黒人の歴史や文化と、市井の人々の手仕事に美を見出した日本の民藝運動をつないだコンセプト「アフロ民藝」などでも知られ、彫刻から陶芸、音楽、地域再生まで幅広い領域で活躍するアメリカ人アーティスト、シアスター・ゲイツ。その日本初となる個展「シアスター・ゲイツ展:アフロ民藝」が4月24日、森美術館で開幕した。会期は9月1日まで。
シアスター・ゲイツは1973年シカゴ生まれ。現在も同地を拠点に活動している。
個人の表現者として、土という素材や、人と空間の関係性、「ブラックネス(黒人であること)」の複雑性の探究などに基づいた制作を展開。各地の美術館や国際美術展で作品を発表するいっぽう、シカゴの黒人居住区であるサウスサイド地区で40軒以上の廃墟を改装し、市民に開かれたアートセンターとするなど、黒人の歴史の継承やコミュニティの再生にも取り組んできた。2023年には、英『ArtReview』誌が毎年発表する影響力ランキング「Power 100」で7位に入っており、現在もっとも注目される作家のひとりと言える。
日本との関わりが深いことでも知られ、とりわけ、1999年に初めて訪れ、2004年には陶芸の恩師に勧められ、焼き物のプログラムに参加するため滞在した愛知県常滑市は重要な土地だ。日本六古窯のひとつであるこの地で、ゲイツは熟練の職人や素材の新たな魅力に出会い、以来、日本の文化への関心を深めていく。国際芸術祭「あいち2022」では、かつて土管を製造していた同地の旧丸利陶管の建物に、音楽、健康、陶芸研究のためのプラットフォーム「ザ・リスニング・ハウス」を立ち上げた。「常滑は私を変えてくれた場所であり、より良いアーティストになるための訓練や刺激を受けた、世界でもっとも重要な場所のひとつ」とゲイツは語る。
本展のタイトルでもある「アフロ民藝」は、このような異なる文化やつくり手たちとの関わりのなかで育まれてきた独自の美学だ。ゲイツが「民藝」の概念に出会ったのは、その提唱者のひとりである柳宗悦の『The Unknown Craftsman』(バーナード・リーチ編、講談社インターナショナル、1972)がきっかけだったという(『美術手帖』2023年4月号、菊池裕子によるインタビューより)。ゲイツは内覧会の配布資料のなかで、この運動が持つ政治的な側面にも注意を促しつつ、「私にとって重要なのは、民藝がその土地に根付くつくり手に敬意を払い、外部からの文化的アイデンティティの押し付けに抵抗するその方法」と書いている。
彼がこうした民藝のあり方に惹かれたのは、それが1950年代以降の公民権運動のなかで謳われた標語「ブラック・イズ・ビューティフル」のような、黒人の文化的アイデンティをめぐる闘いの物語と重なるからだ。このふたつの運動を結んだ「アフロ民藝」は、ゲイツにとって「自分なりの真実を検証するための言葉を与えてくれるもの」であり、異なる文化同士の「融合」や「衝突」ではなく、「むしろ、ものづくりと友情を通じて、人が文化の持つ影響力の可能性に身をゆだねたときに何が起こるかを示すもの」だという。
展覧会は、大きく5章で構成される。最初の章「神聖な空間」は、ゲイツのこうした多様な文化との関わりや影響関係を、彼自身の作品や、彼と日本のつくり手たちとのコラボレーション作品、また先行する表現者の作品などを通して象徴的に見せている。
冒頭に置かれているのは、1925年、その調査中に柳らが「民藝」という言葉を考案したとされる木喰上人の木彫作品と、タール(コールタール)の職人だった父が葺いた屋根を剥がして作品に使用した代表的シリーズ「タール・ペインティング」の一作という、現在のゲイツの起源を示すようなふたつの作品だ。
そこから歩みを進めると、今回の展示のために常滑で焼かれた約1万4千個のレンガが敷き詰められた空間が広がる。この部屋の厳かさは、京都の香の老舗「松栄堂」と協働した作品が発する香の匂いや、ゴスペル音楽などに使われるハモンドオルガンと7台のスピーカーからなるインスタレーション《ヘブンリー・コード》(2022)が奏でる音によって高められていた。内覧会では、ゲイツらが後者の作品を使ったパフォーマンスも行った。
この空間では、ゲイツの美術史に対する批評性も感じられる。たとえば、旧軍事施設の床材を使用した《アーモリー・クロス #2》(2022)は、ベトナム戦争時にこの施設で出征前の式を行った黒人を多く含む若者へ向けられた作品であり、そのフランク・ステラ風のストライプは、黒人不在で語られてきた従来のアメリカ美術史を問いかける。また、それと斜向かいの壁に掲げられた《天使》(1971)は、ニューヨーク近代美術館で回顧展を開いた最初のアフリカ系アメリカ人の彫刻家であるリチャード・ハントの作品で、2023年12月のハントの死後にゲイツがコレクションし、今回展示されたものだという。
続く「ブラック・ライブリー&ブラック・スペース」では、ゲイツがこれまでさまざまな個人や施設から引き継ぎ、市民に公開してきたアーカイブが並ぶ。巨大な棚に収められた主に黒人に関わる約2万冊の書籍は、手に取って閲覧することも可能。その資料のなかには、雑誌『EBONY』や『JET』などを通じてアフリカ系アメリカ人の生活や視覚文化に影響を与えた「ジョンソン・パブリッシング・カンパニー」(以下、JPC)から引き継いだものものもある。
さらにその隣の一室では、ゲイツがシカゴで行ってきた、廃墟となった建物をアーカイブ施設やアートセンターとして再生させる建築プロジェクトなどを紹介。JPCで使われていたソファに座りながら資料を読むこともでき、コミュニティのなかで黒人の記憶を継承してきたゲイツのまたひとつの活動を感じられる一角となっている。
展覧会はここから、「ブラックネス」「年表」の章へと続く。前者の部屋には、アメリカの黒人陶芸や、アフリカ、日本、朝鮮、中国の陶芸など、ゲイツが触れてきた様々な要素が顔を覗かせるシリーズ作品《ドリス様式神殿のためのブラック・ベッセル(黒い器)》(2022〜23)が並ぶ。この陶芸群は、常滑の穴窯をシカゴのスタジオにも作り、そこで焼かれたものだという。
また同じ部屋には、シカゴの取り壊された小学校の体育館の床を直角に立ち上げた《基本的なルール》(2015)や、屋根の補修に使われる「工業用トーチダウン」という素材を用いた7点組の作品《7つの歌》(2022)もある。前者はシカゴの小学校をめぐる状況を、後者は父との個人的な物語をテーマにしたもの(7という数字は8人兄弟の末っ子であるゲイツの7人の姉も暗示する)だが、抽象絵画やミニマリズムも想起させ、過去の様式に対するゲイツのコンセプチュアルなアプローチも感じることができる。
他方、「年表」の部屋では、常滑や民藝の歴史、アメリカ黒人史、ゲイツ自身の歩みに加えて、彼が初期の活動のなかで生み出した、渡米して黒人女性と結婚した架空の日本人陶芸家「山口庄司」にまつわるプロジェクト「ヤマグチ・インスティテュート」の年表など、ゲイツをめぐる複数のタイムラインを通して、その活動を立体的に知ることができる。
本展の最後を飾るのは、「アフロ民藝」の章だ。このパートでは、冒頭の「神聖な空間」の静謐さとは対照的に、ゲイツが刺激を受けてきた日本の作り手や陶芸との関わりから生まれた作品を通じて、展覧会そのもののタイトルでもある「アフロ民藝」のコンセプトをエネルギッシュに感じることができる。
なかでも目を引くのは、巨大な壁一面を埋める「小出芳弘コレクション」と、《みんなで酒を飲もう》(2024)を中心とした一角だろう。前者は常滑の陶芸家、故・小出芳弘氏が遺した4トントラック3台分にもなる膨大な作品を展示したもの。小出氏の死後に彼の棚を見たゲイツは感動し、氏の息子からこれらの品を引き継ぐことにした。膨大な陶芸群は、本展の終了後にはシカゴに運ばれ、同地での陶芸研究に活かされていくという。
いっぽうの《みんなで酒を飲もう》は、ゲイツが滋賀県の信楽で出会った大量の「貧乏徳利」を用いたインスタレーションだ。
貧乏徳利は、家庭で飲まれた後に酒屋に戻され、もう一度酒を入れるための酒瓶であり、ゲイツはこの古いシステムに感銘を受け、酒文化を讃える意図も込めてこの展示を手がけた。周囲には、ゲイツが常滑の澤田酒造と作ったオリジナルの酒「門」(gate)が置かれているほか、氷山とミラーボールを組み合わせた《ハウスバーグ》(2016)の回転する光や、ターンテーブルからの音楽も鳴り、さまざまなものが混ざり合うディスコ的な空間が演出されている(内覧会ではゲイツ本人がそのターンテーブルを使い、Earth, Wind & FireやThe Stylisticsなど、往年のブラックミュージックの楽曲をプレイしてくれた)。
さらにこの展示室では、ゲイツの遊び心や柔軟性も感じることができる。たとえば展覧会の最後に飾られた平面作品では、画面上の「アフロ・ミンゲイ」の文字に誤字があったため、応急処置が施された跡が残る。また、床置きされた《抹茶酒》(2024)などの作品は、もともと別の部屋に置く予定だった「タール・ペインティング」に、輸送中、偶然折り目がついてしまったことを機に、急遽このかたちでの展示となった。担当学芸員のひとりである森美術館の片岡真実館長によれば、美術館側も展示がどのようなものになるのかギリギリまでわからず、かなり即興性の高い展示プロセスだったという。
異なる文化との接触を通じて、黒人をめぐる複雑な視点を探るとともに、文化の交流の豊かな可能性を独自の美学へと転換してきたゲイツ。本展では、そのしなやかな想像力を存分に感じることができるだろう。
杉原環樹
杉原環樹