公開日:2024年5月22日

平面、昇華、消滅:ナイル・ケティング「Polyharmony」評

現代アーティスト、ナイル・ケティングがベルリンで開催した個展「Polyharmony」を、キュレーターのジェイド・バルジェがレビュー。(翻訳:加藤杏奈)

展示風景より 撮影:村上亘

神奈川県に生まれ、ヴィデオ、パフォーマンス、サウンドなどの様々なメディアを使ったインスタレーション作品を作り続けている現代アーティストのナイル・ケティング。そんな彼の個展「Polyharmony」がドイツ・ベルリンのGalerie Weddingで開催された。会期は2023年12月8日~2月25日。

パリとベルリンを拠点に、自然の背景にあるエコロジー、アトモスフィアの虚数についての調査を行うキュレーター、ジェイド・バルジェによる評論の日本語版を公開する。【Tokyo Art Beat】

ナイル・ケティング個展「Polyharmony」

私は無意識の中に現れる自意識が大好きだ。それは私の論理的な思考(自意識)にほんのわずか触れ、目をやる直前に現れる。新しいソフトウェアや新たな都市で自分のあり方を見つけるときのように、私を動かす本能に心を奪われる。 私は、マシーンが何をしようとしているのか、あるいはその都市がどのように構成されているのかといった複雑な事象にはまったく興味がない。スマートフォンのマップ上に表示される青いドットをたどる青い線のように、紛らわしいプロセスから解放され、ただその目的地にたどり着きたいだけなのだ。

2023年12月、その青い線は、私を通りに面したガラス張りのギャラリー(Gallery Wedding)で開催されている、ナイル・ケティングの個展「Polyharmony」へと導いた。 しかし、目的地に着いたとはいえ、そこに「到着した」という感覚は会場に入ると同時に混乱させられた。なぜなら、そこは終着点という感じよりもむしろ、別の場所へ行くための中間地点のようだったからだ。そこはまさに、境界線上の場所であり、空港のロビーやゲートを思い起こさせるような場だった。

平面―SURFACE 

まるで水族館のようなギャラリーの大きな窓から見える、光に満ちた展示は、やわらかく輝き、脈打つ。滑らかな光は、ベルリンのミュラー通りという洗練されていない、プラグマティックな環境の中で異彩を放つ。ADHDを持つ子どもたちのためにつくられたセンソリールームのように、小さなモニターから中型のディスプレイシステムなど明滅するスクリーンがギャラリーのあちこちに散らばり、天井から吊るされたり、壁の様々な高さに固定されたり、また床から立ち上がる。時刻表、積荷表示、最適化状況、分析グラフなどを表示するスクリーンは、iPhoneのように鮮やかな、次世代のソフトウェアインターフェースにある洗練された滑らかなデザインを、それぞれが持つ。そこに映される情報は、スクリーンセーバーに似たグラデーションの背景で輝き、時折、グラフィカルなアニメーションによって中断され、映されたデータに夢中になる鑑賞者を楽しませてくれる。

天井から吊るされた《Throbber》と題されたデジタルディスプレイは、その名の通り、終わりなく回転し続ける「読み込み中のアイコン」を映している。回転する円を見ていると、ウロボロス的に、自分の尻尾を追いかける蛇のような、もしくは、ケティングが語る「デジタルの円相」、すなわち一筆で描かれた禅仏教の未完成の円を思い起こさせ、瞑想的な不快感ともいえる感覚を鑑賞者に抱かせる。この円相は、リアルタイムにシームレスで超高速な応答を提供することに失敗した、テクノロジーの挫折が投影されたシンボルであると同時に、自身を記号としての機能から開放し、美的な悦びとして、私たちを「待ち」の状態へと誘うものでもある。つまり、《Throbber》と円相は視覚的類似を超越しており、それらはどちらも精神的な働きをしながら静寂への招待と抵抗を示すのだ。

展示風景より 撮影:村上亘
展示風景より 撮影:村上亘

そして、《Throbber》と円相について同時に思考を巡らせると、もうひとつの共通項が見えてくる。円相を描くことはマインドフルネスの実践であり、存在についての瞑想である。このことは、目に見えないもの、宇宙と精神という、計り知れないものが一体となったイメージの表出であり、社会の至るところに溢れるローディングアイコンの「Throbber」がバックグラウンドで実行している高負荷の演算、ダウンロード、通信、その核心にあるオペレーションのためのイメージであることと同義でもある。両者はどちらもインターフェイスであり、知りうるものと知りえないもの、明白なものと神秘的なもの、ユーザーと機械の間、つまりヴィレム・フルッサー的に言うところの「なんらかの『意味』を持った平面(*)」とユーザー間の相互作用における、複雑な関係と緊張における中心点なのだ。

「Polyharmony」は、このような「なんらかの『意味』を持った平面」にあふれている。 たとえば、《Optimization of the yesterday (optional now+) 》と題されたヴィデオスカルプチュアは、3Dプリントされたフレームに収められた小さな円形のスクリーンに、終わりなく「最適化中」と「最適化完了」が表示される。さらにヴィデオ作品である《Information》はフライトの発着情報を思い起こさせるアニメーションであるが「リサイクルビーチ」「見えない地平線」「ラミネートされた大地」「タピオカプラットフォーム」など、人造的な世界を喚起させる航空会社名のフライトは、映像内ですべてキャンセルされる。このように、ケティングの作品のインターフェースは複雑なシステムの故障やデジタルがもたらすフラストレーションのイメージを、ヒーリング効果を持つようなビジュアルへと変換し続けている。たとえ、最適化の結果が私たちの求める変化をもたらさず、得体の知れない出来事がすべてのフライトをキャンセルしたとしても、ケティングの作るインターフェイスはとても心地がよいのだ。私たちはただ温かみのあるスクリーンの液晶を見つめ、カオスを促す蝶の羽の色に目を凝らし、心を落ち着かせることができる。

展示風景より 撮影:村上亘

昇華―SUBLIMATION 

ケティングの作り出すインターフェースは、時に機能性を持った家具ともなる。たとえば、《Seat Selections i and ii》という作品では、2枚の楕円形で明るいオレンジ色のカーペットが、ポータル(サイエンスフィクションに登場する時空トンネル)のようなベンチのために、まるでステージとして機能するように敷かれており、ベンチの樹脂製の座面はオレンジとピンクの柔らかな光を放っている。これらの丸みを帯びた、有機的に光り輝く家具は、Y2K(2000年代)の未来像を凍結しながら反映する。そこにあるのはいわゆる突飛でハードなSFの未来像ではなく、むしろ空港ターミナルが醸し出すような未来像に、Z世代のLEDへの熱狂が添えられているのだ。

展示風景より 撮影:村上亘

《CCTV Dream》は、監視カメラ(CCTV)を模したもので、壁面に固定され、監視のさりげない暗喩となっている。そびえ立つ金属製のスピーカー《Atmos》は、駅や空港、携帯電話の通知音からインスピレーションを得た梅沢英樹によるアンビエント・サウンドを発する。家具、光、音のインタラクションによって、その空間におけるアトモスフィアを形成し、マーケットと情報資本主義の感覚的な手触りと詩学が吹き込まれる。「Polyharmony」は、流通システムとデジタル・ネットワークの情報網の中にシームレスに織り込まれた、小売業と交通の構造の本質をとらえているが、それは私たちが普段触れている身近なものとは異なる。ケティングの表現は、スマートシティとアンビエント・コンピューティングの夢幻に存在する、高速で、ラグがなく、滑らかで全く摩擦のないものであり、それは物流の混沌とした不協和音のような不格好さでも、デジタルメディアの過剰で不具合の多い面倒な経験でもない。Apple社の製品のような、静謐でシームレスな機械の中の、禅の庭のような世界なのだ。

ケティングは、資本主義がその信念もしくは偽りを隠す/伝えるために使われる言語や視覚的要素を結晶化させようという雰囲気を抽出する。また、彼は化学的、感情的な意味をも包み込む、アトモスフィア(雰囲気・大気)の二面性とも戯れている。つまり、雰囲気を作り出すことによって感情的な風景を加速させるいっぽうで、展示会場の大気それ自体にも物質的に触れているのだ。ベンチに隣接しているのは、彫刻作品の《Water Generator 水分 kirakira version》で、病院にあるようなメタリックなインターネット・ブルーのウォーターサーバーである。ケティングはこの作品において、スタートアップ企業とのコラボレーションを行い、大気を化学的に合成し、湿度を取り込んで飲料水を生成している。これは、彼が考案したオープン・システムの一部であり、展覧会の中にあるもう一つの展覧会をサポートしている。そのもう一つの展覧会とはクリスチャン・光雲・オールダムによる生け花を飾る金属製の台座《Flower stage》であり、2週間ごとに新たな生け花がインストールされる。乾燥したギャラリーの環境にて飲料水を生成するには湿度が必要なのだ。

展示風景より 撮影:村上亘
展示風景より 撮影:村上亘

無邪気な鑑賞者は、知らぬ間に展覧会内での人工的な連鎖の一部と変容させられ、会場内にてウォーターサーバーが水を生成するための水源となる。その連鎖の中で蒸留された飲料水は、高度に設計されたマイクロガーデンに供給される。こうして、鑑賞者の身体に知らぬ間に成長、破壊、適応のプロセスが実行されるのだ。アーティストの介入は、化学的なものであれ、感情的なものであれ、蒸留と昇華という特徴がみられる。ケティングは、その介入を希釈し大気中に拡散することで、発展し続けるシステムの本質を抽出し、その機能自体の痕跡を残さず、環境内に溶け込んでいる印象を作り出す。そして、環境の中で事象が自然に起こっているような雰囲気を演出し、飽和した大気の中に再び蒸発させていくのだ。実際、多くのケティングのインターフェイスは、テクノロジーを可能にする重い処理や作業に関連するものが多く、ケティングはそれを記号として使い、リテイルアーキテクチャのアンビエンスを作り上げている。ケティングが作り出すインターフェイスの数々はアトモスフィアで溢れているのだ。

自然化―NATURALISE 

近年、ケティングはAtmospheric Solutions(アトモスフェリック・ソリューションズ)という架空のコンサルティング・エージェンシーの名のもと、ファッションデザイナーやキュレーターらとのコラボレーションを通じ、ほかの人々が作る展覧会やプレゼンテーションのためのアトモスフィアを制作している。コミッショナーが提供する既存のパラメーターの中に、アンビエント・インターフェイスとして介入することで、ケティングが作り出すアトモスフィアは、Alexa(Amazon社)・Siri(Apple社)などのデバイスを極限まで最大化したアシスタント然として機能する。この実体のないインターフェイスは、鑑賞者と場を仲介し、告知や、作品のコンセプトやデザインの説明を行いながら、同時にAIアシスタントのように言葉巧みに話を逸らしたりする。この結果、ケティングはインターフェースに境界を飛び越えさせ、蒸留させ、超直感的で、目立たない、全知全能で、深く親密なものにする。

展示風景より 撮影:村上亘

SF映画では、コンピュータのモニターや通信機器などのスクリーンが度々半透明に描かれ、デジタルコンテンツを表示しながら、ユーザーがスクリーンを透かして見るモチーフが登場する。このような没入感や透明感といった表現が示唆するテクノロジーの発展は、テクノロジー自体が持つ内在性のひとつである。ケティングの洗練されたインターフェースは、テクノロジーの不可視性をさらに推し進めるかのように、蒸気のような、コントロール不可能な存在となる。私たちは、絶えず動きや反応を感知され、大気中のマシーンにフィードバックされることで、無意識のうちにインタラクションを行う。そこではバックエンド(背景)は永遠に消え去り、フォアグラウンド(前景)は完全に統合され、選択の余地がなく、静寂に満たされた最もスムーズな体験となる。それはトータル・デザインであり、純粋な操作性、そして選択の必要のない至福の世界の実現なのだ。

展示風景より 撮影:村上亘
展示風景より 撮影:村上亘

*ヴィレム・フルッサー「写真の哲学のために」深川雅文 訳、1999年 参照

ナイル・ケティング

1989年、神奈川生まれ。東京とベルリンで活躍する現代アーティスト。ヴィデオ、パフォーマンス、サウンドなどの様々なメディアを使ったインスタレーション作品で知られる彼のプロジェクトは、技術的な時間と空間の風景の中で、物質と非物質、生命と非生命の間での相互作用における新しい認識を探求する。ケティングの作品は国際的に展示されており、パレ・ド・トーキョー(パリ、2020年)、Centre Pompidou x West Bund Museum(上海、2019年)、Kunstverein Göttingen(2019年)、サマセット・ハウス(ロンドン、2018年)、第7回モスクワビエンナーレ(モスクワ、2017年)、Kunstverein Hannover(2017年)、銀座メゾンエルメス(東京、2016年)、ZKM(カールスルーエ、2016年)、森美術館(東京、2016年)、Hebbel Am Ufer(ベルリン、2016年)で展示されてきた。

ジェイド・バルジェ

ジェイド・バルジェ

Jade Barget キュレーター。パリ、ベルリンの2拠点で活動を行う。