公開日:2023年6月5日

テート・ブリテンのコレクション展再編。「芸術か政治か」との議論が起きた、新しいイギリス美術史が示すものとは

イギリス美術を収集するテート・ブリテン(ロンドン)が10年ぶりとなるコレクションの包括的な展示替えを行った。移民や女性といったマイノリティの視点もふまえた構成が賛否両論を巻き起こしているこの新しい展示について、現地からレビューをお届け。

会場風景より @Tate

アートが語る社会語らなかった社会:テート・ブリテンのコレクション展再編から

1500年以降のイギリス美術を収集する国立美術館、テート・ブリテン(ロンドン)。10年ぶりに展示替えが行われた常設展が、5月23日にオープンした。2000年以降に収集された200点以上の新収蔵品を含めて行われた今回の展示替えは、テート・ブリテンの美術館としての姿勢を刷新するような意欲的な取り組みとなった。本稿では、女性アーティストや移民アーティストにも焦点をあて、新たな姿に生まれ変わった美術館の様子を現地よりレポートする。(クレジットのない写真は筆者による撮影)

テート・ブリテンの常設展は、大きく2つのセクションに分かれて構成されている。メインフロアの中央通路を挟んで正面左側の展示室群は第二次世界大戦以前のイギリス美術史を、そして右側の展示室群は戦後イギリス美術史にフォーカスした内容のコレクションを公開している。

誰が何を描かせるのか?:「イギリス美術」をかたち作ってきたもの

「Exiles and Dynasties」の展示風景

第二次世界大戦以前のイギリス美術のセクションは、1545年から1640年にかけて描かれた肖像画のコレクションから始まる(*1)。そのタイトルを「Exiles and Dynasties(流れ者と王家)」とする最初の展示室には、アンソニー・ヴァン・ダイク《スペンサー家の貴婦人》(1633〜38)などを中心に、当時の王侯貴族たちを描いた肖像画が集められている。当時の英国で人気を博した芸術家のほとんどが、宮廷画家としての職業機会を求めてやってきた北ヨーロッパ系移民であった。その中には、母国での宗教的迫害から逃れるために難民としてやってきた者も多く含まれていた(*2)。

しかし、鑑賞者は豪奢を極めた貴族たちの肖像画の間に、ぼろぼろに使い古されたような2つのスーツケースを見つけるだろう。このセクションは16世紀から17世紀の作品を主に展示しているが、これらは祖国のレバノンで内戦が勃発し、帰国が困難になったことをきっかけに英国に定住した作家であるモナ・ハトゥムの作品《Exodus II》(2007)だ。2つのスーツケースは、人間の髪の毛によってつながれている。それぞれの荷物はある場所から別の場所への旅路を、荷物をつなぐ髪の毛は2つの場所のあいだに立往生する人間の姿を表している。

「Exiles and Dynasties」の展示風景 ©︎ Tate

上流階級の肖像画とハトゥムのスーツケースの組み合わせは、鑑賞者にひとつの疑問を投げかける。私たちが「イギリスらしい」と思っている作家や作品があるとしたら、それらを規定するものはいったいなんだろうか?チューダー朝時代から現在まで、英国の芸術界を支えてきた移民たちの存在が、美術館という空間で語られたことはあっただろうか? 常設展の起点となる展示室がこのような作品の見せ方をしていることは、華やかな作品の背後にある国際的・政治的な権力関係のダイナミクスを鑑賞者に印象付ける。この最初の展示室のキュレーションは、今回の展示替えによってテートが鑑賞者に何を訴えたいのかを明確にしているといえよう。このハトゥムの作品を皮切りに、戦前の美術史を扱ったセクションのほぼすべての展示室は「歴史的作品+その時代に呼応するような現代作家の作品」という組み合わせで展開される。

続く展示室「Court versus Parliament(裁判所対議会)」では、1640年から1720年にかけての英国の社会的・政治的変革に焦点があてられている。なかでも興味深いのが、英国で最初の女性画家といわれるメアリー・ビールの作品だろう。当時のイギリスでは女性の職業選択の場は限られていたものの、彼女は17世紀に肖像画家として成功を収めた人物である。同時代に活躍した他の画家たちのなかでも現時点での知名度が高いとは言い難い彼女だが、今回の展示替えで大いに注目された作家のひとりだ。

「Court versus Parliament」の展示風景。椅子としても使うことのできる木製の家具は、ニルス・ノーマン《Sparkles of Glory》の一部
「Court versus Parliament」の展示風景。今回の展示替えは、これまでそのほとんどが男性作家に占められていた常設展のジェンダーバランスを見直し、彼女のように十分な実力がありながらもその存在を知られていなかったアーティストたちを美術史の文脈に組み入れ直す、ということにも重きが置かれている

また、この展示室の中央に掛けられたジョン・ジェームズ・ベイカー《ホイッグ党員》(1710)は、イギリスの強烈な階級社会と、そこに潜む差別意識を浮き彫りにした作品だ。豪華な衣装を纏い、堂々とした佇まいのホイッグ党員たちの背後に、いかにも重そうなカーテンを持ち上げている黒人男性の姿に気づくだろうか。この黒人男性は、その素性はもちろん、実在した人物なのかどうかすらまったく記録に残っていない。西アフリカからの奴隷貿易で莫大な利益を生み出していた18世紀英国の上流階級にとって、黒人使用人を家に置いていることは富と権力の象徴であった。ここで黒人男性は、白人エリートの豊かさを強調するだけのために描きこまれた「演出」として非人間的な描かれ方をしているのだ。

「Court versus Parliament」の展示風景。この《ホイッグ党員》を囲むように展示されているのは、1640年から1660年にかけて出版された自費出版のパンフレットや新聞記事だ。これはニルス・ノーマンによるインスタレーション《Sparkles of Glory》(2022)の一部であり、当時のイギリスで興ったものの歴史には刻まれていない、ラディカルなアクティビズムやユートピア的な言説に光が当てられている

18世紀に入ると、イギリスは戦争での勝利を契機に欧州内での立場を強め、インドへも進出した。いまではイギリスの定番となっている砂糖たっぷりのミルク紅茶は、植民地支配を背景として発展した食文化だ。展示室「Metropolis(大都市)」では、この時代に発展したイギリス美術の典型的な肖像画の形式である「カンバセーション・ピース」(*3)が紹介されている。

「Metropolis」の展示風景。中央に位置しているのは、カリブ地域の黒人たちの労働によって大量生産されたマホガニーの椅子を素材としたソニア・E・バレットの《チェアNo.35》(2013)
「Metropolis」の展示風景より、パブロ・ブロンスタイン《モリー・ハウス》(2023)。モリーハウスは、18世紀英国で、同性愛者の男性が集まる社交場だった。当時は同性愛が犯罪だったため、モリーハウスは歴史の中で隠されてきた存在だったが、ブロンスタインはクィアの存在を隠蔽することのない「18世紀」を想像している

また、続く展示室「Troubled Glamour(波乱に満ちた栄華)」は、トマス・ゲインズバラやジョシュア・レイノルズといったイギリス黄金時代の画家たちを紹介するとともに、その背後に垣間見える様々な労働問題にも触れている。この時代の美術作品はほとんどが優雅な上流階級の生活を描いたものだが、それは当時のイギリスが優雅で美しい貴族のための国だったということを意味しない。絵の中に何が描かれ、何は描かれないのか? 主題の選択は、つねに作品の制作に資金を提供する上流階級の側に委ねられていたといえる。

「Troubled Glamour」の展示風景より。中央のガラスケースに入っているのは、プランテーションでの黒人奴隷たちが「行ったかもしれない」抵抗の想像を記録したキース・パイパーの作品

砂糖プランテーションでの黒人奴隷の無給労働や、インドにおける軍事的・商業的搾取は、19世紀のイギリスに莫大な富をもたらした。リバプールを拠点に砂糖精製業で大成功したヘンリー・テート卿もその恩恵を受けたひとりだ(このテート卿こそが、テート・ブリテンへ自身のコレクションを寄付し、イギリス美術館文化に多大な貢献をした人物である)。続く展示室「Art for the Crowd(群衆のためのアート)」ではヴィクトリア期の生活を反映した絵画作品が、「In Open Air(戸外制作)」では蒸気機関車の開通によって郊外へと移動できるようになり、大都市の生活と対比的に田園風景を描いた画家たちの活動が紹介されている。

「In Open Air」に展示されたマリアンヌ・ストークスの《A Fisher Girl’s Light (A Pilgrim of Volendam returning from Kevelaer)》(1899)。ヴィクトリア期の重要な女性作家のひとりで、テート・ブリテンには昨年収蔵されたばかり ©︎ Tate
「Beauty as Protest」の展示風景より。テート・ブリテンを代表するミレイの作品はこの部屋に ©︎ Tate

また、1848年革命後は革命の精神が芸術の世界にも広がり、王立美術院によって形成されてきた従来の美術観に異を唱えたダンテ・ガブリエル・ロセッティ、ジョン・エヴェレット・ミレイ、ウィリアム・ホルマン・ハントの3人が「ラファエル前派」の中心的存在となった。改装前からテート・ブリテンで長年愛されてきたミレイ《オフィーリア》(1851-2)は、展示室「Beauty as Protest(対抗としての美)」に展示され、今も多くの鑑賞者を虜にしている。

戦前イギリス美術セクションの中でももっとも興味深い展示室のひとつが、次の「A Room of One’s Own(自分ひとりの部屋)」だろう。この展示室のタイトルは、英国モダニズム文学の旗手であるヴァージニア・ウルフのテキストに由来する。20世紀初頭のイギリスでは初めて女性に参政権が与えられ、フェミニズム運動が発芽しはじめた時期となった。それまで芸術作品に登場する女性といえば神話に登場する裸体の女神が主だったが、この時代になってようやく「どこにでもいる普通の女性」が絵画の主題となることが増え始めた。

「A Room of One’s Own」の展示風景より。この展示室の中央に置かれているのは、シルヴィア・パンクハーストによってデザインされた《サフラジェット・ティーセット》(1909)である。サフラジェットとは、19世紀末から20世紀にかけて女性参政権を求めて行動を起こした女性活動家のグループを指す。このティーセットは、シルヴィアが率いた女性政治社会連合(Women’s Social and Political Union, WSPU)の依頼によって制作され、彼女たちのシンボルであるラッパを吹く天使の図像、いわゆる「自由の天使」の紋章があしらわれている

1914年の第一次世界大戦の戦禍は、英国経済に大きな打撃を与えた。この時代の職業画家たちは、資産家のパトロンからの依頼で伝統的な主題の作品を描くよりも、志を同じくする若者たちで小規模なコミュニティを形成した。ニュー・イングリッシュ・アート・クラブ、ブルームズベリー・グループ、カムデン・タウン・グループなどがその代表的な例であり、彼らの作品は展示室「Modern Times(現代)」で見ることができる。また、続く展示室「Reality and Dreams(現実と夢)」では、戦前の価値観に反発し、「狂騒の20年代」と呼ばれるほどに発展したアメリカ文化からの影響や、肖像画や宗教画といった伝統を再考することに重きを置いたアーティストたちの存在に光があてられる。

「Modern Times」の展示風景より。ブルームズベリー・グループのメンバーだったダンカン・グラント《水浴び》(1911)などが展示された
「Reality and Dreams」の展示風景より。ジェイコブ・エプスタインのブロンズの後ろに見えるのは、新規収蔵された女性作家ウィニフレッド・マーガレット・ナイツの《大洪水》(1920)

さらに、戦争の脅威はアーティストたちの間で国際的な関係構築の重要性を気づかせることとなった。前近代イギリス美術史を締めくくる展示室「International Modern(国際的な現代)」には、パリで活動した抽象芸術のグループ「アブストラクシオン・クレアシオン」の活動が紹介され、すべての人が理解できる共通言語としての芸術の在り方が示された。

「International Modern」の展示風景より

現代イギリス美術の光と影:栄華からの転落と新時代のアーティストたち

戦後のイギリス美術史を紹介するセクションは、「Fear and Freedom(恐怖と自由)」と題された展示室にはじまる。この部屋を入ってすぐの壁には、フランシス・ベーコン《キリスト磔刑図のための3つの習作》(1944)と、ルシアン・フロイド《少女と子猫》(1947)の2点が向かい合うように展示してある。

「Fear and Freedom」の展示風景より

ベーコンによるトリプティックは第二次世界大戦の終戦直前に描かれたもので、ホロコーストの恐怖を描いているとも、迫りくる核戦争への危機感を表現しているともいわれている。また、フロイドはベルリンのユダヤ人家庭に生まれるもナチスの迫害から逃げるためイギリスへの亡命を余儀なくされた過去を持つ作家である。さらに、その手前にはヘンリー・ムーア《Three Points》(1939〜40)とバーバラ・ヘップワース《Pelagos》(1946)が向かい合うように展示してある。

「Fear and Freedom」の展示風景より。ムーアとヘップワースもまた、共に美術を学んだ友人どうしであったが、商業的な名声を先に得たのはムーアであった。巨大なパブリック・アートを次々に手がけたことにより巨万の富を得たムーアと、イギリス南部のセント・アイヴスに40年以上スタジオを構え、アーティストたちにとって戦中・戦後の疎開地のようなコミュニティを形成したヘップワースの作品は、同時代に生まれるも全く違う芸術家人生を歩んだ2人の人生を振り返るかのように佇んでいる

また、フルクサスをはじめとする芸術運動が盛んになり、詩やパフォーマンスといった実験的な方法で作品を生み出すアーティストが増えた1960年代に注目した展示室「Creation and Destruction(想像と破壊)」では、オノ・ヨーコ《カット・ピース》(1964〜65)が上映されていた。

「Creation and Destruction」の展示風景より。ブラウン管に映し出されるのはオノ・ヨーコの《カット・ピース》、彫刻作品はブルース・レイシー《Boy, Oh Boy, am I Living!》(1964)

続く「In Full Colour(溢れる色彩)」の会場説明文では、1967年に性犯罪法(Sexual Offences Act)が同性愛を部分的に非犯罪化したこと、1965年の人種関係法(Race Relations Act)が人種を理由とする差別を禁止したことに触れ、イギリスの文化が多様性を増したと述べられている。この部屋には開放的なアメリカ西海岸の雰囲気を表現したデイヴィッド・ホックニー《大きな水しぶき》(1967)が展示されていた。

「In Full Colour」の展示風景より

1970年代にはヨーロッパだけでなくアジアやアフリカからの移民がさらに増えたものの、社会全体から人種差別や男女格差の問題がなくなったとは言い難い。展示室「Ideas into Action(アイデアから行動へ)」で公開されたギャビン・ヤンテスのスクリーンプリントシリーズ《A South African Colouring Book》(1974-75)は、アパルトヘイト時代の南アフリカで白人以外が公共の場に立ち入ることを禁止した実際の看板を基にした《Whites Only》(1974)など、非倫理的な人種差別の歴史を物語る作品である。

「Ideas into Action」の展示風景より、ギャビン・ヤンテス《A South African Colouring Book》(1974-75)。これらの作品は当時のアメリカで人気を博したアンディ・ウォーホルのポップ・アートのようなスタイルをとっているものの、ヤンテスは西洋中心社会が作り出してきた負の歴史を徹底的に批判している(この作品を前にする時、日本人はアパルトヘイト政策下で「名誉白人」とカテゴライズされていたことを忘れてはならない)

今回の大規模な展示替えによって、従来の常設展の現代美術セクションととくに異なる方向性が示されたのが展示室「No Such Thing as Society(社会なんてもんはない)」以降であろう。展示室内のキャプションは、1979年以降に英国史上初の女性首相に君臨したマーガレット・サッチャーによる政治が、イギリスという国の現代的な在り方を決定づけたとしている。国営事業の民営化や金融規制緩和といった新自由主義的な経済政策はイギリス国民の貧富の差を拡大させ、アーティスト達は変わりゆく生活と広がる格差の中に希望と挫折の両方を見出した。

「No Such Thing as Society」の展示風景より。壁面を飾るのはトニー・クラッグ《Britain Seen from the North》(1981)、手前に展示されているのはアントニー・ゴームリー《Three Ways》(1981-82)の一部。©︎ Tate

展示室すぐの壁を覆うのは、トニー・クラッグ《Britain Seen from the North》(1981)だ。カラフルなステンシルは一見するとポップだが、その素材は廃材や古いプラスチックだ。クラッグは、1980年代に英国北部地域の住民たちが生活危機に見舞われた不景気の最中、英国王室メンバーが豪華絢爛な結婚式を執り行ったことに対して、この作品を通じて激しい抗議の意を示した。皮肉な偶然か、この展示替えのたったひと月前に、新英国王は華やかな戴冠式を行ったばかりだ(それに引き換え、今の私たちの生活の豊かさは、近所のスーパーで卵の値段を見れば一目瞭然だろう)。

「No Such Thing as Society」の展示風景より、ドナルド・ロドニー《Visceral Canker》(1990)

また、BLK運動(*4)の旗手として知られるドナルド・ロドニーの《Visceral Canker》(1990)は、英国初の奴隷商人であるジョン・ホーキンスとエリザベス1世の王家の紋章を並べ、チューブとポンプで人工血液を循環させている。ロドニーは作品タイトルにある「Canker」を「どんどん広がり、腐敗させていく邪悪な存在」と定義し、華やかな英国文化の裏で搾取されてきた者たちの存在を表面化させた。

続く展示室「End of a Century(ある世紀の終わり)」には、イギリス現代芸術の重要なムーブメントであるYBAs(ヤング・ブリティッシュ・アーティスト、*5)の立役者たちが揃う。また、現代イギリスで最も重要な画家と称されるピーター・ドイグの大型作品がその反対側に展示されていた。

YBAsの展示
「End of a Century」の展示風景より。トレイシー・エミン、ダミアン・ハースト、サラ・ルーカスというYBAsの代表的なアーティストの作品が並ぶ。続く壁面には、同じくYBAsの女性作家であるジリアム・ウェアリング《I’m Desperate》(1992-93)、ナイジェリア系英国人クリス・オフィリ《No Woman, No Cry》(1998)が並ぶ。この2人もまた、ターナー賞の受賞歴がある
ピーター・ドイグ《エコー湖》(1998)、その手前にあるのは大量の石鹸で出来たモナ・ハトゥムの《現在時制》(1996)

現代イギリス美術史を締めくくるひと部屋は「The State We’re In(私たちの現在地)」と名付けられている。この展示室の特徴は、これまでテートに所蔵されたことの無かった若手アーティストの作品が複数含まれていることだ。彼らの中でも最年少となったのが、1993年生まれのクザナイ=バイオレット・フワミ、1997年生まれのレネ・マティックだ。

「The State We’re In」の展示風景より。右から自画像として描かれたクザナイ=バイオレット・フワミ《償い》(2021)、元イラクの独裁者であるサダム・フセインの王座をモチーフにしたというモハメド・サミ《電気椅子》(2020)
レネ・マティックによる写真作品の展示風景。西インドと白人労働者階級の生活が日常のレベルで交わる様子、クィアな恋愛やサブカルチャーを切り取っている

この展示室の、そして数百年のイギリス美術史を振り返る常設展の最後を締めくくるのは、ヴォルフガング・ティルマンス、ルバイナ・ヒミッド、オスカー・ムリーリョ、ヴェロニカ・ライアンの4人だ。この4人には、「イギリスではない場所にルーツを持つが、イギリスに拠点を置いて活動している2000年以降のターナー賞受賞者」という共通項がある。ここで鑑賞者は、ここまでの膨大なコレクションの始まりの展示室「Exiles and Dynasties(流れ者と王家)」で紹介されたように、政治的な混乱の中でこの土地に移民してきた芸術家たちが「イギリス美術」と呼ばれるものの礎を築いてきたことを思い出すだろう。

「The State We’re In」の展示風景より。ヴォルフガング・ティルマンス、ルバイナ・ヒミッド、オスカー・ムリーリョ、ヴェロニカ・ライアンの作品

展示替えへに対する賛否両論:芸術が先か、政治が先か?

常設展の内容が包括的に刷新された今回の展示替えだったが、イギリス国内の大手メディアからは激しい批判の声が相次いだ。ガーディアン誌には「いまや“アートが眠っている”美術館(this is now the museum where art goes to sleep)」というショッキングな見出しのレビュー(*6)が掲載され、批評家のジョナサン・ジョーンズが5点満点中2点という低評価を付けた。

ジョーンズは、今回の展示替えが芸術そのものではなく今日的な道徳的価値にのみ焦点をあてすぎているとし、歴史的に重要であるはずの作家の展示作品数が不当に少ないことを指摘している。たとえば、今回の展示替えで9点が新規収蔵されたアニー・スウィナートンの作品には「先駆的(trailblazing)」な表現は見られないとし、作品が選ばれた理由は彼女が女性参政権のための運動に参加していたという道徳的な意味づけのみであると述べた。

また、アートレビュー誌にはJJ・チャールズワースの批評「ゾンビ化された社会美術史」(*7)が掲載された。チャールズワースは、今回の展示替えは古のイギリス美術や「イギリス」という国それ自体にはもはや関心を示しておらず、現代のアイデンティティ政治の価値観の下に美術史を書き換えていると述べる。彼は、このキュレーションが美術史のアプローチを特定の問題だけに絞り込み、英国史をその抑圧を示すエピソードに還元しているだけで、社会的・文化的に起きたポジティブな出来事についてほとんど無視しているし厳しく批判した。

ファイナンシャル・タイムズ誌のジャッキー・ヴルシュレーガーは、ヘンリー・ムーアとフランシス・ベーコンを配置した展示室や、ウィリアム・ブレイクとクリス・オフィリの作品群を高く評価したものの、最後の展示室を飾ったヒミッドの作品は「黒人の姿を使った定型的な焼き直し(formulaic reworking with black figures)」にすぎず、レネ・マティックによる写真シリーズは「とことん俗っぽい(thoroughly banal)」ものだと述べている(*8)。彼女は、この展覧会のキュレーションは芸術ではなく政治を優先させた結果、ミュージアム・ピースとして相応のクオリティを担保しない作品が購入されていることを危惧している。

今回、新規に展示室が設けられたアニー・スウィナートンの作品の展示風景

いっぽうで、イブニング・スタンダード誌のベン・ルークは、スチュワート朝時代から21世紀まで、これまで展示機会の少なかった女性アーティストの作品が満遍なく公開されていることや、パブロ・ブロンスタインのように歴史のなかで無き者にされてきた同性愛者たちの存在を可視化した作品を展示したことを高く評価した。

また、ジョーンズの辛口な批評の数日後にガーディアン誌に寄稿されたヴァネッサ・ソープの批評は、「政治は、あからさまなかたちであれ主題やスタイルの選択といったささやかなかたちであれ、つねに芸術の構造に含まれる(Politics is always in the texture of art, whether overtly or in the choice of subject and style)」とし、今回の展示替えを支持している(*9)。彼女は、デザイン・ミュージアムのチーフディレクターであるティム・マーローの言葉を借りながら「現代的な視座から過去を見ることは至極まっとうな行為だ。いくつかのインクルージョンが軋轢をもたらすこともあるかもしれないが、過去を見直してみることは知的な営みだといえる(But looking at the past through the eyes of the present is a perfectly reasonable thing to do. Some inclusions may jar, but anything that makes you look again seems an intelligent thing to do.)」とし、ジョーンズの批評に真っ向から反駁している。

一連の常設展を通観して、筆者はこのキュレーションが従来の「イギリス美術」の評価を貶めるものだとは思わない。展示替え前のテート・ブリテンの常設展といえば、壁一面にぎっしりと掛けられた大量のイギリス絵画が見どころのひとつだった。実は、この展示方法は、18世紀に王立美術院が行った英国史上最初の展覧会の様子を再現したものだ。展示替え後も、このアイコニックな展示方法を取った部屋は残されていた。大量の絵画の中に、ぱっと見ではそれと分からないようにさりげなく、イギリスを代表する画家であるJ.W.ターナーの初期作品が掛けられていることに気づいた鑑賞者はどれほどいただろうか? 

フランシス・ベーコンやヘンリー・ムーアといった著名な作家には専用の展示室が用意され、ターナーに至っては9部屋におよぶ特集展示が常設展の一部として公開されている。ミレイの《オフィーリア》の前には、平日でも人だかりができていた。イギリス美術史上で既に権威を持ち、多くの人に愛されてきた作品は変わらず展示され、いまも多くの人の注目を集めている(実際に、テートが提供する無料ガイドツアーで語られた「みどころ」は、ターナーとムーア、ラファエロ前派についての解説が多くを占めていた)。高く評価され続けている「巨匠」たちの傍ら、アニー・スウィナートンの展示室に初めて光が灯ったとして、その光は既に評価されているアーティストたちへのスポットライトを消すわけではない。

18世紀の王立美術院での展示を再現した、テート・ブリテンの名物展示室は改装後も健在。©︎ Tate

変化には、バックラッシュがつきものだ。メイン会場の90%以上が女性アーティストの作品だった2022年のヴェネチア・ビエンナーレは、女性の権利を重んじるあまり「質を犠牲にしている」と評され、初めて東南アジア系のキュレーターを採用したドクメンタ15は「アートがない」と揶揄された。しかしそのいっぽうで、これまで語られなかった人々の表象に目を配り、無き者にされてきた声に耳を傾け、大文字の美術史が伝えきれていなった新たな価値を見出すことは、現代を生きる私たちが未来のためにできる数少ない仕事なのかもしれない―展示室に掛けられたマリアンヌ・ストークスの絵画を、名だたるヴィクトリア期の「巨匠」たちと同じように鑑賞する子どもたちの姿を見ながら、5年前に別の島国からこの島国へやってきた移民の私はそう思うのだ。

*1──1545年といえば、英国史上もっとも強い影響力を持った国王ともいわれるヘンリー8世の統治時代であり、かつ彼が誇った英国を代表する軍事用戦艦「メアリー・ローズ」号がソレント海戦によって沈没した年でもある。この時代の英国は、世界中のヨーロッパの大国と競うように、様々な地域を植民地化しはじめた。
*2──奴隷貿易がイギリスの王侯貴族に莫大な富をもたらしたことと、プロテスタント宗教改革とヘンリー8世のカトリック教会からの離反によって絵画のモチーフが宗教的なイメージを離れ始めていたことが重なり、「他国出身の画家に資金を提供し、宗教画ではなく自分たちの権力を強調するための肖像画を描いてもらう」という、ある種のビジネスの雛型が生み出されたのがこの時である。
*3──カンバセーション・ピースとは、18世紀に流行した非公式な集団肖像画をさす。作品の規模は小さく、家庭内や庭にいる人々(多くは家族、あるいは友人のグループ)を描いており、画中の人物がカジュアルな会話をしている様子をとらえていることが多い。
*4──カリブ系黒人アーティストを中心に、1979 年にイギリスのウルヴァーハンプトンで結成された芸術家集団の運動を指す。彼らは黒人コミュニティの形成と人種的偏見の問題に焦点をあて、イギリスの政治に疑問を投げかけた。
*5──ゴールドスミス・カレッジの学生を中心とし、東ロンドンなど下町地区で活動したコンセプチュアルアーティストのグループを指す。彼らは、美術館ではなく廃工場や倉庫といったオルタナティブ・スペースでの展示を行う先駆的な存在でもあった。
*6──Jones, Jonathan. 2023. “Tate Britain Rehang Review – This Is Now the Museum Where Art Goes to Sleep.” The Guardian, May 23, 2023, sec. Art and design. https://www.theguardian.com/artanddesign/2023/may/23/tate-britain-rehang-review-this-is-now-the-museum-where-art-goes-to-sleep.
*7──Charlesworth, J.J. n.d. “Tate Britain’s Rehang: A Zombie Social Art History.” Artreview.com. Accessed May 31, 2023. https://artreview.com/tate-britain-rehang-a-zombie-social-art-history/.
*8──Wullschläger, Jackie. 2023. “Tate Britain’s Rehang Puts Politics before Art.” Financial Times, May 24, 2023. https://www.ft.com/content/d4913a2f-a669-421a-ab84-0fefc27fdb12.
*9──Thorpe, Vanessa. 2023. “The Challenge of Rehangs: Galleries Wrestle with Changing Politics of Art.” The Observer, May 28, 2023, sec. Art and design. https://www.theguardian.com/artanddesign/2023/may/28/tate-britain-rehang-mixed-response.

齋木優城

齋木優城

齋木優城 キュレーター/リサーチャー。東京藝術大学大学院美術研究科芸術学専攻修士課程修了後、 Goldsmiths, University of London MA in Contemporary Art Theory修了。現在はロンドンに拠点を移し、研究活動を続ける。