかに残っていたりと、様々なかたちで残存していますよね。そのなかに包まれながら僕らが生きているというのは素朴に驚くべきことだし、それを真面目に考えると絶対アーカイヴが必要だという話になります。過去を考えることなしには現在が考えられない。そもそも現在を考えることは過ぎ去っていく時間、過去について考えることです。記録を作っていくことの面白いところは、未来を作ることでもありながら、過去を作ることでもあるということです。

ドキュメンタリーが客観的じゃなきゃいけないというような、ステレオタイプなドキュメンタリーに対する見方があると思うんですが、おふたりはそういう先入観とまったく別の次元にいる気がします。作品のなかにもありましたが、ベルトコンベアで土がどんどん運ばれてきて、埋まって、新しい土地になっていくシーン——「ベルトコンベアは動き続ける。対岸の山から運ばれてきた土が実家へと続くこの道さえもいつか埋めてしまうかもしれない。私はここへ来ることさえもできなくなるかもしれない。」(『波のした、土のうえ』より)——などです。あの言葉で表現されているのはまさに人生そのものだと思いますし。どうしようもなく、客観的なことを考えられないぐらいいろんなことが起こるなかでしか、記録を作ることができないということ。それを引き受けて作られたんだろうなと思いましたね。

瀬尾:客観的なドキュメントは誰かがやっているだろうと思っていました。当時は、Googleストリートビューカーがつねに走っていて、映像的な情報はすごい数が残されていました。災害体験を語る記録映像もたくさん撮られていました。いっぽうで、新聞記事だとポジティブな被災者像、悲しんでいる被災者像とも定型的な語りになりがちでしたけど、数はたくさんありました。それを見たときに、記録や記述からこぼれているものがたくさんあると思って、それらを定着するためにやれることは何だろうと考えました。

あと同時に、たくさん残してもそれがつねにアクティブに使われていかないと、あんまり意味がないなと思ったんです。デジタルアーカイヴでたくさんの写真が残っていて、タグ付けもされているけど、ベタっとしたデータのままだと、検索する人も興味持つ人もいない。そうすると、アーカイヴを保存・公開するためのコストが見出されなくなって、未来の人が参照することもできなくなっちゃいます。だから、同時代の人と共有することをやりたかったんですよね。

久保:『波のした、土のうえ』はそこに無いものが立ち上がってくる映画だと思いました。僕は出だしからやられました(笑)。

瀬尾:なんだっけ最初?

久保:「確かなこの場所に立つと、ここにあった時間が鮮やかな時間が思い出される」というところからです。何度も繰り返される「確かな」という言葉に痛みが含まれているように感じました。「確か」であることが確信できないから「確かな」という言葉を使う。脆弱な「確かさ」を手繰り寄せようとしているように感じました。つまり出来事は過ぎ去ってしまったけれど、記憶があるし、その記憶のなかに巻き込まれる感情や情動がある。だから「確か」はギャップを埋めるような言葉ですよね。消え去り、もはやそこには無いけれど、体験した人のなかに抱えられた出来事がこのシークェンスからおぼろげに立ち上がり始めます。

『二重のまち/交代地のうたを編む』(2019)スチル ©︎KOMORI Haruka + SEO Natsumi

「断片」と「誤読」に注目する

──リサーチおよびアーカイヴはある種の暴力性を内在していますが、ご自身の活動においてそうした危うさを感じたことありますか。

瀬尾:
作っているプロセスで危ういことをやっているという感覚があります。記憶って膨大なものがあって、一部の言葉にできそうなものを語っているわけですよね。それを聞いて、共感したり、胸打たれたり、私もすごく動かされて、「この部分も言葉にしたかったんじゃないか」とか「こういう気持ちがあるんじゃないか」とか、予想しながら聞くのです。しかし、それをテキストにするときにたくさんこぼれ落ちるわけです。なのに書かれたものだけが残るということも起きます。『波のした、土のうえ』は「ここを一緒に残しましょう」と確かめながら作りたい、という気持ちでやっていましたが、時が経つにつれて、外部のほうも変わっていくので、残ってしまったもの、彼女彼らの関係、社会的な見られ方が変わっていきます。

この作品がひとり歩きして、いろんな場所に越境していってしまうので、セーブすることはできないんですね。やっぱりどうしても、時代時代で読まれ方が変わっていきますし。

だから、アーカイヴは一点で支えられるものじゃなくて、ほかのいろいろな資料や知識とともに読み込まれるべきで、時代背景や、あるいは人間が普遍的に持っている情動的な部分をもって読んでいただけないと、結構危ういと思ったりもします。10年のスパンでさえも危ういと感じています。

久保:ちょうどいまはそれくらいの時間ですよね。

瀬尾:これが100年前だったら違う時代のものとして、もっと関係ないものとして読まれると思うんですけど。短いスパンで読み直されることの難しさも感じたりします。

久保:残った物と人や出来事、または別の諸存在との関係が圧倒的に切断されている。それを結びつけようとするときに危うさが生まれます。断片的なもの、いわゆる個別の資料(記録)がそれ自体で全体を示すものとして見られてほしくないという感覚はアーカイヴに身を置く者としてよくわかります。むしろアーカイヴにいると決定的な答えを出せない感覚に襲われます。

たとえば、展覧会カタログに必ずセットになっている年譜があるじゃないですか。年譜を基準に何かを考えることは研究において一般的です。つまり、この時期にはこの作品を作ってないからまだこんなことは考えていないなどと類推するのですが、ある作品が「1920年に制作」と書かれていたとしても、制作後に20年間ほっておいて発表しただけかもしれないじゃないですか。私たちは残された断片、つまり資料から推論し、制作年を特定するのですが、それは絶対的で確定的な年代ではない。あるアーカイヴにはある出来事の全体が残っているわけではなくて、どこまでも断片しか残っていない。だけど、その断片がなかったら出来事があったことすらわからない。だから断片同士のつながりをどのように考え、その可変性を担保しながらどのように編集していくのかということが重要になります。

もうひとつ、あるアーカイヴを作るということは、それが歴史的に重要であることを示すいっぽうで、それ以外のものは重要でないというコノテーションを持ちます。だからこそ、あるアーカイヴがつねにそれを内側からなし崩しにしてしまうような「外」を孕んでいるようにすること、「外」を担保することが重要だと考えています。そうでないと、アーカイヴは排他的な権力装置以外のなにものでもなくなってしまいますから。

瀬尾:やっぱりテキストで最初に書いちゃった時点で、それを誤読するのは難しいんですよね。わたしは物語を書くうえでは、それはジレンマだなと思いながらやっています。

久保:誤読をしてほしいということですか?

瀬尾:そうです。読む人自身が自分なりに使っていく、日常に落としていくみたいなことをしてほしいですね。

『台風に名前をつける』(2021)スチル ©︎ KOMORI Haruka + SEO Natsumi

コミュニケーションが生まれる美術館

──これから20年どのような活動を展開していきたいですか?

瀬尾:東日本大震災の現場で役割を与えてもらって、ここまで来たという思いもあります。そして今年、能登半島地震が起きましたが、ボランティアが少なく、東日本大震災のときとは違ってアーティストや学者がほとんど来ていない。そのような状況のなかで、東北で活動してきた自分たちが能登で提案できること、具体的に手伝えることがあると思っています。だから、“被災地”の外からやらなきゃいけないことに向き合うことと、いま起きていることを構造的に理解し、それを批評的に考え、精度を上げて描く力量をつけていきたいです。

もうひとつは、アクティビズムとの距離感について。私自身は、丸木位里・丸木俊の存在であったり、石牟礼道子さん、森崎和江さんなど、記録と表現の実践と、運動が混じり合うように歩んだ方々をリスペクトしています。みやぎ民話の会の小野和子さんや、東京大空襲を記録する会の早乙女勝元さんとは交流があって、実際にアドバイスをいただきながら、いままでやってきました。先輩方の活動と自分の進みたい道を、勝手に相似形に感じながら、私自身はいまのメディア環境のなかで何をやっていくべきなのか?と考えています。自分として何を成し遂げたいというよりは、先人たちがやってきたことを見ながらやっていく。大きいビジョンがあるというよりも、この人たちがここまで耕してくれたので続きます!という気持ちですね。

小森:いま話を聞いておかなければいけない人たちがたくさんいると思っています。それは戦争を体験された方とか、いま新潟に住んでいますが、新潟水俣病の患者さんたちもそうですね。いろんな体験をされてきて、語れる人たちに聞けるギリギリのタイミングだなという危機感をすごく感じています。同時に、そういうことを記録して残したいと思っている若い人もすごく増えてきていると思いますね。

先輩たちがやってきた記録運動が絶えないように自分たちなりにも残せることをやっていきたいと思うし、そこに若い人たちを招いていきたい。

瀬尾:全然アートの話してないけど大丈夫かな(笑)。

小森:確かに。

左から瀬尾夏美、小森はるか

瀬尾:でも、美術館でやるのは面白いと思っています。自分たちが大事だと思っていることの温度感がちゃんと再現できる場所って意外と少ないですよ。人の営みや気持ちの問題が視覚的に表現できて、いろんなメディアを混同しながら表現する場として、かつ多様な人がともに居られる場としての美術館には、いろんな可能性があると思います。

自分たちの作る空間では、観客自身が語れるような仕組みを作っています。もちろん、陸前高田や広島で、私たちが見てきたものを見せるんですけど、それを伝えることにゴールがあるのではない。そこからコミュニケーションが生まれて次の動きにつながり、観客自体が何かを思い出し、思考し、語れること自体が重要だと考えています。だから、同時代の記録装置であり、メディアでもあり、対話の場でもあるという意味で、美術館は結構信頼しているんです。そこに収蔵され、図録になり、アーカイヴされていくとことも面白いなと思っています。

『11歳だったあなたへの11の質問』展示写真より ©︎ KOMORI Haruka + SEO Natsumi 撮影:小岩勉 提供:せんだいメディアテーク

久保:「アーカイヴ」という言葉自体はかなり一般化しました。そのために、たんなる資料の保管と利用のみが焦点化されているように感じます。この概念が孕む射程はより広く豊かであると思うので、最初にも話しましたが、アーカイヴが思考するための方法論のひとつであることを探求するための実践をしていきたいです。具体的には芸術作品/資料を表現する、より良いインターフェースの模索、リストの研究、映像の制作などを通してそれらを行いたいです。

プラットフォームとしてのメディア、その先へ

──今後20年のアートメディアに期待することはなんでしょうか

久保:アートメディアに限った話ではありませんが、100年後も読まれたらいいなと思いますね。東日本大地震のデータベースはリンク切れが起こっているところがあったり、メンテナンスをしていなかったりして、せっかく作られた重要なデータにアクセスできないという状態はよくあります。インターネットの情報メディアは本のようにほっといても100年後も読めるようなものじゃないので、難しいかもしれないが、アクセシビリティが確保されているといいなと思いますね。

もうひとつ言うと、瀬尾さんがいままで見なかった背景の構造をこれから見ていきたいとおっしゃっていましたが、ヴァルター・ベンヤミンの考え方で「否定弁証法」というのがあります。夜空の星が輝いて見えるのは暗闇があるからですが、星々を輝かせるその暗闇に目が慣れてくると先程まで見えなかった星が見えてくる。さらにその星を輝かせる暗闇をじっと見つめていると、また新たな星が見えてくる。このようようにポジティヴなものを支えるネガティヴなもののなかを探りながら、無限にポジティブなものとネガティブなものを切り分けて、背景を見出し続けていくような考え方です。これがアーカイヴを支える基礎的な考え方となっている気がします。つまり、ひとつの決定的結論が出ることはなく、つねに背景にある資料が別のものを指し示すんです。

たとえば『波のした、土のうえ』で、僕は服の話をするシーンがすごく好きです。「服はいつかここで浴びたのと同じ光を吸い込んで表面が温かくなっていく」というところです。服を出して、それが陽で温まって、服に触れると僕らはその人に会ったことがないのに、その温もりから、それを着ていたあの方のご両親のことを思うことができる。資料って多分そういうものだと思うんですよね。残存して冷えた衣服に現在の光が当たることによって、無限に芋づる式に背景にあるものを引きずり出していくようなプロセスですかね。そういう仕組みとして機能するといいなと思いますね。

小森:これから20年先が想像つかないぐらい不安定な状況にあると思うんですけど、メディアは何か中断してしまったり、非常時や予測不可能なことが起きたときにつなぎ止めてくれるプラットフォームになりますね。日常的にそこにアクセスしているから緊急時にみんながつながれるような場所になってくれるので、この先どうなるかわからないけど、まず日々読みたいものを発信し続けてくれたらなと思っています。

左から瀬尾夏美、小森はるか、久保仁志 撮影:雨宮章

瀬尾:「アートはなんですか」と問うのは、美術館じゃなくてメディアなんじゃないかという気もしますね。美術館で展示するものには形式的にも限界があるけど、アートメディアはもっと多様なものを紹介できるのではないかと思います。アートの全体の営みをつないでいくのって、アートメディアなのかなという気もしていて。なので、一見アートに関係ないとされているものを紹介しまくってほしいですね。

いま多様な文脈を持った人たちが、いろんな場所で表現をしているじゃないですか。それを評価していくべきかわからなかったり、観客的にはついていけないところもあったりします。そういうものを交通整理したり、批評したり、価値づけしていくのはメディアの仕事だし、メディアが元気になっていったら議論も活発になる気がします。もっと起きていることをみんなで喋れる場所としてアートメディアが元気になってくれたら、なんか良さそうでしょ?(笑)。そういう場所があったら私たちも喋りに行きたいですね。

──期待に応えられるようにこれからも頑張ります!今日はありがとうございました。


YouTubeでも動画を公開中!

*20周年特集「TABの20年、アートシーンの20年」ほかの記事はこちら

Tokyo Art Beatが創立した2004年から今年6月までの約20年間に開幕した展覧会から、ユーザー・読者の推薦と投票によって「ベスト展覧会」を決めるアワードの結果はこちらから

瀬尾夏美(せお・なつみ)
1988年東京都生まれ。アーティスト、詩人。土地の人びとのことばと風景の記録を考えながら、絵や文章をつくっている。2012年より、岩手県陸前高田市に拠点を移し、対話の場づくりや制作を行う。2015年仙台市で、土地との協働を通した記録活動を行うNOOKを立ち上げる。現在は東京で暮らしながら、各地に旅をし、物語を書いている。

小森はるか(こもり・はるか)
1989年静岡生まれ。映像作家。2011年以降、岩手県陸前高田市や東北各地で、人々の語りと風景の記録から作品制作を続ける。代表作に『息の跡』(2016)、『空に聞く』(2018)、『二重のまち/交代地のうたを編む』(2019/瀬尾夏美と共同監督)、『ラジオ下神白』(2023)がある。現在は新潟市在住。

久保仁志(くぼ・ひとし)

慶應義塾大学アート・センター・アーキヴィスト他。プロジェクトの多くはあるアーカイヴおよび具体的諸資料から出発し、それらが包含する様々な時空間的パースペクティヴを編集(モンタージュ)することで起こった出来事だけでなく起こりえた出来事を照射してみせるのだが、その根底にあるのは映画をはじめとした芸術作品における編集の観察・分析・構築を通して人間の経験の諸条件を可変的回路として設計し直す可能性の探求であり生成明滅しつつも過程としてあるこの世界への信にほかならない。近著に『〈半影〉のモンタージュ:アーカイヴの一つのモチーフについて』(「JSPS 科研費 26580029」レポート、2017)、「アーカイヴと思考──クリストファー・ノーラン《フォロウィング》のモンタージュについて」『Booklet 27: 芸術とアーカイヴ──ジェネティック・エンジン』(慶應義塾大学アート・センター、2020)など。慶應義塾大学アート・センターにて芸術とアーカイヴを考えるための企画『プリーツ・マシーン』(2018〜)を行っている。

ハイスありな(編集部)

ハイスありな(編集部)

「Tokyo Art Beat」編集部。慶應義塾大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。研究分野はアートベース・リサーチ、パフォーマティブ社会学、映像社会学。