豊田市美術館で現代作家5名が参加する企画展「未完の始まり:未来のヴンダーカンマー」が1月20日に開幕した。会期は5月6日まで。
出品作家はリウ・チュアン、タウス・マハチェヴァ、ガブリエル・リコ、田村友一郎、ヤン・ヴォー。企画は同館学芸員の能勢陽子。
タイトルの「ヴンダーカンマー」とは、15世紀のヨーロッパで始まった「驚異の部屋」のこと。絵画や彫刻、動物の剥製や植物標本、地図や天球儀、東洋の陶磁器など、世界中からあらゆる美しいもの、珍しいものが集められ、のちの博物館や美術館の原型と言われる。
今回このテーマを掲げるのは、本展が今年4月26日に予定されている豊田市博物館の開館に向けて企画されたため。豊田市美術館の隣に建設される、地域の歴史、文化、産業、自然などをテーマにした総合博物館だ。建築は坂茂が手がける。
企画を担当した能勢は、本展の趣旨について、「博物館が伝える歴史や文化とは何か」を現在において問い直すこと、そして「豊田市という産業都市として、テクノロジーや産業との関わり」という視点を重視したと語る。
ミュージアムの在り方をめぐり、いま世界では様々な議論が巻き起こっている。18世紀の啓蒙の時代、様々な美術品や博物資料が収集され、そのための施設として博物館や美術館が設立された。しかし近年はイギリスの大英博物館が略奪してきた古代ギリシア彫刻群の返還問題をはじめ、かつて強国が植民地時代に収集した遺物の返還要求が頻発。さらに白人男性中心的な美術史の見直しが進むなど、ミュージアムの根幹が大きく揺らいでいる。また美術館や博物館があらゆる人に開かれだ場としてではなく、むしろナショナリズムや固定的な価値観を補完し、排他性を生み出してしまうという懸念もある。
美術館や博物館はいま、自身の成り立ちに潜む有害性や諸問題に目を向けながら、どのような未来を提示することができるのだろうか。また多様性への意識が高まるいま、文化・芸術の価値や真性とはどこに見出すことができるのだろうか。5人のアーティストの作品と実践を通して、この大きな問いに向き合ってみたい。
本展の入口では、ネオン管で作られた光る三角形と、ナイフの刃先を喉元に向けたウサギが鑑賞者を出迎える。可愛らしさを備えた洗練されたヴィジュアルだが、「人工」の圧力を受けた「自然」が自らを死へと至らせるような切迫感も漂う。メキシコ出身・在住のアーティスト、ガブリエル・リコ(1980〜)の作品だ。
本作のように動物や植物といった有機的なモチーフと、無機的な幾何学や方程式を組み合わせるのが、作家のアイコニックな手法だ。そこには、宇宙の自然法則を把握しようとする作家の探究心があるという。
本展では長く共同制作を行ってきたメキシコの先住民に捧げた作品を展示する。伝統的な技である毛糸絵やガラスビーズを用いた作品は美しく、神話や民族のアイデンティティが現代的な感性によって新たにプレゼンテーションされている。また同時に、こうした人々の生み出してきたものに外から向けられる異化のまなざしと欲望も照射されるようだ。
タウス・マハチェヴァは1983年モスクワ生まれのアーティスト。そのルーツはロシア連邦の西南に位置するコーカサス地方のダゲスタン共和国にある。本展では、国や地域を「想像の共同体」として成立させうる大文字の歴史を、批評精神とユーモア、空想によってとらえ直しながら、自身と家族の歴史を形作ろうと探究する作品や、文化や芸術作品、歴史的遺物を独自の手法で扱う作品が展示される。
展示室の中央に置かれた山の彫刻は、ダゲスタン共和国にある山を模したもの。よく見ると山頂を一周する環状道路が見える。本作《リングロード》(2018)は、この道路の建設プロジェクトを実施することができた者が、彫刻作品を手に入れられるという作品。しかしこの事業の実現は、費用やプロセスの面でほとんど不可能に近い。つまり、無料で差し上げますよというふりをしながら、誰も収集しえないというパラドックスを体現しているのだ。
同展示室にはほかに、空想的な旅行記である《トラベルレポート No.0172931》(2019)、1971年にソチで未来科学者が集まったという架空の会議で提案されたアイデアをもとにアクセサリーを作る《セレンディピティの採掘》(2020)が展示されている。
もうひとつの部屋には、2つの映像と1点の写真が展示されている。これらは互いに関連し合うが、独立した作品でもあるという。
《TSUMIKH(鷹にて)》は、作家の祖父で国民的詩人であるラスール・ ガムザートフに関する記憶をめぐる映像作品。複数のシーンで構成されるが、中心となる流れはこうだ。ダゲスタンの山の上に仮設の展示空間が作られ、そこにガムザートフの様々な彫像が設置されたのち、再び撤去されていく。図書館などの施設にもその名が冠されるほど高名だった祖父には、その姿を模ったいくつもの彫像が存在する。それらはこの展示空間でお互いを見あい、どちらがより本物に似ているか探っているかのようだ。「誰がどのようなかたちで祖父を記憶しているのか」を探究する本作を、作家は「記憶の宮殿、記憶の園」だと表現する。そこにはソ連の国民的詩人の姿と同時に、作家にとっての個人的な祖父の記憶も挿入される。たとえば作家は祖父のお腹を模ったものを身につけ、祖父の姿を自らの身体を通して演じてみせる。
《の娘の娘》も家族にまつわる記憶やアイデンティティを、ミニマリズム彫刻のかたちで表現する作品。吟遊詩人でありイスラム学者であったという曽祖父のブロンズ像を、祖父を模った石膏像が囲み、その上を母親の肩幅サイズのコンクリートブロックが包み込む。そうして生まれたミニマルな彫刻には、一見わからないが家族の歴史と身体がマトリョーシカのように封じ込められている。
本作の発端には、作家が「ラスール・ ガムザートフの娘の娘」と名指され、ショックを受けたという経験があるそうだ。作家ほど著名な親族がいなくとも、個人としてではなく属性や血筋で自分の存在を判断されてしまうことへの戸惑いや反発は、多くの人が共感するものかもしれない。
煌めく白い砂のバンカーが広がり、そこにはゴルフクラブと『ライ麦畑でつかまえて』の本が落ちている。その上には、iPhoneが連結されたUFOが光を瞬かせながら浮かんでいる。
田村友一郎(1977〜)の新作インスタレーション《TiOS》(2024)は、骨とチタンを中心に、iPhone、ルーシーと名付けられた猿人の化石人骨、二足歩行、猿真似、「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ」、ジョン・レノン、寝椅子、巨人、人工自然であるゴルフ場、巨人、UFO……と様々なイメージが巨大な蜘蛛の巣のように結びつき広がるインスタレーション。
人間が金属の銅を使い始めたのは約6000年以上前、鉄は約4000年前だが、それに比べてチタンと人間の関わりはずっと短い。18世紀末に発見され、鉱石から取り出す方法が見つかったのが1910年。大量に手に入れることが可能になってからはまだ100年も経っていない。しかしいまではチタンは私たちの生活に欠かせないものになり、さらに身体を補完し、その一部にもなっている。たとえばインプラントなど人工歯に使われているのがチタンだ。チタンは骨と拒否反応を起こすことなく、完全に結合する性質を持っている。また「iPhone 15 Pro」シリーズでもチタンが採用され、いまでは人間の脳と手の延長にあるこの道具にもチタンが含まれるようになってきた。また宇宙船や戦闘機にも欠かせない素材である。
田村は遠い未来に宇宙人がやってきて、チタン製のゴルフクラブを巨人の骨の化石だと勘違いするのではないかと夢想する(チタンは地下に眠る巨人タイタンから命名されている)。そして直立歩行を始めた最初期の猿人ルーシーの骨をチタンで再現し、寝椅子の上に横たえさせる。猿人ルーシーは、発見者がビートルズの「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ」から命名した。そこから本展に設置された宇宙船のような形状に包まれた映像には、AIによって蘇ったジョン・レノンが、こうしたチタンと人類に関する寓意を語る。二足歩行をし、道具を使うようになった人類が、やがてこの鉱物と一体化する姿を「想像してみて」と囁く。
この街がトヨタを擁する自動車産業の本拠地であることを思い出せば、人類史における「移動」の重要性、そして道具とテクノロジーの進歩が変える人間の知覚や身体性といったものにも考えが誘われる。人類史を遡り、遠い未来を覗く、壮大な時間が流れる作品だ。
鉱物の採掘やスマホなどの最新テクノロジーと道具、産業、移動、貿易、音楽……といった要素が、田村からゆるやかにつながって感じられたのが、続くリウ・チュアンの展示だ。
リウ・チュアンは1978年中国・湖北省生まれ、上海拠点のアーティスト。本展では3画面に分割された横長の映像作品《リチウムの湖とポリフォニー》(2023)を展示する。本作はグローバリゼーションのなかで急激に発展、変化していく中国の姿を描き出した作品。携帯電話やパソコン、電気自動車などに欠かせないリチウムのサプライチェーンにおいて中国が国際的に重要な位置を占めているという事実をもとに、丹念な歴史のリサーチとSF的想像力を交えて壮大な映像作品を編み出す。小説『三体』からの影響も受けているそうだ。
「人間をほかの動物から区別する要素として、道具の使用が挙げられるが、私はまた違った考えを持っています。歌を歌い、踊りを踊ることによって、人間だと言えるのではないかと」と、内覧会で作家が語っていたのが印象的だった。本作には少数民族の人々も登場し、ポリフォニー豊かさを示す場面もある。
ヤン・ヴォーは1975年ベトナム生まれ。幼少期に家族とともに故郷を逃れてデンマークで育った。現在はベルリンを拠点に活動している。これまで日本では国立国際美術館(大阪)で個展が開催されるなど作品を見る機会に恵まれてきたが、本展では自身の庭に関係する新作を発表する。
木製の構造体に並ぶ、美しい花々の写真。これらは作家が郊外にある庭で育てたもので、なかには摘まれて街の花屋で売られる花の姿も混ざっている。それぞれiPhoneとライカで撮影され、写真の下には作家の父が美しいカリグラフィで花の名前を書き添えている。
作家は以前から、かつてヴェトナムで殉教したフランス人宣教師が父に宛てた遺書の手紙を、自身の父親に書き写してもらうという作品を発表している。この宣教師は手紙の中で死にゆく自分を神に摘み取られる花に喩えていたこともあり、花の写真はこの手紙の作品の延長線上にあるとも言える。
また写真を収める木製の額には、ヴェトナム戦争を推し進めたアメリカの官房長官ロバート・マクナラマの息子が運営する農場で育った胡桃の木が使われており、ここでも父と子の関係や、ヴェトナムをめぐる歴史が仄めかされる。
また構造体の中央に置かれた彫刻は、古代ギリシアから冷戦期のアメリカまでをつなぎ、美とマチズモに言及するもの。
美しさと暴力性、大きな歴史のうねりと小さな個人、史実とイマジネーション……こうした諸要素を編みこんだ、豊かな広がりを持つ展示だ。
本展の参加作家は、人類学的思考や歴史研究的アプローチなどを使いながら、様々な問題意識をヴィジュアルや音響といった面でも素晴らしい作品に落とし込む。ミュージアムをめぐる問いに対しても、様々な思考のヒントを与えてくれる展覧会になっていた。
ちなみに本展には約1時間の映像作品が3本あり、見応えたっぷり。ぜひ時間に余裕を持って訪れてほしい。
福島夏子(編集部)
福島夏子(編集部)