公開日:2023年11月2日

「福田美蘭—美術って、なに?」(名古屋市美術館)レビュー。 言われてみれば、な“あたりまえ”が壊れていく愉しみ(評:打林俊)

開館35周年記念「福田美蘭—美術って、なに? FUKUDA MIRAN What is Art?」は9月23日から11月19日まで名古屋市美術館にて開催中。

会場風景より、《プーチン大統領の肖像》(2023、4点組、作家蔵)

名古屋市美術館開館35周年記念「福田美蘭—美術って、なに? FUKUDA MIRAN What is Art?」が11月19日まで開催中だ。

福田美蘭(1963〜)は東京藝術大学大学院を修了後、具象絵画の登竜門といわれた安井賞を最年少で受賞し、国内外で活躍を続ける現代美術家。本展では1980年代の初期から近年までの作品を、作家を紹介する序章および3章の計4章で展示する。古今東西の名画に福田ならではのユニークな視点で向き合った作品から、国内外の時事問題をテーマに鋭い視点で切り込んだ作品までが並ぶ本展を、写真を中心に評論活動を行う打林俊はどう見るか?【Tokyo Art Beat】

会場入口 撮影:編集部

絵画と意識が同時に拡張していくおもしろさ

2フロア構成の会場の1階のメインとなるのは、歴史上の名画といわれているものを、福田の想像力で脱構築した作品群「名画−イメージのひろがり / 視点をかえる」。絵画を見るとき、美術史家や評論家のような専門家を含め、多くの人はキャンバスに何が描かれているかに意識が集中する。つまり、フレームの内側に何が描かれているか、何が展開されているかを見てしまう。

福田美蘭 ポーズの途中に休憩するモデル 2000 パネルにアクリル絵具 富山県美術館蔵

「イメージのひろがり」では、むしろわたしたちの意識はフレームの外に誘導され、黒田清輝の《湖畔》の背景に広がる風景が拡張されていたり、菱川師宣の《見返り美人図》が6方面から描かれていたりと、知った作品の未知の姿が並ぶ。

会場風景より、左から《虎溪三笑図》(2020、千葉市美術館蔵)、《見返り美人 鏡面群像図》(2016、平塚市美術館蔵) 撮影:編集部 
会場風景より、《湖畔》(1993、埼玉県立近代美術館蔵)

福田の絵筆とともに拡張されるわたしたちの意識は、「視点をかえる」で完全に絵画の中に引き込まれる。このシリーズは、文字通り見知った名画の視点を変える。これも考えればあたりまえのことなのかもしれないが、わたしたちが絵画作品と向かい合うとき、それは作者である画家の視線を追体験していることになる。

ところが、このシリーズでは絵画の空間構成が画中の人物のものに置き換わっている。ボッティチェリの《春(プリマヴェーラ)》では右側のゼフィロスの、マネの《草上の昼食》ではターバン風の帽子を被った男の、ベラスケスの《ラス・メニーナス》ではマルガレーテ王女をあやす侍女の視点にそれぞれなりかわっているという具合だ。

福田美蘭 帽子を被った男性から見た草上の二人 1992 パネルにアクリル絵具 高松市美術館蔵
福田美蘭 幼児キリストから見た聖アンナと聖母 1992 パネルにアクリル絵具 高松市美術館蔵

彼ら/彼女らの視点から空間を想像し創造するという福田の発想もじつに軽妙で興味深いが、同時に“絵画とはなにか?”という根源的な問題を突きつけられるような奥深さももっている。

たとえば、原画作者の視点や構想力から離れてしまうことで、たしかに名画のアイデンティティは残しつつも原作者の立場は揺らいでいくし、平面である絵画にはないはずの空間情報が原作者のそれに限りなく摸されたタッチで描かれているので、絵画=平面表現という固定観念さえ疑いたくなるのだ。

会場風景より、《ゼフィロスから見たクロリスとフローラと三美神》(1992、高松市美術館蔵) 撮影:編集部

美術には笑いもある

もうひとつ、本展を通じて思わされたことがある。それは、アートを見て笑うという感覚だ。美術館ではとかくお静かにという雰囲気があり、しかつめらしく鑑賞するのがマナーという風潮があるなか、会場でかすかな笑い声が聞こえてくるのである。かくいうわたし自身も、笑ったうちのひとりである。

会場風景 撮影:編集部

たとえば、飛んでいる蝶に向かって激しく吠える獅子を描いた蘇我蕭白の《獅子虎図屏風》(右隻)。福田は、屏風が閉じているときは蝶と獅子はかなり近い位置にいることになるだろうと想像し、そのさまを描く。鼻先に蝶がいる獅子はあたかも絵の外には出られずパニックの様相。これも蕭白の筆致がかなり正確に摸されているにもかかわらず、どこか漫画のように見えてきて笑ってしまうのである。

もう1点笑ってしまったのは2階の会場に展示されていた《扇面流し図》だ。日本画の意匠として古くから知られる、多くの扇子を画面いっぱいに描く「扇面散らし」の手法で、駅前や家電量販店などで配られている団扇広告が描かれているのだ。

会場風景より、《扇面流図》(2007、作家蔵) 撮影:打林俊

もちろん、これらは作品の元ネタとなる絵や手法を知っていればことさらおかしい。しかし、一点一点に作家本人の解説コメントが掲出されていて、自分の作品について丁寧に説明するように心がけているという福田らしい、多くの人に愉しんでもらいたいという姿勢が垣間見えた。

会場風景より、左より《石庭》(2017、千葉市美術館蔵)、《松竹梅》(2017、千葉市美術館蔵) 撮影:編集部

美術への素朴な疑問の代弁者

福田美蘭という作家を追ってみるとき、毎回思うのは、作品コンセプトに直結する彼女の疑問は思いつきそうなのに思いつけない、意表を突くものだということだ。拡張され、換骨奪胎されているのは絵画空間だけではない。鑑賞者であるわたしたちの絵画に対する意識や概念も拡張されているし、アップデートされていく。

会場風景 撮影:編集部

福田は2022年のインタビューで、美術の力で人を癒そうとか、社会にメッセージを送ろうということは考えないと語っている。その意味で、福田の回顧展的な性格をもつ本展に政治的な重苦しさが一切なかったのは、そうした姿勢が画業を通して一貫しているということを示していよう。別の言い方をすれば、福田が自分のために立てていく素朴な疑問は、様々な立場や深度で「美術って、なに?」という疑問を抱く人たちに透明感をもって届いていた。

会場風景より、《中日新聞2023年7月11日》(2023、作家蔵) 撮影:打林俊

他方で、それは福田ひとりの素朴な疑問に留まることなく、本来、美術にとって重要な批判精神も内包している。新聞に掲載された自身の作品を、その日の発行部数だけあるエディションの版画だととらえた《中日新聞 2023年7月11日》や、モディリアーニの画風分析をテーマにした作品群のモデルにされるプーチン大統領など、美術制度や社会情勢に疑問を抱くきっかけになるような作品も多数あった。

会場風景より、《プーチン大統領の肖像(カリアティード)》(2023、14点組、作家蔵) 撮影:編集部
会場風景より、《プーチン大統領の肖像》(2023、4点組、作家蔵)

言い添えておきたいのは、これは福田自身が表明するアーティストとしての在り方に反するということではなく、アートは本来社会をとらえるひとつのチャンネルであり鏡であるということである。物事をとらえるには常に複数の回路があってしかるべきだし、それをわかりやすい視覚情報や笑いに変えてきたのも、また美術の歴史の一側面である。

そしてまたいつの日か、福田美蘭の作品を“元ネタ”にした美術作品が現れるのだろうという、美術の永遠のサイクルさえ想像したくなる欲望に駆られる展覧会だった。

打林俊

うちばやし・しゅん 写真評論家。1984年生まれ。2010年〜11年パリ第I大学大学院招待研究生、2013年日本大学大学院芸術学研究科博士後期課程修了。2016年度〜18年度日本学術振興会特別研究員(PD)。専門は写真と美術を中心とした視覚文化史。主な著書に『写真の物語 イメージ・メイキングの400年史』(森話社、2019)、『絵画に焦がれた写真−日本写真史におけるピクトリアリズムの成立』(森話社、2015)、『写真集の本 明治~2000年代までの日本の写真集 662』(飯沢耕太郎との共著、カンゼン、2021)。『写真』(ふげん社)の創刊号からvol.4までディレクターを務める。「NeWORLD」で連載「虚構の煌めき~ファッション・ヴィジュアルの250年~」を執筆。