公開日:2023年11月17日

『倉俣史朗のデザイン―記憶のなかの小宇宙』(世田谷美術館)レポート。「自由に浮遊したい」という願望をかたちにした名品と出会う

1991年に没した世界的デザイナー、倉俣史朗の全貌を辿る展覧会が東京・世田谷区で開催

没後30年、倉俣史朗の人と仕事を再検証

伝説のデザイナー、倉俣史朗(1934〜1991)。その仕事の全貌を紹介する展覧会『倉俣史朗のデザイン―記憶のなかの小宇宙』が、世田谷美術館11月18日〜2024年1月28日に開催される。

倉俣史朗は世界的に高く評価されるデザイナー。近年は香港に誕生した大規模美術館のM+に、インテリアデザインを手がけた新橋の寿司店「きよ友」がまるごと移設されたことも記憶に新しい。

【参考】倉俣史朗 きよ友(Kiyotomo sushi bar) 1988 Japanese cedar-veneered wood, steel, fabric, granite, glass, and acrylic Purchase with partial gift of Richard Schlagman, 2014 © Kuramata Design Studio
【参考】倉俣史朗 きよ友(Kiyotomo sushi bar) 1988 Japanese cedar-veneered wood, steel, fabric, granite, glass, and acrylic Purchase with partial gift of Richard Schlagman, 2014 © Kuramata Design Studio

飲食店や服飾店の店舗デザインだけでなく、独創的な家具も発表してきた。代表作《ミス・ブランチ》(1988)に見られるように、アクリル、ガラス、建材用のアルミなど、従来の家具やインテリアデザインの世界では用いられなかった工業素材を用いて、そこに独自の詩情を乗せた仕事は、1970年代以降に世界的な注目を集めてきた。

倉俣史朗 ミス・ブランチ 1988 富山県美術館蔵 撮影:柳原良平 © Kuramata Design Office

しかしバブル時代の1991年、キャリアの絶頂である56歳の若さで他界。早すぎる死によって、デザイン史における研究や評価が宙吊り状態となり、その業績を検証する展覧会は、じつはこれまであまり開かれてこなかったという。しかし没後30年を契機に、人としての「倉俣史朗」をひとつの軸としながら、初期から晩年までの作品を検証し、読み直そうというのが今回の展覧会だ。

さっそく展覧会を見ていこう。

秋深まる世田谷美術館

浮遊する家具

会場に足を踏み入れると、世田谷美術館の印象的な半円形の展示室で、倉俣のアイコニックな椅子やテーブルが鑑賞者を出迎える。冒頭からまさに倉俣の真骨頂と言える、当時新しかった素材との独自の向き合い方を堪能できるはずだ。

会場風景

コンクリートとガラス破片で作られたテーブル《トウキョウ》(1983)は、近づくと白いテーブルに、赤、青、緑などいろとろどりのガラスの破片がきらめき、なんとも美しい。この時代の都市のイメージが、どこか楽天的で明るいムードを纏っていたことを感じさせる。

会場風景より、《トウキョウ》(1983)

代表作《ハウ・ハイ・ザ・ムーン》(1986)ではスチールエキスパンドメタルが用いられている。金属が網目状に椅子の表層を形作りながら、内部に空洞を生み出し非常に軽やかだ。

会場風景より、《ハウ・ハイ・ザ・ムーン》(1986)

会場では、倉俣の印象的な言葉が紹介されている。

「僕には引力の支配から逃れ、重力から解放されて、自由に浮遊したいという願望があります。地球上で永い間に付着した因習、既成化された概念や観念、そしてあらゆる構造から解き放たれて、初めて本当の意味での自由を得られるのではないだろうかと、稚拙な望みを持ち続けているわけです。」
ー「無重力願望の椅子」、『家庭画報』題30巻第3号、1987年3月

こうした、浮遊や無重力への夢想は、この後の展示でも度々感じることができる。

透明アクリルの家具

独立前の三愛所属時代の仕事を紹介する「プロローグ」を経て、この後は年代順に4つのセクションで構成されている。

「第1章 視覚より少し奥へ 1965-1968」では、1965年にクラマタデザイン事務所を設立した独立後に焦点を当てる。この頃は店舗のインテリアデザインを請け負うほか、オリジナルの家具製作も開始。透明アクリルを用いた洋服ダンスやディスプレイなど、初期から倉俣の独自性が光っていたことがうかがえる。

会場風景より、《プラスチックの家具》(1968)と《プラスチックのワゴン》(1968)
会場風景より、《ピラミッドの家具》(1968)

「第2章 引き出しのなか 1969-1975」では、大阪万博に向けて社会が高揚するなか、大規模な仕事を行うようになってきたころの仕事を紹介。

ここでは「引出し」が多く展示されている。倉俣はこう語る。

「家具の中でひき出しというのはそうとう心理的なものも含めて、人間といちばんコミュニケーションが強い家具なんじゃないかという気がしますね。(略)秘密とかそういう部分もあり、イスにない要素がたくさんある。」
ー「異色のデザイナー」、『室内』第205号、1972年1月

会場風景

「音色」、もっとも好きな言葉

「第3章 引力と無重力 1976-1987」のハイライトは、1976年に発表された《硝子の椅子》だ。板硝子による最小限の構造で成り立つこの作品が生まれた背景には、ガラス同士を接着できるボンドを知人から受け取ったということがある。

こうした引力から解放された透明感のある素材使いが特徴的な倉俣だが、意外なことに「小物などを買いあさっていると、無意識のなかで、衝動的に手に取るものに『色』のあるものが多いことにふと気がづく」と綴っている。「色のあるものはいつしか消え失せる」という不安に起因し、色の消滅と自分の生命の衰退が重なることに恐れを感じ、逆説的に「色」を求めてしまう……そんな心情を1977年に残しているのだ。

この後に続く言葉が面白い。

「日本の言葉に音色というのがある。ぼくのもっとも好きな言葉である。透明な音の世界に色を見、感じるそのことにいちばん魅せられ、視覚的に確認できる安心さと、透(な)いものから色を感じ、色を想う。このふたつの欲深な色の世界にイマージュする。」
ー「連載 色の空間8」、『インテリア』第217号、1977年4月

会場風景より

倉俣が愛し、影響を受けた音楽のレコードや本などを紹介する一角を経て、「第4章 かろやかな音色 1988-1991」では《ミス・ブランチ》(1988)が登場。造花のバラをアクリルに閉じ込めたこの椅子は、浮遊感や一瞬と永遠を突き詰めた倉俣の代表作だ。

会場風景より、《ミス・ブランチ》(1988)

ほかにも《アクリルスツール(羽毛入り)》(1990)など、美しい作品が並ぶ。

会場風景
会場風景
会場風景より、香水瓶(イッセイミヤケ)[試作](1990)

「エピローグ 未現像の風景」では、イマジネーションのもととなった自身の幼少期の記憶についてや、1980年頃からつけ続けた夢日記、スケッチブックなどを展示。倉俣の精神や思想を紹介する。

伝説のデザイナーの人となりや創造の源などに触れ、倉俣の仕事を新たな視点から見ることができる展覧会となっていた。

会場風景
会場風景

会場を一周し、最初の部屋に戻るとあたりは真っ暗。展示室はまさに宇宙に浮かぶ宇宙船のようだった。

会場風景

また、ショップでは展覧会のグッズも充実。倉俣作品のエッセンスを自宅に持ち帰ってみてはどうだろうか。

グッズ売り場の様子。倉俣の作品《ランプ(オバQ)》や花瓶も購入できる
グッズ売り場の様子。作品をイメージしたお干菓子がかわいい


福島夏子(編集部)

福島夏子(編集部)

「Tokyo Art Beat」編集長。『ROCKIN'ON JAPAN』や『美術手帖』編集部を経て、2021年10月より「Tokyo Art Beat」編集部で勤務。2024年5月より現職。