四代田辺竹雲斎インタビュー。竹工芸を世界を驚愕させるアートへと導いた代々の創造と革新、その軌跡と挑戦を見る

いかにして伝統は継承され、更新されてきたのか。四代田辺竹雲斎の創造の核を、アートスペース福寿園(京都)開催中の展覧会からひもとく

会場風景

国内外で発表する大規模な竹のインスタレーションで注目される、竹工芸家・アーティストの四代田辺竹雲斎。日本の伝統工芸を、世界を驚愕させるアートへと導いたものは、代々の創造と革新だった。その100年以上にわたる軌跡を伝える「伝統と挑戦−初代竹雲斎から四代竹雲斎の世界−」が、アートスペース福寿園(京都)で12月22日まで開催中だ。展覧会に際して、本人にインタビューを行った。

初代と二代が竹工芸で追求した、煎茶道と茶の湯の美意識

世界的なアーティストとして知られる四代田辺竹雲斎は、多くの弟子を率いる工房の棟梁でもあり、その創造の核には、明治時代から続く竹工芸の家の芸の継承がある。「伝統と挑戦−初代竹雲斎から四代竹雲斎の世界−」に出品された各代の作品から、その歩みを見てみよう。

《唐物写皷形花籃》日本の竹工芸は中国の工芸品、唐物を模範として発展した。初代竹雲斎作(1925)唐物写しの籠は、田辺竹雲斎家のルーツ

会場の中でひときわ品格が際立つ作品が、初代田辺竹雲斎(1877〜1937)の《唐物写皷形花籃》だ。竹工芸品は、室町時代に茶とともに中国から伝来し、「唐物」と呼ばれて珍重された。初代は、そうした名品の竹籠の写しの名手だった。

「煎茶道の茶会は、中国の文人たちが文化的な知識や、思想を交流し、教養を高めあう場でした。いわゆる『竹林の七賢』の世界です。そういう文化人たちの煎茶席に置かれたのが、竹の籠だったんです。籠に盛られるものは、日常的な食べ物ではなく、霊芝やザクロ、そしてブドウとか、ツルが伸びて実が成る、成長や繁栄を表す植物でした」

唐物写しに秀でた初代に対し、二代(1910〜2000)が追求したのは、繊細で日本的な美だった。作風には、侘び寂びを感じさせる軽やかさ、清らかさがある。

「二代の作品の特徴として『透かし編み』があります。唐物の美意識から脱却して日本的な思想を吸収し、装飾を一切削ぎ落としてシンプルに仕上げた。現代から見るとクラシックですが、唐物全盛の当時としてはコンテンポラリーだったと思うんです。二代は能の謡も舞も嗜んで、絵も描いた。いまで言うマルチアーティストでしたね」

《線紋提梁花籃》 二代竹雲斎(1957)竹の透かしによって光と影の美しさを表現した。二代の繊細な作風が伺える。側面は竹雲斎七技のひとつ、縦線の美しさを際立たせた「真垣透かし編み」

ドイツのデザインコンセプトを竹で表現。三代竹雲斎の、改革への信念

戦後を生きた三代竹雲斎(1940〜2014)は、竹に斬新な造形を取り入れた。まっすぐな矢竹を組み合わせ、点と線、平面を作る構成は、モダンアートの時代に呼応したものだ。

《都会》 三代竹雲斎(1974〜1980)オブジェのように見える縁のない籠。弓の矢に使用された「矢竹」を直線に組み、点と線の構成で面を作るスタイルを構築。竹で金属やコンクリート、現代のマテリアル‬を感じさせる

「二代が有機的で繊細な作品を作っていたのに対して、私の父でもある三代は、ドイツのデザインコンセプト『シュパンヌンク』(*)に影響された作品を作ったりしていました。当時は竹でそんな作品を作る人は、父以外にはいませんでしたから、展覧会に出品しても、簡単には認められないわけです。でも父は絶対やめなかった。悩みながら表現を模索していました。いかにして継ぎ、守りながら、自分らしいものを作るか。どう信念を持って取り組んでいったらいいか。それを私は、父から学んだと思います」

《舟形花籃 帆風》四代竹雲斎(2024)門出や出発を意味する「舟」帆をイメージ。竹雲斎七技の一つである「千集編み」と呼ばれる技法が用いられている

こうして振り返ると、田辺竹雲斎家は一貫して、時代に相応しい竹の表現を追求し続けてきた。そんな家風のなか、四代は幼少から、自然に竹とアートの両方に親しんで育った。しかし、自身が家業を継ぐことには、逡巡があった。

「芸大に進学しましたが、決められた道というものに閉塞感を感じてしまって。3年生ぐらいに悩んで学校に行かなくなって。でも結局『竹をやらないと、自分の人生じゃない』と気づいて大学に戻ったんです。彫刻科だったので、竹で立体の彫刻を作ろうと。卒業制作は、現在の作品よりは小さいですが、竹のアート作品でした」

アニッシュ・カプーアに触発された竹の巨大インスタレーションと、「循環」というコンセプト

竹とアートの融合に意欲を抱いた四代竹雲斎は、20代から海外にも活動の幅を広げていく。しかし竹の作品がアートとして認められるためには、日本でよりも高いハードルがあった。

「竹の作品は人気があって、売れるんですけど、欧米では『工芸美術』というジャンルが存在しない。竹でいくら頑張っても、なかなかギャラリーや美術館の展示のメインを張れないんです。悩んでいたその頃、ロンドンでアニッシュ・カプーアの作品を観たんです。それが本当に衝撃的で。空間で、五感で感じるようなアートを作らないと、世界では通用しないと思いました。それが、現在のような大きなインスタレーションを制作するきっかけになりました」

作品がスケールアップしただけでない。竹という自然の素材を人の手で組み上げ、分解、また再生するという制作プロセスは「循環」「サステナブル」という今日的なコンセプトを体現し、広く共感を得た。

「あるとき、アメリカで展覧会が終わると、会場から『作品は解体して、素材の竹は全部捨てておく』と言われたんです。『いや、私たちは竹をすごく愛しているので、ほどきに行って、その竹でまた作品を作ります』って答えました。それから『自然素材を循環させる』、サステナブルという言葉で作品を説明するようになりました。いまほどその言葉が知られてなかった頃のことです」

《朽竹 達磨》四代竹雲斎(2023)栽培過程で間引きされる竹を朽竹(くちく)と名付け、成長した竹と朽竹を合わせ、生命の循環を作品にあらわしている
会場に展示されている素材の竹。竹の生産者は全国的に減りつつある 撮影:筆者

数十メートルの巨大なインスタレーション作品は、解体するとスーツケース数個分の竹ひごに戻り、再び命を吹き込まれて、次の作品となる。こうしたサイクルによる「循環」は、恒久性を重んじる工芸美術にはなかった価値観だ。

「工芸作品は100年後200年までも残ろうとするものですが、インスタレーションは、展覧会が終わると全部解いてしまう。形ではなく記憶に残すアート。その場所に偶然いた人しか見られないアートであろう、と」

数式と竹の美の融合。コラボレーションで、伝統を「守」から「破」へ

現在、竹工芸の伝統があるのは、世界で日本だけだという。その日本でさえ、継承には多くの困難がある。「伝統をそのまま受け継ぐだけではなく、つねにアップグレードしないと。時代とともに革新していくのが伝統だと思う」。これが四代竹雲斎の伝統に向き合うスタンスだ。そして、古くから芸道の修行の規範として伝わる「守破離」──伝統を守り、破り、離れる、という教えを大切にしている。

四代竹雲斎が意欲的に取り組む、異ジャンルとのコラボレーションは「守破離」の「破」にあたる挑戦だ。なかでも、ハーバード大学建築学部教授の貝島佐和子と、数式と竹工芸の美的要素の統合を目指した《蝶無心Ⅰ》は、異色の試みだ。

《蝶無心Ⅰ》四代竹雲斎(2024)ドイツの数学者アルフレッド・エンネパーが発見した数式「エンネパー曲面」と竹の美しさを融合した。「蝶無心」は良寛の禅語

「コンピューターで計算された曲線を竹で作っていくのですが、数式上はできても、実際にアナログな作業で竹を曲げながら組み立てるのは、すごく難しい。貝島さんも、最初は竹のことがわからない。僕は数学のことがわからない。だから、お互い歩み寄らないと完成しないわけです。2014年に制作を開始して、3年近くかかって、最初に作品ができたのは襲名の年の2017年でした。この仕事を通じて、『想像もできない現代の作品』を生み出したいという気持ちが 、伝統を破っていくってことだと思いました」

この前代未聞の制作の過程は、会場で上映している映像で観ることができる。ちなみに「蝶無心」とは、「花無心にして蝶を招き、蝶無心にして花を訪ねる」という良寛の禅語だ。花と蝶が惹かれあい、美しいものに人が集まり、縁がつながっていく。会場には若杉聖子とのコラボレーション作品も出品されている。美と技への志を共有する様々なアーティストとの縁が、竹雲斎の美の世界を拡大していくことが実感できる。

陶芸家の若杉聖子とのコラボレーション作《清泉白竹》(2023)。型を用いて成形した鋳込みの白磁に、表面のガラス質をとり磨いた籐を編み込んである

竹の文化と精神性を注ぎ込むコラボレーション

主破離の「離」とはなんだろうか。竹を、素材であることから解放し、そこに内包される抽象的な美──目に見えない精神性を見出して表現することも、その試みかもしれない。

「たとえば、車のメーカーとコラボレーションをしているのですが、それは『竹で車を作る』というような話ではないんです。竹の持つアイデンティティ、竹に宿る日本人の考え方だったり、凛とした姿勢とか、繊細さ、季節感。そういう竹に付随する文化的な側面を、車作りに反映できないか。そんな話をしています。いま、世界がこれだけグローバルになって、工芸は、これまでのやり方で日本だけでやっていくことは難しい。それを意識して活動しないと限界が来るのではないでしょうか。マルチに、ハイブリッドに新たな提案をしないといけない。しかし、破って、離れて、全然違うものになったら意味がない。『守破離』の語源となった千利休の言葉には『破るとも離るるとても、本を忘れるな』とあります。離れるという挑戦をしつつも『本』、つまり守るものをつねに心に置く。新しいことをしながらも同時に『守』も『破』も、ちゃんと作品や心のなかにある。そこが重要だと思っています」

大スケールの作品が、工芸を未来につなぐ

伝承するのが技と作品だけでは、今や工芸は持続可能でいられない。四代竹雲斎は、家伝書の編纂、代々の作品の製図をデジタルとアナログ、動画でアーカイヴ化。後進の育成方法の体系化にも取り組んでいる。これは、不文律や口伝に頼っていた工芸技術のオープンソース化。あらゆる工芸家にとっても参照できる資料となるだろう。

「素材や道具にも、課題があります。我々の場合、技術者を育てても竹がないと続かない。たとえば黒竹の生産は、ほとんどが和歌山県のひとつの家族によって維持されているんです。その一家が廃業してしまうと、日本の竹で黒竹の作品が作れなくなる。そんな危機的状況なんです。だから私たちはインスタレーションで黒竹を使うことで、生産者の仕事を持続させられると考えます。作品が、さらに大きくなっていくと、需要も増え、竹林の仕事も維持できるのではないでしょうか」

《五大虚空》四代竹雲斎(制作年度)黒竹を素材にした作品。宇宙(あらゆる世界)を構成している、地・水・火・風・空の五つの要素と「虚空」を表現した

茶の美意識に寄り添いながら竹籠作りに従事してきた田辺竹雲斎家。福寿園本店の「アートスペース福寿園」での今展は、茶が結ぶ縁によって実現した。「アートスペース福寿園」では、来館した人たちがたっぷりのお茶を飲みながらアート作品をめぐって対話できる場を目指している。

日本の竹工芸の最先端を歩んできた竹雲斎四代の仕事を概観し、また、購入できる貴重な機会となる今展。展示作品を手にすることは、竹工芸の100年の美と歴史を所有することでもある。とくに海外の竹雲斎のコレクターは、代々の作品を揃えて収集する人が多いそうだ。

四代田辺竹雲斎 撮影:筆者

*シュパンヌンク(デザインテンション)──「緊張」「引っ張る」という意味のドイツ語のSpennung。形や、形と形のあいだで生じているように感じる見えない力とその方向性というベクトルを指す。

四代田辺竹雲斎(よんだい・たなべちくうんさい)
1973年大阪府生まれ。東京藝術大学美術学部彫刻科卒業。父である三代田辺竹雲斎に師‭事。2017年に四代田辺竹雲斎を襲名。近年の個展には、ジャパンハウス・ロサンゼルスで‬の「‭LIFE CYCLES‬‭ 」(2022)、高島屋(東京日本橋店・大阪店)での「四代田辺竹雲斎 守‬‭破離」展(2023)、また「千住博 四代田辺竹雲斎 Beyond Nature」(2024)の二人‬ 展、バルセロナ・バーレーン・韓国のLOEWEでのインスタレーションなど。2022年、芸術‬選奨文部科学大臣新人賞、大阪文化賞を受賞。作品はフィラデルフィア美術館、ボストン美‬術館、大英博物館、メトロポリタン美術館などに収蔵されている。‬

沢田眉香子

沢田眉香子

さわだ・みかこ 京都拠点の著述業・編集者。アート・工芸から生活文化までノンジャンル。近著にバイリンガルの『WASHOKU 世界に教えたい日本のごはん』(淡交社)。