1990年代半ばからアート作品を収集し、質量ともに最高峰とされる日本の現代美術コレクションを作り上げた精神科医の高橋龍太郎氏。その3500点を超えるコレクションから選りすぐった作品を紹介する「日本現代美術私観:高橋龍太郎コレクション」展が、東京都現代美術館で11月10日まで開催されている。2フロアにわたる会場は、草間彌生や村上隆、奈良美智ら世界的作家をはじめ計115組の代表作から各年代の重要作品や話題作、東日本大震災以降の作品、近年のストリートアートまで、日本の現代アートの系譜とダイナミズムを堪能できる。
個人が収集するスケールを軽く凌駕する高橋龍太郎コレクションが、いかに作り上げられたのか? 冒頭に掲げた一文は本人によるものだが、さりげない言葉の陰にはアーティストとの様々な物語があることが伺える。そこで本展内覧会の会場で作家たちに、高橋氏との出会いや収蔵された作品にまつわるエピソードを聞いた。高橋龍太郎コレクションのヒストリーから、知られざる一部をお届けしよう。
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1946年生まれの高橋は、学生時代に全共闘運動に参加し、文化と政治が交差した時代の空気に浸り、映像作家を目指した経験を持つ。その高橋の「目」がとらえた現代日本の姿を、時代への批評精神にあふれた作家たちの作品とともに辿る本展。6章構成の会場は、現代美術ファンに馴染みの深い有名作家の作品だけでなく、独自の視点から見出した作家・作品も並ぶ。
千葉和成(1967年生まれ)が2000年頃からライフワークとして制作する《ダンテ『神曲』現代解釈集》。ダンテ・アリギエーリによる古典叙事詩『神曲』を現代解釈し、千葉自身がダンテに成り変わり現代社会の地獄と煉獄と天国を巡る旅を、平面と立体で表現したスペクタクルな連作だ。人間の愚かさや政治的欺瞞、社会の歪みに対する作家の怒りが、細部まで作り込んだ作品に漲る。
本展では、ほとんど発表することなく、四半世紀近く制作に没頭してきた本シリーズから、絵画作品と立体作品からなる《地獄篇1-3圏 》(2010-2011、2011、2011-2017)、《地獄篇4-6圏 - 福島第一原子力発電所ジオラマ –》の計21点が紹介されている。作品収蔵の経緯を千葉はこう語る。
「2019年に《ダンテ『神曲』現代解釈集》の地獄篇・煉獄篇・天国篇が初めて一堂に会する個展がギャラリーで開催されたのですが、この個展以前からギャラリーのオーナーと高橋先生が自宅まで作品を見に来られ、関心を持っていただいていました。その後も制作を続けていくなかで、多くの作品をコレクションに加えていただきました。思い掛けない展開になり驚きましたし、作品が評価されて心より嬉しく思いました。高橋先生に実際にお会いして、いつも孤独に制作していた私にとって、力強い理解者であり、そして応援をしてくださり、安心感を与えてくださいました」
立体作品の《福島第一原子力発電所ジオラマ》は、台上に崩壊した原子力発電所の建造物と津波、逃げまどう人々が鉛色にかたち作られている。「両親が福島第一原発から比較的近い町の出身で、僕も子供の頃はよく福島に行きましたから、事故後は様々な思い出や感情がこみ上げ、科学を追求したあげく行き場を失った人間の姿を表現したいと考えました。高橋龍太郎コレクションに収蔵されたおかげで、今回は著名な作家の方たちと同じ空間に作品が展示され、このような展覧会で世にだしてくださり、大変感謝しております」(千葉)
「3・11」は、東北にルーツを持つ高橋にとり大きな出来事だった。「あのとき、高橋さんに大事なことを教わりました」。そう振り返るのは、ナフタリンや塩、ガラスを使い、時(とき)の流れを可視化するオブジェ作品で知られる宮永愛子(1974年生まれ)。本展展示作《景色のはじまり》(2011)は、6万枚の金木犀の葉を加工し葉脈だけ残して布状につないだ、巨大なヴェールのようなインスタレーション作品だ。
東日本大震災の発生を挟み、今日と明日をつなぐ思いを込めて手を動かし完成させた本作を「自分にとってかなり特別な作品」と宮永は語る。
「《景色のはじまり》は震災後の2011年4月にミヅマアートギャラリーの個展で初めて発表しました。作品をご覧になった高橋さんから『海のことも山のことも思った』というメールをいただき、東北の三陸地方で海の牡蠣を美味しく育てるために、植林して山づくりに励んでいる漁師の方の話を教えてくださったんですね。メールには私が作品で残した、木々の葉の水の道(葉脈)を通った水が海を豊かに潤し、その海から再び雨が生まれ人も森も牡蠣もつながっていくと書かれていました。震災後、この作品の完成をいろいろな思いの中目指して制作してきた私に、とても力になるメッセージをいただきました」
本作は、国立国際美術館の個展(2012年)や国立新美術館「DOMANI・明日展2020」(2020年)での展示に際して、もう1枚が制作された。その片割れは、いま宮永の手元にある。「本展で2011年の葉っぱに再会して当時を思い出し、あらためて高橋さんは深い所からご自身の視点で作品を見てくださっているのだと思いました」
美術コレクションの枠を飛び出し、インターネット空間で伝説化した彫刻も展示室に出現している。壁に両手をついて頼りなげな身体を支え、こちらを見つめる加藤泉の《無題》(2004)。胎児のようなヒト型をモチーフに絵画や彫刻を制作し、世界的に活躍する加藤を高橋は著書『現代美術コレクター』(講談社現代新書)の中で「高橋龍太郎コレクションで最も重要な作家のひとり」と位置付ける。
加藤は「これは僕が木彫を始めたばかりのときの作品で、ネットの住民に熱狂的に愛されて、僕がまったく知らないところで人気者になりました。高橋さんは、これまで継続的に作品を購入されて、平面も立体もまんべんなく様々なタイプをお持ちです。高橋さんとは、あまり深い交流はないのですが、良い意味でクレイジーなコレクターだと思います」と話した。
新聞を貼りつめた屏風に「日」の文字が墨で書き重ねられ、展示室で異彩を放つ《「日/記」》(2012)は、書家の華雪(1975年生まれ)による作品。京都で育ち、東京に暮らす華雪が、展示をはじめ長く通う新潟で滞在制作した。歌人・美術史家の會津八一が半世紀前に揮毫し、地元で親しまれてきた「新潟日報」の題字の文字を繰り返しなぞることで、「『よそ者』である自分が、新潟の人々の『日』に近づけないかと試みた」(華雪)実験的な作品だ。
文字の成り立ちをリサーチし、人間や空間との関わりを含め表現する華雪。その作品を、高橋は「終わりなき日常の中で、一回性や孤高ではなく、持続する共通の世界を持ちながら、それを凝視できる現代アート」(『ON BEAT vol.18』、「高橋龍太郎の『ニッポン現代アートの価値』」)と呼ぶ。
「高橋さんとは2012年にギャラリーで初めてお会いし、これまでこの「日/記」や震災後のライフワークとして書き続けている《日》シリーズ(本展非展示)などをコレクションに加えていただきました。何度もお目に掛かっていますが、作品の意図を細かく説明したことは意外と少なくて。でも高橋さんが『ON BEAT』の連載の中で、戦後の日本のアートシーンにおける前衛書の歴史を踏まえ、私の書について触れてくださった文章を読み、私の仕事を誰よりもしっかりととらえてくださっていると感じ、励まされました」(華雪)
文学やマンガ、アニメなど日本文化の諸相を引用しながら、作家が自らを見つめた作品群を「若い世代の叫び」と呼ぶ高橋。本展会場では、高橋がいち早く作風のユニークさに着目した作家の作品も目を引く。
自分の「変顔」をモチーフに、ユーモアと遊び心に満ちた絵画を手がける松井えり菜(1984年生まれ)。《食物連鎖 Star Wars!》(2008)は、多摩美術大学の卒業制作で、初期の代表作のひとつ。ギャラリーで松井作品を見た高橋が、大学の卒展に足を運び鑑賞したうえで購入したという。
「継続的に作品をご覧くださっていますが、高橋さんは作家とは一線を画し見守るスタンスをつねに保たれます。変な言い方ですけれど、プロのような『コレクター魂』を感じます。当初学生気分が抜けなかった私が、プロの画家にならなきゃ!と思うきっかけになった方ですね」と松井は振り返る。
2人の子供の母親である松井は、こうも話す。
「美術家の仕事は外部から見えづらく、社会的信用が得にくい面があります。でも本展のフライヤーを役所に提出すれば、たとえば子供の保育園問題とかも解決できそう(笑)。作家活動の継続には身近な人の理解が欠かせませんが、高橋龍太郎コレクション展はこれまでも各地で開催され、私の作品も度々展示されたので、周囲の理解がとても深まりました。その点でも、日本の現代アートの最大の理解者である高橋先生のコレクションに作品が収蔵された意味は大きかったですね」
とくに1900年代以降の重要作品を多数含む高橋龍太郎コレクション展は、2008年の「ネオテニー・ジャパン」(鹿児島県霧島アートの森ほか)以来、国内外の美術館で何度か開催されてきた。その展示やコレクションの図録を見て育った新世代の作家も本展で紹介されている。
2023年に京都芸術大学大学院を修了した山中雪乃(1999年生まれ)は、本展に作品が展示されている最若手のひとり。身体の輪郭が妖しく溶解するような不定形な人物画を手がける山中は、「学生時代に『ネオテニー・ジャパン――高橋コレクション展』の図録を繰り返し見て、日本の現代作家は素晴らしいと感銘を受けました。日本のアートはカッコいいと再認識できて、非常に刺激を受けました」と話す。
本展で紹介される《stretch》(2022)は、大学院在学中に制作した。「有名作品が多い高橋龍太郎コレクションに、自分の絵画が加わったときは本当に驚きました。2022年に東京のギャラリーで初めて開催した個展に高橋さんが来場され、その後に京都での学内展に来られた2点の絵画を購入してくださったんです。その1点である《stretch》は、いまのスタイルを編み出した早い時期に制作した自分でも気に入っている作品です」(山中)
各作家の話からベテラン・若手を問わず、ときに遠方まで様々な展示に足を運び、自身の眼と感性をフィルターに作品収集を続けるひとりのコレクターの姿が浮かぶ。会場には、西尾康之の彫像《Crash セイラ・マス》(2005)など、保管場所が気になる超弩級サイズの大作も複数設置されている。個人が所蔵する「常識」を覆すようなスケールの大きさも高橋龍太郎コレクションの持ち味だ。
「作り手よりも、その作品を収集する高橋さんのほうがぶっ飛んでいるかも」。そう冗談交じりに話すのは、「描く」と「書く」のあいだをテーマにドローイング作品を制作する鈴木ヒラク(1978年生まれ)。様々な形状の反射板をすることで未知な記号を構成した《道路(網膜)》は、高橋の依頼を受け2013年に鹿児島霧島アートの森の展示室に1週間籠って制作した。
高橋との邂逅は2010年、突然かかってきた1本の電話だったという鈴木。
「『初めまして。精神科医の高橋という者ですが、いま森美術館で展示している作品は買えますか?』と言われたんですね。同館で開催中だった『六本木クロッシング展』で別の《道路》を見て連絡をいただいたんですが、縦横奥行き6mもある巨大なインスタレーションで、販売をまったく想定してなかったので思わず笑ってしまいました。それがコレクションしていただいた最初の作品で、その後もう少し小さいサイズで新しい視点を盛り込んだ展示作品を作る機会をいただきました」
最近収蔵された《自然のマーカー》(本展非展示)は、鈴木が参加者と行ったワークショップの記録品。拾い集めた木の枝の先をシルバーのインクに浸し、それを通して線を引く試みで、昨年群馬県立近代美術館で開催された鈴木の個展では、先端が染まった数百本が展示室に並んだ。
「これが収集されたのは想定外でした。空間でのインスタレーションの場合、アーティストは販売まで考えずに制作することが多いと思います。それを購入し保存保管する高橋さんは、ある意味で作り手より先が見通せているとも言えるし、挑戦されている感もありますね。作家とコレクターの関係に留まらない、刺激的で創造的な支援者であり、おこがましいですが同志のように感じることもあります」
同じく電話がファーストコンタクトだったのは水戸部七絵。絵具を塑像のように豪快に塗り重ね人間の顔を描き上げる水戸部の許に、高橋から突然連絡があったとのは。2016年12月のこと。同月発行の『美術手帖』の「ニューカマー・アーティスト」特集で紹介された作品を直に見たいという申し出だった。
「高橋さんは、九十九里浜(千葉県)近くの私のスタジオまで車で来られて、その場で作品の購入を希望されました。行動力がすごい。私は、美大を卒業してからオルタナティブスペースや美術館での展示が多く、アカデミックな世界で10年ほど売れない画家を続けていました。大量の絵具を使うので年1、2点しか制作できなかった時期があり、愛知県美術館で発表した作品では重量1トン近い絵画作品もあって、長く販売を想定していませんでした」
本展出品作の《DEPTH》は、2017年にミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクションの企画展「千一億光年トンネル」で披露したヒトの全身像。その時はミイラのように寝かせて展示したが、現在は絵画を立たせて展示し、支持体の鉄板に定着しきれず、床に落ちてしまった絵具部分を含め作品になっている。
「展覧会後にスタジオで絵具がずり落ち、それを高橋さんにご報告したら、それでも作品がほしい、むしろ素晴らしいという感じに言ってくださって。当時、落ちた絵具部分はまだ乾ききらない状態でしたから、苦労してスタジオの床板ごと切り抜き、木箱に収めて納品しました。そんな厄介な作品を長年保管し、さらにお披露目する機会をいただけて嬉しいです。今回久しぶりに本作を見たら、絵具の黄変や鉄板の錆びなど経年変化が加わって、また新たに魅力を感じました」
埋もれた名作との出会いは、コレクターにとって千載一遇のチャンスだ。「高橋さんのような目利きの方は、数秒の短い時間で作品を見極められるんですね」と、前本彰子(1957年生まれ)は話す。1980年代にいわゆる「超少女」のひとりとして注目された前本は、近年当時の美術動向が見直されるなかで再評価が進み、東京都現代美術館も作品を新たに収蔵した。
高橋龍太郎コレクション所蔵の《BLOODY BRIDE II》(1984)は、前本の80年代の代表作のひとつ。貼り付けられたドレスは、キューピー人形や小さな玉、造花が付けられた赤い裏布をたくし上げ、血を流しているように見える。2019年にコバヤシ画廊が開催した個展で久しぶりに展示された。
「この作品は、あちこち旅した“花嫁”です。1984年のシドニービエンナーレのために制作し、シドニーの後は全米7ヶ所を巡回した日本現代美術展『Against Nature: Japanese Art in the Eighties』(1989~91)や帰国展(ICA Nagoya、名古屋、1991)で展示されました。制作した27歳の頃は、その年齢の女性が結婚・出産するのを当然視する社会にモヤモヤした思いを抱いていました。それを当たり前みたいに押し付ける風潮が嫌でたまらなかった。本作では、ドレスの暗いスカートの内側に婚礼や生殖を象徴する様々なものを付けました」と前本は説明する。
「2019年の個展の時に初めてお会いした高橋さんは、あっという間に数点の作品の購入を決めて風のように帰って行かれました。この作品が高橋龍太郎コレクションにお嫁に行けてよかった。愛着ある作品ですけれど、このコにずっと家にいられると嵩張るし、将来も心配だし(笑)」
本展と同時開催中のMOTコレクション展でも、前本による巨大ドレスの新収蔵作品が展示されているのでお見逃しなく。
高橋が雑誌『アートコレクターズ』(2024年8月号)のインタビューで「ぜひ皆さんに(作品を)見ていただきたい」と語った玉本奈々(1976年生まれ)。テキスタイルデザイナーの経験を持つ玉本は、布や糸などの繊維素材を使い、その質感や量感、装飾性を生かした絵画や立体作品を手がける。本展で紹介される《心眼》(2003)は、翌年のVOCA展で展示され、高橋龍太郎コレクションに収蔵された玉本の作品第1号となった。
「高橋さんは、VOCA展の会期中に初めて連絡をいただき、同年に富山県で国登録有形文化財の2会場(内山邸、金岡邸)で行った個展にもお越しいただきました。仕事用の大きなバッグを手に現れた高橋さんが、畳に座ったり寝転んだりしながら熱心に鑑賞される姿が強く印象に残っています」(玉本)
高橋との出会いは、美術家として「ひとつの転機になりました」と玉本は語る。
「当時の私は、美術作品の売買に非常に疑問を感じていて、フランスで活動した時期も自分の作品を売らず周囲に不審がられました。崇高な存在であるべき芸術や作品が、経済的価値で測られ金銭に変わるような感覚がして、自分の中で葛藤があったんですね。でも、アートや作家に対する強いリスペクトを高橋さんに感じて、その感覚が払拭され、たとえ所有者が変わっても作品の芸術的価値は変わらないと教えていただいた気がします」
作品収集を通じ、日本の現代アートの持続的発展を下支えしてきた高橋龍太郎コレクション。多様性に富む多彩な作品群は、どん欲な好奇心を持ち続けるコレクターが、作り手のアーティストたちと共創したクリエイティブな「作品」にも思える。その厚みと熱を、展示室で実感してほしい。