ターナー賞は、イギリスを拠点とするアーティストに贈られる重要な現代美術賞である。1984年から続くこの賞だが、昨年は新型コロナウイルス感染症の大流行のため開催が取りやめられ、アーティストへの奨学金というかたちに代替された。
現在、じつに1年ぶりとなるターナー賞候補者の展覧会が英コベントリーのハーバート・アート・ギャラリー&ミュージアムで開催されている。今年度のファイナリストに選ばれたのは、アレイ・コレクティヴ(Array Collective)、ブラック・オブシディアン・サウンド・システム(Black Obsidian Sound System)、クッキング・セクションズ(Cooking Sections)、ジェントル/ラディカル(Gentle/Radical)、プロジェクト・アート・ワークス(Project Art Works)という5組のコレクティヴ。
2021年12月1日にコベントリー大聖堂で授賞式が開催され、賞金として今年度の受賞者アレイ・コレクティヴに2万5000ポンド(約370万円)が、その他の候補者にも1万ポンド(約150万円)が授与された。
アレイ・コレクティヴは、北アイルランド地方出身のアーティストとしては史上初のターナー賞獲得という快挙を成し遂げた。作品を通してフェミニズムやリプロダクティブライツといった社会的問題にアプローチしたことが高く評価された。授賞式ではメンバーがベビースリングに子供を抱いて登壇し、会場を大いに沸かせた。
展覧会会場に入るとまず、鑑賞者は6枚のテーブルクロスからなるインスタレーションに出会う。これはジェントル/ラディカルによる作品の一部で、綴られているのは、18世紀に書かれたケルト民族の祈りの言葉だ。カーディフを拠点とする彼らは、アーティストのみならず文筆家やコミュニティワーカー、活動家たちの集団であり、ケアと親愛のネットワークを通じて共同体により豊かで平等な暮らしをもたらすことを目標としている。
今回の展示空間は、冒頭のインスタレーションのほか、コレクティヴのメンバー同士がパーソナルなモノローグを連ねてゆくビデオレター、コミュニティ内での生き方を模索したウォールチャート、ケルト民族の伝統的な歌をヒンドゥー寺院で歌う音楽プロジェクトという4つの要素によって構成されていた。
次に見えてくるのは、ベルファストを拠点とするアレイ・コレクティヴによるインスタレーションである。アレイ・コレクティヴは11人のメンバーから成り、北アイルランドでの妊娠中絶の非犯罪化を支援するパブリックアートなど、地元での社会的問題に対してアートの視点からアクションを展開している。彼らが用意する体験型インスタレーションは、まるで小型のパブのようだ。この空間は、アイルランド地方で「síbín」と呼ばれる、無許可でアルコール販売を行う仮設の居酒屋を模して造られている。鑑賞者はバーカウンターにもたれたり、ソファに腰掛けたりしながら映像作品を鑑賞することができた。
映像作品には、ドラァグクイーンの歌唱やスタンドアップコメディといったパフォーマンスが含まれる。なかでも、北アイルランドのLGBTQ+コミュニティについてのストーリーは印象的なものだった。彼らが拠点とするベルファストは、1920年のアイルランド統治法以来、プロテスタントとカトリックとのあいだでの対立が深刻な状況にあった。
映像に登場する男性は、信条の違いがもたらす混乱や、宗教に紐づけられた同性愛者差別、そして1980年代のエイズ流行が社会にもたらした偏見について、冗談を交えながら独白する。彼が語るのは、プロテスタントとカトリックの同性愛者たちの物語だ。「ゲイはウイルスを持っているかもしれないのだから、彼らと同じグラスで水を飲んだら危ないだろう」……まことしやかに囁かれる噂へのアンチテーゼとして、異なる宗派の同性愛者たちはたったひとつのグラスにワインを注ぎ、順繰りに飲んでいく。宗教的・政治的な対立を煽ることはやめ、自分たちのコミュニティへの誇りと連帯を示すために。
クッキング・セクションズは、展示室床面へのプロジェクションマッピングとオーディオパフォーマンスによって空間を構成した。ロンドンを拠点に活動するアーティスト・デュオである彼らは、「食」の視点から社会への問いを投げかける。床に投影される8つの円は、サーモンの養殖場を空中からとらえたイメージだ。アーティストたちは、養殖サーモンの製造過程に生じる水域汚染を問題視し、安価な食事と引き換えに膨らみ続ける環境コストに警鐘を鳴らす。
この作品を通じてクッキング・セクションズが提案するのは、「CLIMAVORE」と呼ばれる持続可能な食生活だ。CLIMAVOREは菜食でも肉食でもなく、気候変動に対応した農業や酪農の方法を模索し、時には代替食品を選択する食事スタイルのことを指す。展示期間中には、同美術館内にあるカフェでもCLIMAVOREメニューが提供されていた。
暗幕を抜けた先に見えてくるのは、プロジェクト・アート・ワークスの展示空間。とりわけ、会場中心に設置されたスペースをかたち作る大量のキャンバスや大型の絵画作品が鑑賞者の目を惹く。イギリス南東部のヘイスティングを拠点とするプロジェクト・アート・ワークスは、ニューロダイバーシティ(*1)のアーティストたち、およびアーティストの介助者たちと協働し、4000点を超える作品をこの空間にアーカイブした。展示空間の奥にはアトリエが再現され、実際にアーティストがどのように作品を描いたのかを記録したドキュメンタリーフィルムが上映されている。
鑑賞者は、その他のアーティストたちが内装に趣向を凝らして展示空間を演出しているのに比べて、この展示室が「典型的な」ホワイトキューブ(*2)的に使用されていることに気が付くだろう。真っ白な壁に掛けられた大型の絵画は、西洋美術が内包してきたある種の権威を纏ってさえいる。ニューロダイバーシティのアーティストたち、特別なケアを必要とするアーティストたちの作品をこの空間で鑑賞することは、我々が無意識のうちに容認してきた美術界の保守的な特権性に揺さぶりをかける行為なのかもしれない。
会場のもっとも奥に位置していたのは、ブラック・オブシディアン・サウンド・システム、通称B.O.S.S.の展示スペースだ。彼らは南ロンドンを拠点とし、クィア、トランス、ノンバイナリーの黒人/有色人種のアーティストによって構成されている。
今回の展覧会では、2種類の連続するスペースが用意された。最初の空間は、地域の不可視化されたコミュニティを記録し、接続し、彼らの集合的な声を増幅させるためのスタジオスペースとして利用されている。B.O.S.S.は、コミュニティラジオグループのHillz FMと共同でライブストリームラジオ放送を開催し、コベントリーの地元の活動家やコミュニティグループと共同でワークショップに取り組んだ。
第2の空間には、スタジオスペース横の廊下を通って入場できる。ここに展示されているのは、映像、ライティング、サウンドスコアなどを組み合わせた没入型のインスタレーション《The Only Good System is a Sound System》だ。英国における抑圧と差別の歴史を背景に、周縁化されてきたグループの団結をテーマとしたこの作品は、2021年のリバプール・ビエンナーレにも出品されていた。B.O.S.S.は、部屋の中央に置かれたスピーカーを、人間に集団的な喜びと癒しをもたらす神聖な空間を作り出すための象徴的なアイテムとみなしている。
今年度のターナー賞は、候補アーティスト全組が個人ではなくコレクティヴであることや、B.O.S.S.が賞のスポンサーであるテートに対し、労働環境の改善や差別の撤廃を求める声明を発表したことが注目を集めていた。このような動きは、予想もつかない突飛なアイデアだろうか? 実際のところ、すでに2019年のターナー賞では候補者4人が共同声明を発表のうえ、全員が同時受賞するという結末を迎えている。もはや、権威ある組織が一方的に候補者を競わせ、ひとりの勝者をもてはやすような芸術賞は求められていないとさえ言えるのかもしれない。個人への「礼賛」から、他者と手をとり合う「連帯」へ―芸術賞が果たす役割は、Brexitやコロナのパンデミック、BLM運動といった現実社会の脈動と共鳴し、大きな変化を遂げている。
*1──「脳多様性」や「神経多様性」などと訳され、「脳や神経のあり方には、人それぞれに違いがあり、それらは人間の多様性の一つとして尊重されるべきである」とする考え方を指す。
*2──四方の壁が真っ白に塗られた立方体のような展示空間。美術作品を展示する環境の代名詞として、世界的に浸透している。