昨年末、東京都現代美術館のグループ展「日本の新進作家 vol. 18 記憶は地に沁み、風を越え」での出展、NADiff a/p/a/r/tでの個展「測量|山」/「砂の下の鯨」、初の作品集『測量|山』(発行:T&M Projects、2021)の出版を通して、吉田志穂の仕事を複数の場で経験する機会に恵まれた。それは、これまでの吉田の仕事の根幹をなす「測量|山」と「砂の下の鯨」の2つのシリーズが、どのような問題をはらんでいるのか、あるいはそこにはどのような問題が通底するのか、を再考する機会でもあった。
さしあたって吉田の作品の「問題」とは、写真が、その存在を自ら積極的に定位することが不可能性な媒体であるという、写真の存在論的な位相に関わるものである、と言えるかもしれない。写真は、そもそもの始まりから、かつて存在した、現実の対象を断片的にフレーミングし再生産する副次物であり、ゆえに、みずからオリジナルな事物であることができない。さらにおよそすべての写真は、ときに視覚的な映像=データであると同時に、印画紙に印刷された厳然たる物質でもありうるという両義性を持つ。
現代において写真は、事後的な加工をいかようにも引き受けることができるという意味で、とくに「開かれた」媒体である。写真の様態は、つねになんらかの外部の対象の侵入によって損なわれた状態で存在する。あるいはそのような状態において、写真の物質性は、つねに、毀損され、壊れた状態において持続しているのだと言い換えてもよい。写真は、半壊の、あるいは下半身のない幽霊のような半透明の状態のなかでのみ、私たちに、その存在論的な本性を告げている。
このことは、吉田の写真の制作手法に直接的に関係しているように思われる。彼女はまず、探索の対象となる場所の写真、地図、種々の情報をインターネットで検索し、ネット上に無差別的に散乱するデジタル・データにアクセスすることから制作を開始する。そこには必然的に、特定の人物が撮影した写真ばかりではなく、衛星写真のような、非人称的な機械装置が撮影した、非美学的な写真が混在するだろう。そのような非美学的な写真は、芸術写真の文脈などいっさい顧みることのない、データ、情報、画像、つまりはたんなるピクセルの集合体へと限りなく接近している。そして、そのような情報の検索結果は、Googleなどの人工知能のアルゴリズムによって検出されたものだ。そのような状況において、写真、画像、情報は、互いに侵食され、弁別不可能な連続的な流れを形成している。
その後、吉田は、その検索=探索によって見出された場を、自ら現地に赴き撮影する。こうした一連のプロセスが想起させるのは、アース・アートの作家ロバート・スミッソンによる「サイト」と「ノンサイト」の区分である。スミッソンは、屋外の場を「サイト(場)」と呼び、実際の場と関係する地図や写真、ドローイング、現場から採取した岩石などの集積を「ノンサイト(非場)」と呼び区別した。その区分を応用すれば、吉田の仕事もまた、「ウェブサイト」というノンサイトと、現実の「サイト」という2つの場(site)の往還とその弁証法的な関係によって創出されると言えるだろう。
加えて、実際の現場だけではなく、ネット上で発見された画像もまた、フィルムによって再撮影される。つまり、吉田の写真は、フィルムによる撮影や暗室でのプリント作業といった物理的な加工を挟むということだ。それらのプリントは、しばしば構成的(コラージュ的)に重ね合わされたり、あるいは紙焼きの状態で折り曲げられるなどの物理的操作が加えられる。彼女は、その写真をスキャンし、画像へと変換する。さらにその後、展示の場において、その画像は再度紙焼きあるいはプロジェクター投影の形式で出力され、現実の事物としてインスタレーションされる。また、それが展示されるときには、かならず、写真は自らの物質性を強調するように、ニュートラルな壁掛けの展示方法を避け、斜め方向に設置されたり、あるいは床に直置きされるなどの操作が加えられる。
この一連の制作方法のなかに、すでに吉田の問題意識がはっきりと封じ込まれていると言ってよい。吉田の写真は、段階的に、①インターネット上の画像情報の探索→その画像のフィルム撮影ないし実際の場での撮影(デジタル→アナログ)への変換を示し、②フィルム撮影、暗室作業、印画紙の折り曲げなどの物理的な介入→スキャニングや再撮影による画像化(アナログ→デジタル)という操作を経て、③デジタルデータ→出力・展示(デジタル→アナログ)という流れを示すからである。つまり、吉田の制作では、幾度となく繰り返される、データと物質(デジタルとアナログ)の絶え間ない往還こそが実践されていることになる。
だが、注意すべきは、吉田の制作が、写真映像にまつわる、通俗的な非物質と物質の二元論を強調するものではないということだ。つまり、データが非物質であり、現実の場やフィルムや印画紙が物質であるというわけではない。たとえば、「測量|山」というタイトルに示されている「山」とは、もちろん吉田が撮影地として選択したじっさいの「山」のことを指すが、それは同時に、デジタル・データや情報の「山」をも意味している。現実に、データは容量という重さをもち、その集積は、やがて、いつかはかならず、ハード・ディスクを圧迫する。現時点で容量無限のハード・ディスク・ドライヴが存在しない以上、情報は現実であると同時に、メタフォリカルな「重さ」をもつ、物質の塊=山である。
吉田が現実の山と並行して「山」としてとらえるのは、この情報の積層、堆積のことだ。そのため、「測量|山」というシリーズのタイトルにある「測量」と「山」という単語は、必然的に、複数の含意を持つことになる。彼女が山を撮影するとき、「山」は同時に情報それ自体のメタファーであり、「測量」とは、インターネット上のアーカイヴにアクセスし、画像、情報を集積し、あるいは探索し、採掘する彼女の手法そのものを示すことになるからだ。吉田は、データと呼ばれる事物の集積や採掘作業と並行して、同時に現実の山に出かけ、今度は、山を写真として撮影し、さらにはそれを画像化し、そして物質的に出力しインスタレーションするという複数回の再帰的過程を加えることで、現実の山を無数の映像の断片が異種交配された映像の「山」へと更新する。その段階のいずれもが、測量と呼ばれ、山と呼ばれる。
この世界のなかで、データと現実の対象は、異なる種類の物質として分岐している。だが、吉田の制作は、データの物質性と現実の事物やフィルムの物質性を、ともに「山」という堆積物としてとらえ、そのうえでなお、両者のあいだにある差異を、押し流される土砂のように崩壊・決壊させることに向けられている。ゆえに、デジタル・ネイティヴ世代と総称される吉田にとっては、ネットの世界と現実の世界はどちらも分け隔てなく等しい〈現実〉なのであり、ゆえに、彼女はそこにいかなる差異も認めていない、と言うだけでは十分ではない。そしてこの認識は、吉田の属する世代の問題だけに還元されえない。
たとえば情報の物質性は、熱力学に由来するエントロピーの概念を参照したクロード・シャノンらが創始した情報理論・サイバネティクスにおいてすでに強調されていたことである。そこでシャノンらは、情報が事物と同じように、つねにエントロピックな侵食を受けつつある、崩壊の過程のなかにあるものであることから情報の単位を扱うことを企図した。
吉田の知的認識は、そのような歴史と結ばれている。複数の種類の写真、画像を絶えず交配させる吉田の制作は、データと現実とのあいだに、エントロピックな事物の流動が存在することを認識する。そして、それは現実の山と相似的な、異なるものの堆積(混成)と崩壊を繰り返す。堆積物としての山の物質性は、つねに、異なるものの混ぜ合わせ、攪拌、あるいは土砂の崩壊と隣り合わせの存在としてある。そこで、情報の集合としての「山」や、データの重さと現実の土砂の堆積は区別されえない。吉田の制作において、異なる、複数の現実の物質性は、土砂のように、エントロピックな混合を経験する。私たちの前でいま明滅するのは、そのような過程を経て撮影された、銀色の砂嵐のように輝く、光の粒の集合体と化した写真のすがたである。
冒頭で述べたことを繰り返せば、現代において写真は、複数性や異種交配性を前提とした副次物の絶え間ない累積としてしかその存在を定位することができず、そしてまた、その不完全性ゆえに、つねにほかのものに侵食されている。写真のそのような様態は、現実の山が、岩石や砂の堆積物として、堆積と崩壊の二極的で流動的な運動のさなかにあることと連動している。
その意味で、吉田が撮影に赴く被写体としての山岳は、そもそもデータや情報と相似的な対象であるがゆえに選択された対象であったはずである。たとえば、山はそれを見る者との距離の遠近によってそのサイズを大きく変える。そして、私たちは、山をある限定的な視角からしか見ることができず、つねに山の断片しか知覚することができない。言い換えれば、山は視知覚的な対象としてはいつも不完全であり、距離や角度によって変幻する。山の全貌が開示されることはけっしてない。さらに、ときとして人は、まったく異なる、隔たった場にある異なる傾斜にすら連続する稜線を見出し、それを山と呼ぶ(認識する)ことさえあるだろう。
だが、それでもなお、人は、そこに山があることを確信する。私たちは、そのような情報の断片の集合=堆積(情報の山)から、現実にはその存在を証明することできない山が、そこにあることを確信してやまない。山が情報のメタファーになりうるというのは、そのような意味においてである。たとえば、同じように、誰もがツタンカーメン王にじっさいに遭遇したことがないにもかかわらず、様々な情報の断片の集積によって、私たちのほとんどは、過去にツタンカーメン王がかつて存在したことを信じて疑わない。
断片の集積から、ツタンカーメン王の存在を確信することと、人が山を知覚することは、その意味でよく似ている。情報を知覚することは、不在の対象を断片の集合=堆積によって埋め立てること、あるいは、不在それ自体を積み上げることなのである。だから、吉田の制作においては、情報の堆積が「山」として名指されるのみならず、山もまた、それと同じ条件において、情報とみなされることになる。そこに、吉田の山岳写真の知的位相が存在する。
もうひとつのシリーズ「砂の下の鯨」は、この観点からとらえられるはずである。あるとき吉田は、生まれ育った千葉・館山の海岸の航空写真を見ていたとき、見慣れない囲いに覆われた場所を見つけたという。調べると、そこはかつて鯨が座礁した場所であった。鯨は、骨格標本にするために、一時的にその囲いのなかに埋められていたのだった。吉田が鯨の座礁事件を知ったのは、鯨が埋められてから2年半ほど経ったあとのことだったという。そこで吉田は、砂の上に、鯨の皮膚の模様にも似た「綺麗な砂紋」ができていることを発見する。吉田は、鯨そのものではなく、その皮膚を思わせる砂紋を撮影した。
より厳密に言えば、吉田がここで撮影したのは、鯨が埋められた海岸だけではなく、じっさいの鯨を見ることへの経験的な遅延、遅れ、そのものである。砂の下に眠る鯨のすがたを確認するすべが存在しない以上、鯨が砂の下に存在することは、吉田にとって、あくまでのひとつの情報、伝聞としてのみ存在する。だから、不可視の鯨の存在の確かさは、無数の情報の断片によって埋め立てられることによってのみ与えられる。ゆえに、鯨は、情報によって埋め立てられることによって、この下に鯨が眠っているという確信を与えるものであると同時に、現実の砂によって埋め立てられた、不在の対象として存在する。
「測量|山」と同じく、情報と埋め立て、ないし情報と土砂や堆積物との関係は、ここでも一貫した関心の対象となっていると言って良いだろう。いずれにせよ、そこでは、対象の確かさへの漸近的な接近と、対象の究極的な不在とが、奇妙に混在している。吉田が千葉の海岸で見いだした、鯨の皮膚に似た「綺麗な砂紋」とは、流動的な侵食関係にある情報と物質の絶え間ない往還、その異なる2つの極のあいだでなされる振幅運動が生み出した、波動にほかならない。