公開日:2024年7月16日

18年間の空白、アートシーンから離れても作り続けていたもの。加藤美佳が18年ぶりの個展(小山登美夫ギャラリー)で見せる新境地

大きな瞳の少女像で知られる作家の新境地。「なんとなく知ったつもりになっているアートを忘れる」日々だったという18年間について語る

会場風景 ©︎Mika Kato Photo by Kenji Takahashi

じつに18年ぶりとなる加藤美佳の個展が六本木の小山登美夫ギャラリーで7月20日まで開催中だ。「なんとなく知ったつもりになっているアートを忘れる」日々だったという18年はどのような時間で、本展に並ぶ作品にはどのような思いが込められているのか、作家に話を聞いた。

会場風景 ©︎Mika Kato Photo by Kenji Takahashi

椅子取りゲームのようだった日々、小さなウサギの帰還

本展でまず驚くのは、従来の“加藤美佳の作品”と異なる趣の作品たちだ。日用品を使ったオブジェ、飼い犬の毛で覆った土台に、地元の砂浜で収集した有孔虫やウニの化石、骨や殻などを散りばめた木を着彩したオブジェとそれらを収めた写真作品、そして川のような曲線を描く机と、その周辺に置かれた100点以上の石のオブジェたち。どの作品を見ても、日常に向ける慈愛の眼差しに満ちていると言っても言い過ぎではないだろう。

会場風景 ©︎Mika Kato Photo by Kenji Takahashi

インタビューの前に、まずはプロフィールを紹介したい。

加藤美佳は1975年、三重県生まれ。99年愛知県立芸術大学美術学部美術科油画専攻卒業後、2001年同大学院修士課程修了。同年、五島記念文化賞美術新人賞を受賞。カルティエ財団現代美術センター(パリ)、広島市現代美術館、パームビーチICA(フロリダ)、森美術館(東京)などで展示をし、2005年にはロンドンのホワイトキューブでも個展を行った。自身で作った粘土人形を写真で撮影し、それをもとに油彩で描かれた大きな瞳の少女像は、2000年代からアートに親しんでいる人であれば誰でも一度は見たことがあるだろう。2006年、小山登美夫ギャラリーでの個展では愛猫の死をきっかけに新たな表現への転換を見せ、その後制作活動を一旦中断した。

会場風景 ©︎Mika Kato Photo by Kenji Takahashi

作家は、当時のことを「椅子取りゲーム」のような気分だったと振り返る。

「当時は当時で、嬉しい気持ちで大きな絵画作品を作ってたのを覚えています。ただ、アートってなんだろう?と日々考えて、アーティストとして活動するうえで空いてる椅子を見つけた瞬間に『ここは私の椅子!』と言ってすかさず座るような、周囲を意識しながら椅子取りゲームをやっている緊張感のある日々でした」

そうした価値観とは違う感覚を得たのは、子育てをする生活でのこと。

「子育ての最中、子供のある動作を見て爆笑してしまうみたいなバーンって(気持ちに)くるようなことを制作でも探していかなきゃと思ったときに、いままでのやり方はもう捨てたほうがいいのかもしれないと思ったんです。子供の手を見てると私はもともと小さなものが好きだったことを思い出して。子供がぽろっと落とした葡萄に光が差し込んでいたのがすごくきれいで、“こういうものはこのままの感じで切り取って持っておけたらすごい嬉しいなぁ”みたいな実感が何度もありました。身近にあるものを工作のように触ったり散歩したり、日々のなかで素材を見つけて、全部がたまたまでここまでつながってきた感じです」

会場風景 ©︎Mika Kato Photo by Kenji Takahashi

身近な事象に自然に目を向けるようになった作家は、しだいに川で見つけた石にジェッソを塗り重ねて磨き、その上にモチーフを描くような、日々の「小さな作業」に取り組むようになった。そんな絶え間ない生活のなかで思い出されたのは、小学生のときのある出来事だ。

「小学生の頃に数回お絵かき教室に通って、そのときに描いた絵が賞をいただいたことがあったんです。木に立派な雄鶏が止まって、尾羽がショワーっと存在感を放っているような作品でした。でもじつはそれは私が描いたんじゃなくて、先生が上から描き直したんです。本来の私の絵はウサギだらけだったんですけど、先生が“小さくて見えないし、絵っていうのは遠くから見てもかっこいいのがいい”って」

幼少期の加藤に投げかけられたその言葉は、その後の作家人生にも「正解のやり方」として付き纏った。大人になりそんな出来事を忘れていたが、誰にも見せるわけでもない作業に取り組むなか、小さなウサギを描いたことをきっかけに「(自分のなかに)小さなウサギが帰ってきた!」と思い出したという。

「掘り下げていけば私の忘れているところにいっぱいの“好き”があるんだろうな、と。この18年間、誰にも見せずに自分の“好き”を探していた気がします」

会場風景 ©︎Mika Kato Photo by Kenji Takahashi

アートシーンから離れても制作はやめなかった

この18年、加藤の暮らしには日々の制作、家事、育児などがあったが、かつて「椅子取りゲーム」のように熱中していたアートシーンとは距離ができていた。そのアートシーンをどのように見ていたのだろうか。

「“アート”のことを考えると自分の気持ちとは違う方向に頑張ろうとする力が働いてしまう気がして、考えないように、とにかく“アート”からは離れようとしていました。本当に申し訳ないのですが、友達の展示があっても行けなくて、精神的に見られない時期もありました」

「ひとりだと思ってやってきた」と振り返る18年だが、アートシーンから離れていたあいだも制作をやめていなかった点に加藤のアーティストとしての生き様が見えてくる。

「周りから“もう作家活動をやめたの?”とよく聞かれて、口では“やめたよ“と言うんですけどやめたとは全然思ってなくて。ただ、今回のように作品発表にたどり着けたのは本当にたまたまだという気持ちがあります。小山(登美夫)さんやスタッフの方々が辛抱強くずっと待ってくださったことも大きいです」

会場風景 ©︎Mika Kato Photo by Kenji Takahashi

作品を通して誰かがそこに“生きているよ”と伝える

本展で一際大きく生き生きとした存在感を放つのは、川のような形状をした机と、その周囲に配された小さな小石のオブジェからなる《とらしっぽリバー(We call it Tiger’s Tail River, not that we’ve ever seen a real tiger)》。「カフェでも開こうか」と思い制作していた机と、「一風変わったお土産屋さんもいいかも」という気持ちで手がけたオブジェのコラボレーションだ。

会場風景 ©︎Mika Kato Photo by Kenji Takahashi

「毎日石にジェッソを塗って磨いているだけですが、びっくりするような発見がよくあるんです。“修行的な時間だったの?”と友達に聞かれたんですけど全然そういうのではなくて本当に“楽しい”が小さく回転しながら続くような時間でした」

こうして日々積み重ねてきた制作だが、「ひさびさに展示をして人に見せるのはこわかったし、いまもこわい」と語った加藤。19年ぶりの展示の決心について、桜の花のエピソードともに振り返った。その決心はイスラエル・ガザ戦争の話へもつながっていく。

「毎日散歩をしている道に桜の木があって、満開の桜も素晴らしいと思うんですけど、冬の桜も好きなんです。つぼみがちょっと出て、桜の花びらの赤みを枝先にため始めたぞみたいな状態で、私の作品もそんなただの枝みたいなものかな、それなら出してもいいかな……って。あと、ギャラリーの長瀬(夕子)さんがアトリエには何回か来てくださって“これでいいよ”とおっしゃるのはどうしてかなと思ったときに、あ、余白があるからかなって思ったんです。石の作品にも文字通りの余白があり、私の生活がぎっしり詰まっているのではない。それなら、たとえばガザ地区など遠いところに住む人がいつか石の作品を目にすることがあったら、その人の作品にもなったような気持ちで見てもらえるかもしれないなって。すごく辛いんですね、戦争のニュースを見ているのが。戦場にいる人たちことを考えますし、自分も(被害を)加える側と同じようなものを持っているかもしれないという気持ちもあります」

会場風景 ©︎Mika Kato Photo by Kenji Takahashi

遠く離れた戦地、作品制作をすること、ありふれた日々や小さなことを慈しむということ、言語化できないモヤモヤなど、まぜこぜの気持ちを反映するのが、《とらしっぽリバー(We call it Tiger’s Tail River, not that we’ve ever seen a real tiger)》だ。加藤は作品名の由来のひとつでもある、数年前から数回見たというある夢の話を語った。それは、ふさふさとした巨大なトラが目の前に現れ、加藤は「あなたの中にある、日々の澱のような戦争の種のようなものを、いますべて捨てるか?」というメッセージを受け取ったというもの。それに対して加藤が「イエス」と答えると、トラはその回答に納得し、うなじ付近に加藤を乗せ、同様に「イエス」と答えたであろう老若男女とともに空中へ飛び立つ。その途中、加藤は背後に目を向け尻尾の向こうを眺めると、長い尻尾は地上の川につながり、川のそばで暮らす人々の姿が見える。そしてまた前方に目を見やると、自身がトラと一体化したことに気づくというものだ。《とらしっぽリバー(We call it Tiger’s Tail River, not that we’ve ever seen a real tiger)》の石たちは、そこで見た川の側で暮らす人々の姿も重ねられているのだろう。

「私は戦争とかそういう何かの塊を打ち消すような力があるとしたら“なんでもない日々”だと思っていて、作品を通して誰かがそこに“生きているよ”ということを言いたかった。幼い頃の息子から聞かれた“戦争の反対は?”という問いに、“今回の展示はママなりの答えです”と言ってもいいかなとは思っています」

会場風景 ©︎Mika Kato Photo by Kenji Takahashi

野路千晶(編集部)

野路千晶(編集部)

のじ・ちあき Tokyo Art Beatエグゼクティブ・エディター。広島県生まれ。NTTインターコミュニケーション・センター[ICC]、ウェブ版「美術手帖」編集部を経て、2019年末より現職。編集、執筆、アートコーディネーターなど。