パリ市立近代美術館で「The Atomic age : Artists put to the test of history(原子の時代:歴史の試練に挑む芸術家たち)」が10月11日から2025年2月9日まで開催されている。
本展は原子や核の存在が20〜21世紀のアーティストにどのような影響を与え、芸術的な応答を生み出してきたのかを多角的に探る画期的な展覧会。絵画やデッサン、写真、ビデオ、インスタレーション、資料など約250点が集まり、原子や放射能の科学的発見から、核兵器がもたらした残虐な殺戮、大量消費時代のスペクタクル化、反植民地運動やフェミニズム運動における抵抗、チェルノブイリと福島第一原子力発電所事故以降までをたどる。会場冒頭の説明では現在のウクライナ戦争や、そのほか技術的先進国が引き起こしている地政学的問題にも触れ、「原子の時代は、私たちの現在である」とする本展。現代の時事的なテーマを文化面から検証するという明確な企画意図が示されている。
原子爆弾が投下された国である日本のアーティストや市井の人々による原爆の絵なども多数紹介されていた。ここでは時系列とテーマ別で構成された本展のハイライトをお届けしたい。
展覧会はアメリカの抽象表現主義とカラーフィールド・ペインティングの代表的存在であるバーネット・ニューマンの小型の絵画《Pagan Void》(1946)で幕を開ける。本作はアメリカによる日本への原爆投下を受け、神話的イメージを取り入れながら制作されたものだ。歴史的事象をもとに抽象化がなされた本作は、本展を象徴するものとして最初に配置されたのだろう。
続いて本編は、20 世紀初頭の原子や放射能に関する科学的発見が、芸術にどのような影響を与えたのかを紹介。マリ・キュリーの資料などとともに、美術史に大きな変革をもたらした作家たちの作品が紹介される。
本展が注目するのは、原子や放射能といった目に見えない存在の発見が、芸術における「物質」のとらえ方に大きな変化を与えたということだ。自然の模倣というアートの定型から逃れたいと考えたアーティストたちにとって、不可視のエネルギーは新たな創造の泉となった。たとえば抽象絵画の先駆者であるワシリー・カンディンスキーやヒルマ・アフ・クリントは科学と神秘主義、オカルティズムを組み合わせ、世界の新しい認識の仕方を探求し、ときに精神的、ユートピア的なイメージの絵画を残した。
モダン・ダンスの先駆者とされるダンサー、ロイ・フラーもキュリー夫妻と交流し、衣装にラジウムを用いて新たなエネルギーを表現することができないかと考えた。
またマルセル・デュシャンは物理学者ジャン・ペランの著書『原子』などを読み、自身の考案した概念アンフラマンス(極薄、超薄)において原子を特別に重要なものと位置付けた。デュシャンが先鞭をつけたレディメイドという方法は、芸術の価値を物質的側面から解放するコンセプチュアル・アートの登場を導いた。
また20世紀前半の作品に加え、こうしたアプローチを受け継いだシグマール・ポルケ、ピエール・ユイグら現代作家の作品が合わせて展示されている。
1945年7月、ニューメキシコの砂漠で初めて核爆弾の実験が行われ、現在へと続く核兵器の時代が幕を開けた。
本セクションではロバート・オッペンハイマーらが主導したアメリカの核実験に関する資料写真に続き、日本における原爆の凄惨な被害の記録と、敗戦という決定的なトラウマを抱えた戦後日本の前衛アーティストたちの表現にフォーカスする。
原爆による惨禍を伝える写真として、元中国新聞社カメラマンで原爆投下後の広島を撮影した松重美人、旧日本軍の報道カメラマンとして原爆投下直後の長崎市を撮影した山端庸介の写真を紹介。
また1974〜75年と2002年に広島平和記念資料館が収集した、被爆者たちが自らの原爆体験を描いた「原爆の絵」のコピーも大きな壁一面に展示され、それぞれの絵が伝える状況の説明などもキャプションで示された。
1961年に長崎を取材した東松照明や、原爆ドームに残されたしみを撮影したシリーズ「地図」を1960年代に発表した川田喜久治、被爆時に子供だった人々を33年後に撮影した「ヒロシマ1945〜1979」で知られる土田ヒロミの作品からは、戦後日本が原爆の記憶とどう向き合ってきたかの一端が示される。
また同室には、オノ・ヨーコの《Hiroshima Sky Is Always Blue》(1995)が響き、奇妙な緊張感が立ち込める。敗戦後の高度経済成長期における日本人の屈折した精神性が見て取れる前衛芸術家たちの作品も。イサム・ノグチや中西夏之のオブジェ、「アメリカの新たな植民地主義政策と、ナチス・ドイツの同盟国であり中国と韓国において戦争犯罪を行っていた日本の軍国主義との共犯関係を問い直した『反芸術』集団」としてハイレッド・センターの「シェルター計画」などが並ぶ。
しかし、日本で戦後教育を受けてきた筆者としては、原爆をめぐる本展の態度にはいくつかの違和感を持った。たとえば「原爆の絵」の1枚が、たんなる誤りか美的判断からかは不明だが天地逆で展示されていた。また日本の戦争責任は重要な課題ではあるが、「反芸術」集団の説明の流れでナチス・ドイツの同盟国であったことや戦争犯罪が強調されたことで、「シェルター計画」につながる日本の被爆経験という文脈から脱線していないか、といったことなどは疑問も感じた。
展示に戻ろう。日本への原爆投下と、続く冷戦体制は世界各地のアーティストに様々な影響を与えた。たとえばエンリコ・バイとセルジオ・ダンジェロは1951年にミラノで「核美術運動」を立ち上げ、翌年「核絵画宣言」を発表。「真実は原子のなかにある」と主張する彼らは、同時代のアンフォルメルにも通じる手法で爆発と荒廃した風景を描き、新しいエネルギーの脅威を風刺的に表現した。バイの作品では、キノコ雲のなかに胎児の姿が見られる。
スイス出身のグラフィック・デザイナーのハーバート・マターは、地球をじっと見つめるような頭部にキノコ雲を配した。またイギリスを代表する芸術家ヘンリー・ムーアは原子の球体と頭蓋骨、そして大聖堂を組み合わせたかたちの彫刻を制作している。
こうした作家たちの作品からは、加速度的に発展したテクノロジーを駆使する人間の行いが地球の地質や生態系に甚大な影響を与えていると考える近年の「人新世」にもつながるものがあるだろう。
核がもたらす「恐怖」を表現した作品も次々と生み出された。キューバにおいて現代アートを牽引したヴィフレド・ラムは、1930年代にピカソの《ゲルニカ》から決定的な影響を受けた画家であり、冷戦の只中である1960年代に核に対する反対の立場から絵画を制作している。
フランシス・ベーコンは様々な映画や大衆メディアからイメージの引用を行ったことで知られるが、映画『ヒロシマ・モナムール』のワンシーンからもインスピレーションを受け、自身の恋人ジョージ・ダイアーの死と絡めて喪失を描きだす。
ベルリンダダの創立者のひとりであるラウル・ハウスマンの映像《The Man Who Is Scared of Bombs》(1957)では、ひとりの男性が室内で爆弾の到来に怯え目を剥き狼狽える姿がひたすら映し出される。
こうした時代の集団的恐怖を逆手に取り、自己プロモーションに利用したのがサルバドール・ダリだ。原爆以降ダリは原子構造に興味をもち、その理論を作品に反映させた「原子核神秘主義」を喧伝した。
いっぽう同じくシュルレアリストの画家であるヴォルフガング・パーレンは、1945年の原爆投下前から核兵器の道義的危険性に声をあげてきた人物。1942年には《核の車輪》を発表し、移住したメキシコの宇宙論も参照しながら核爆弾研究の危うさを表現した。
原爆投下やビキニ環礁などでの核実験で記録されたキノコ雲のイメージは、破壊と恐怖だけでなく、時に新時代の到来を告げるポジティブなものとしてメディアに登場してきた。とくに写真と映像においてキノコ雲は“写真映え”するオブジェクトとなっていく。
アメリカでは「ミス・アトミック」なる美人コンテストが開催されており、キノコ雲を体にまとって高らかに笑う女性の姿はなかなか衝撃的だ。第二次世界大戦後、ヨーロッパやアメリカでは原子力プロパガンダが広まり、アイゼンハワー大統領が1953年に国連総会で行った「平和のための原子力」演説はこうした動きをさらに後押しした。
欧米の表象とはまた異なるものとして、日本のマンガ『はだしのゲン』『AKIRA』の巨大パネルも会場に登場した。
続いて展示は、「シェルター」の表象へ。原爆や水爆の脅威が身近に迫る時代、そこから身を守るシェルターや、その外に広がる荒廃した世界へのイマジネーションも広がっていく。ここでは工藤哲巳の不気味なインスタレーションをはじめ、池田龍雄、河原温、ミリアム・カーンらの作品が紹介された。
また、ドイツ人アーティストのスザンネ・クリーマンは本展のための新作インスタレーションを発表。ソ連の核開発のためにウランを供給していた東ドイツの森で、汚染された植物のリサーチをもとに作品を制作した。
後半は、加速する核文化への抵抗をたどる展示だ。1960年代以降、大量消費時代において核のイメージがポップ化、スペクタクル化するのに伴い、こうした政治状況やカルチャーに抵抗する動きが各地から登場した。
女性のアーティストやフェミニズム・アクティヴィストたちは、核爆弾を生み出す根底にある男性的な軍国主義を批判し、時に自らの身体や性的イメージを社会に対する爆弾として撹乱的に用いた。代表的な例として、草間彌生のニューヨークにおけるヌードのパフォーマンス、また“エネルギー”を身に纏う田中敦子の《電気服》が紹介された。
フェミニズム・グループの抗議も興味深い。たとえば1979年にイギリスのグリーンハムコモン軍事基地を含むヨーロッパ各所に核ミサイルを配置するというNATOの決定を受け、グリーンハムコモン女性平和キャンプはその後20年続く抵抗キャンプを組織した。女性の労働と相互関係の象徴として蜘蛛の巣のかたちをしたショールを編み、鉄格子にかけたりる盾のように掲げられたりしている様子が写真から確認できる。
ロサンゼルスで1981年に結成されたシスターズ・オブ・サバイバルはフェミスト反核パフォーマンス・グループ。修道女を思わせるカラフルな衣装を見に纏い、核がなく多様性に溢れた世界に向けた希望を示した。グリーンハムコモン女性平和キャンプをはじめ、各地の反核グループとも提携したという。
また本セクションには、環境活動家で反核活動家のグスタフ・メッツガーによるオブジェも展示され、存在感を放っていた。
続いて、植民地主義と核の関係を問う展示へ。イギリスはオーストラリアの先住民族の土地で、フランスはアルジェリアの砂漠で、ソ連はカザフスタンの草原で、アメリカは先住民が暮らす南西部や太平洋で、繰り返し核実験を行なってきた。1980年代には先住民の活動家たちが「核植民地主義」という概念を考案し、核を通じた領土的支配について批判を展開した。
壁には地域ごとに、先住民グループらの活動などに関する資料や写真が展示されており、興味深い。著者にとっては馴染みの薄いところが多く、より多くの説明とともにこうした議論や文化活動について知りたいと感じた。
最後の展示室は、原子力発電所が世界各地に行き渡り、チェルノブイリや福島における未曾有の原発事故を経験した後の世界における表現を紹介。こうした事故が人間のみならず地域の生態系にも不可逆的な影響を与えること、そして未だに大国が多数保持する核兵器による危機について思考が促される。
本展は20〜21世紀の歴史を「原子」を軸にたどり、芸術、科学、政治の結びつきを示しながら時代ごとの表現における核や原子力の表象を多角的に検証した有意義で充実した展示だった。今年、ノーベル平和賞を日本原水爆被害者団体協議会が受賞したが、私たちはまだ終わらない「原子の時代」を生きている。時代を映す鏡であるアートを通して、いま改めてこの時代について考えてみたい。
The Atomic age:Artists put to the test of history
パリ市立近代美術館
10月11日〜2025年2月9日
公式サイト:https://www.mam.paris.fr/en/expositions/exhibitions-atomic-age
福島夏子(編集部)
福島夏子(編集部)