公開日:2024年3月11日

いま、パレスチナを知るために。暴力的に分断される世界で、逆境をはねかえすように制作する3名のアーティストたち(文:西山恒彦)

パレスチナ出身のアーティストは、世界でも稀に見る複雑な同地の状況と向き合いながらどのような活動をしてきたのか、3名のアーティストの活動を通して考える

モハメド・アル・ハワジリ 出典:Facebookページより(https://www.facebook.com/mohammed.alhawajri)

2023年10月7日、パレスチナのガザ地区を統治するハマスがイスラエルを攻撃したことをきっかけとして日本でも注目されるようになったガザ侵攻。イスラエル軍によるガザ地区への攻撃は続き、2月末時点ではガザでの死者が異例となる3万人を超えたと発表されている。国際司法裁判所(ICJ)は1月、イスラエルに対し、ガザでのジェノサイド(大量虐殺。国家あるいは民族・人種集団を計画的に破壊する行為)を防止するためにあらゆる措置を講じるよう命じたが、イスラエル軍は2月、ガザ地区の約150万人が身を寄せる最後の避難場所・ラファ侵攻の計画を発表。国際社会からは批判の声があがっている。

現在戦火にあるパレスチナだが、この状況はいまに始まったことではなく、同地をめぐる争いは200年以上にわたって度々起こってきた。パレスチナ出身のアーティストは、世界でも稀に見る複雑な同地の状況と向き合いながらどのような活動をしてきたのだろうか。2017年、中東にゆかりのあるアーティストたちのグループ展「ディアスポラ・ナウ!故郷(ワタン)をめぐる現代美術」を企画した岐阜県美術館の学芸員、西山恒彦に3名のアーティストを紹介してもらった。彼らの活動から見えてくることとは。【Tokyo Art Beat】

故郷を追われ、離散する人々への眼差し

岐阜県美術館で2017年に「ディアスポラ・ナウ!故郷(ワタン)をめぐる現代美術」(*1)という展覧会を企画し、そこでパレスチナ出身のアーティストを2人紹介した。 この展覧会では紛争や災害によって故郷を追われ、離散し、それぞれの地に移り住みながらもかの地への帰属意識を持ち続ける人々や、そうした複雑な状況と近接する立場を現代世界に表明するアーティストにフォーカスした。

さらに、そうした関心からSNSでガザ地区在住のアーティストとつながり、後日、「ディアスポラ・ナウ!」とは別の企画・主催者によるガザ地区在住のアーティストに踏み込んだ展覧会(*2)が開催された際に、その人物と会うことになった。この記事ではそのように個人的に面識を得ることとなった経緯と合わせて、3人のアーティストを紹介したい。

ディストピア的なイメージでパレスチナの状況を浮き彫りにする

1人目はパレスチナ・エルサレムの出身で、現在ロンドンを拠点にするラリッサ・サンスール。コペンハーゲン、ニューヨーク、ロンドンに留学して美術を学び、自分の故郷の問題を扱ったビデオ・アートを次々と発表してきた。作品の傾向としてはSF映画を参照したものが多く、とりわけディストピア的なイメージを使うことで、現代のパレスチナの状況を浮き彫りにしている。

2011年に私の前職の広島市現代美術館で初めて彼女の作品を上映していた期間中に、彼女が現代アートの賞「ラコステ・エリゼ・プライズ」の公募に最終選考まで残ったと知らせを聞いたかと思うと一転、テーマに相応しくないという理由で急に排除されるという事件となった(*3)。それに呼応して市民団体の中から表現の自由を訴えるデモや主催企業へのボイコット運動が起き、彼女は逆境に立たされても制作を続けることができた。そうしてヨーロッパの国々でも知名度を得て、中東での評価と支援を獲得して国際評価を高めていたことから、私の現職である岐阜県美術館でも作品を紹介することができた。

写真右からラリッサ・サンスール、ソーレン・リンド、二人の愛娘カヤ、後ろはアートアドバイザーの塩原将志、筆者、タグチアートコレクション共同代表の田口美和(2019年7月10日撮影)

その翌年のヴェネチア・ビエンナーレで、彼女と共同制作をしてきた公私共にパートナーのソーレン・リンドの出身国であるデンマークの共同代表を務めるまでに至った。そうした国際評価の高まりから日本にも彼女の作品を評価し、購入する現代美術コレクターが現れ、加えて、岐阜県美術館でも1点収集できたことから、それら合わせて3作品の上映展示が叶い、ラリッサ・サンスールのアジア初個展をコロナ禍で開催することとなった。

「特集:ラリッサ・サンスール」展展示風景(岐阜県美術館、2022)より、左からラリッサ・サンスール+ソーレン・リンド《歴史修正主義の皿》(2016)、《未来では、彼らは最高級磁器で食事していたことになる》(2016)

食というプライベートな嗜好から故郷を再考する

2人目は、現在パレスチナ自治区の中心都市であるラーマッラーを拠点にするミルナ・バーミア。彼女はエルサレムのベツァルエル美術デザイン学院を修了した後、国内外でのレジデンシープログラムに参加していて、2016年当時のトーキョーワンダーサイト(現在のTOKAS)の「海外クリエーター招聘プログラム」に参加していた(*4)。私は自身の展覧会のためにパレスチナ在住のアーティストにも出品してもらいたく、そして何よりも作品のクオリティが高かったことから、彼女に依頼した。その岐阜での展覧会の際、彼女はオープニング・レセプションでお菓子の材料を提供してくれたが、その行為は、パレスチナのローカルフードの調査研究を行なっていた当時の彼女のアートプロジェクトを予告するものだった。

「ディアスポラ・ナウ!〜故郷(ワタン)をめぐる現代美術」オープニングでパレスチナの菓子ハルワについて説明するミルナ・バーミア(岐阜県美術館、2017)

食材の加工工場が閉鎖されたり、家族が代々同じところに住み続けられなくなったりするパレスチナで、食というプライベートな嗜好から故郷とそこでの生活を再考するために、彼女が立ち上げたプロジェクトが、「パレスチナ・ホスティング・ソサエティー」(*5)だ。作家自身がパレスチナの伝統料理を調査して、調理し振る舞うそのプロジェクトは、パレスチナ・ミュージアムだけでなく世界各地で開催。コロナ禍に入り制作した《to Jar(瓶詰めに)》、さらにそれを含めて展示するシリーズ「Sower Things(酢漬け)」へと展開した。彼女は親から子へと指先を通して代々受け継がれる、瓶の中で人知れず活動する発酵の菌に注目した。それらの作品は2023年のシャルジャ・ビエンナーレでも展示され、コロナの行動制限解禁後、筆者は会場で彼女との再会を果たした。

ミルナ・バーミア《Sour Things_The Souq(酢漬け_市場)》(旧アル・ジュバイル野菜市場、シャールジャ・ビエンナーレ15、2023)

難民施設で美術を学んだアーティストたち

最後に紹介するのはガザ地区のブレイジ難民キャンプで生まれたモハメド・アル・ハワジリ。美術を学ぶため、ヨルダンのアンマンで開催された美術のサマーキャンプ「サマーアカデミー」に3回(1999年、2000年、2001年)参加し、閉会展示会で最優秀賞を受賞した。ユネスコの支援でそのサマーキャンプを監督し、モハメドの絵の先生となったのがマルワン・ケサブ・バシ(1934〜2016)だった。日本ではマルワンの作品を目にする機会が少ないかもしれないが、彼はシリアのダマスカス出身でベルリンを拠点に活躍した、中東はもちろんドイツでもその名を知られる戦後を代表する画家である。

モハメドだけでなく「サマーアカデミー」参加者の示す、そのシリア人画家への尊敬の念は、難民施設での絵画教育の意義を伝えている。そうした難民施設で活動する画家は日本にもおり、近年は上條陽子のプロジェクトが注目されている(*6)。彼女は自身の作品展示のために1999年パレスチナに訪れて以来、レバノンでの難民キャンプに絵の教育者として繰り返し訪問するようになった。その出会いをきっかけにモハメドはソヘイル・サレイム、ライエッド・イサと一緒に来日、申請から何ヶ月もかかるビザの取得といくつもの検問を超えて、日本でのグループ展を2019年に実現した(*7)。困難な地でもアートの種が蒔かれて力強く育まれる様子に感動を覚える。

ギャラリーSHIMIZUにて、左から上條陽子、ライエッド・イサ、ソヘイル・セレイム、モハメド・アル・ハワジリ 撮影:福山茂

ドクメンタ15で反ユダヤ主義のレッテルを貼られたアーティスト

モハメドは2002年、「サマーアカデミー」に参加した画家たちとともにガザ地区に現代美術のための「エルティカ」というアーティストグループを設立(*8)。 彼自身は2008、9年にパリの国際大学都市に滞在し、その後世界各地の展覧会に個人としても「エルティカ」としても出品してきた。日本での展覧会実現の後、ドクメンタ15にも「ザ・クエスチョン・オブ・ファンディング」というパレスチナ人アーティストグループの一員として招聘された。

そもそもヨルダン川西岸地域にはいくつかの芸術文化施設ができ、それらをきっかけに活躍するミルナ・バーミアのようなアーティストが現れた。それら施設の運営は、ほかの国でビジネスに成功したパレスチナ出身者やアラブ系の財団からの援助、あるいはオスロ合意後の国際的な支援によるものだが、封鎖の強まるガザ地区でも同様の恩恵が受けられていたとは考えにくい。それまでの「資金調達への疑問」を呈して、ブロックチェーンという新技術が象徴する境界なき世界を想定するなかで、除外されがちなガザからのグループが参加できないままでは十分とは言えない。自治区が飛地になっているだけでなく、分離壁と検問所によって土地が分断され、そこを抜けるIDの種類が居住地・出身地によって分けられている(*9)。移動の自由が次第に制限されてもそれに抗い、地域を超えてパレスチナ人としてアイデンティティを主張する必要がある。

パレスチナのパスポートを掲げるモハメド・アル・ハワジリ。京都大学吉田キャンパス、2019年2月27日 撮影:筆者

やっとのことで国際舞台に参加できた「エルティカ」であったが、そのメンバーのモハメド・アル・ハワジリの作品が、ドクメンタ15で反ユダヤ主義のレッテルと批判の矛先を向けられるという理不尽なできごとがあった。この話題がアート業界で広がった際に筆者の抱いた違和感は、メディアが報じる多くのレポートが国際展の代表者やドイツの歴史・憲法の研究家のコメントで構成されていたことだった。もっと耳を傾けるべきは、ガザ市民であるアーティストの言葉であるべきとだと思ったが、立場や情報収集の格差を超えて、執筆されるような記事を目にすることはできなかった。昨今のガザへの侵攻の激化に伴う報道・解説で知った方も多いかもしれないが、その民間人を巻き込む攻撃は昨年初めて起きたことではなく、繰り返し起きていたものである。パレスチナ問題についての欧米での報道にも傾向があるように、美術批評もまた同じような情報の偏向が起きていなかったのか検証が必要ではないだろうか(*10)。

現在もガザ地区で生活をするモハメド・アル・ハワジリのInstagramより。現地の様子が克明に伝わってくる 出典:https://www.instagram.com/hawajriart

報道とは異なるメッセージを伝える作品たち

アーティストの置かれた視点から表現される作品は、報道が伝えるものと異なるメッセージを伝えてくれる。そのうえで3人のパレスチナ人アーティストを紹介してもわかる通り、同じパレスチナ人といっても異なる出生や居住区とによって、それぞれの困難さを抱えながら自らの作品を発信している。彼らの置かれた世界が理不尽すぎていわく言い難いものであっても、それを見据え、表現へと変換してくれる。暴力的に分断される中に押し込められても、逆境をはねかえすように、国内外にネットワークを更新しながら、制作を続けている。その意味で、ドクメンタ15は運営面の不備で問題があったとしても、その「アートではなく友達」を作ろうというスローガンは的を得ているように思える(*11)。私自身も語学が下手で会話も苦手なほうだが、SNSも翻訳アプリも精度が高くなった現在、相手への関心と敬意があれば一定の情報のやりとりぐらいはできる。

最後に『ガザの画家3人の来日記録集』から引用させていただきたい。

「エルティカ(アラビア語の正確な発音では「イルティカーゥ」)とは「出会い」を意味する。若手の芸術家が集う機会を与え、また女性の画家たちに安心して活動できるアトリエのスペースを提供する現代芸術家の運動である。問題への関心と行動を支えるものは、人と人との「出会い」ではないか。エルティカという名前を聞いてそのことに気がついた。一回しか会ったことがない人でも、その顔、その言葉が一生残り、こころの支えとなることがある。(中略)アラビア語の別れの言葉には、イラー・リカーゥという言葉がある。中国語の「再見(ツァイ・チェン)」と同じように、「またの出会いまで」という意味である。人と人との出会いの積み重ねこそが、世界にはびこる不正を正す力となるのだということを信じたい。」 (*12)

*1──参照:報告書「ディアスポラ・ナウ!〜故郷(ワタン)をめぐる現代美術」岐阜県美術館、2018年:https://kenbi.pref.gifu.lg.jp/images/DIASPORA-NOW-%E5%A0%B1%E5%91%8A%E6%9B%B8-H300216.pdf
「ワタン」とはアラビア語で祖国・故郷を意味する。
*2──相模原市民ギャラリーで行われた「パレスチナ・ガザの画家を支援する交流展」(2019年1月17日〜22日)
*3──Cf. Ashley Lee, “Lacoste Elysée Prize Cancelled After Exclusion of Palestinian Artist,” ArtAsiaPassific, 25 Jan. 2012: https://artasiapacific.com/news/lacoste-elysee-prize-cancelled-after-exclusion-of-palestinian-artist
*4──https://www.tokyoartsandspace.jp/creator/index/B/87.html
*5──https://palestinehostingsociety.com/
*6──「壁を越える〜パレスチナ・ガザの画家と上條陽子の挑戦〜」日曜美術館初回放送日 2021年6月6日: https://www.nhk.jp/p/nichibi/ts/3PGYQN55NP/episode/te/Q28X3KL4PR/
*7──参照:長沢美沙子「ワンチームのオールジャパンが起こした奇跡 2019年2月」『ガザの画家3人の来日記録集』パレスチナのハート アートプロジェクト、2020年、 pp.42-46: http://www.fgallery.com/phap/2019gaza_record.PDF
*8──http://eltiqa.com/
*9──ひと口にパレスチナ人と言っても境遇はざまざまです。イスラエル国籍のパレスチナ人/パレスチナ暫定自治区居住のパレスチナ人(治安維持権限がパレスチナか、イスラエルか)/東エルサレム(イスラエルによる実効支配下)のパレスチナ人/ディアスポラのパレスチナ人(外国籍を受けられているかいないか、難民認定を受けられているかいないか)など。 参照:臼杵陽『世界の中のパレスチナ問題』2013年、pp.318-9; 錦田愛子『ディアスポラのパレスチナ人』有信堂、2010年
*10──エドワード・サイードが1981年に出版した著作『イスラム報道』は、いまでも辛辣に様々な報道やさらには美術批評にさえもの訴えてくる。序文にはこう書かれている。「私は、ムスリムがイスラームの名によってイスラエル人や西洋人を攻撃したり傷つけたりしたことがない、などと言っているのではない。私が語っているのは、人がイスラームについてメディアを通して読んだり見たりすることのほとんどが、侵略行為はイスラームに由来するものであり、なぜなら「イスラーム」とはそういうものだからだと表象されている、と言うことである。その結果、現地の具体的な様々な状況は忘却される」(翻訳:浅井信雄・佐藤茂文・岡真理、[新装版]みすず書房、2018年、p.xx)
*11──Minh Nguyen, “Friendship and Antagonism: Documenta 15” Art in America, 2 Aug. 2022 (翻訳:清水玲奈、ARTnewsJapan, 2022年8月19日: https://artnewsjapan.com/article/378
*12──長沢栄治「パレスチナ問題と『出会い』」前掲書『ガザ3人の来日記録集』p.23

西山恒彦

西山恒彦

にしやま・つねひこ 1973年東京都生まれ、埼玉県育ち。ギュスタヴ・クールべを中心とした近代フランスの美術制度論から「現代性」を研究し、美術館では現代美術展を担当。岐阜県美術館学芸員。クロスアート4「ビロンギング」(松山智一、公花、後藤映則、横山奈美、山内祥太)を6月23日まで開催中。