今年6月にスイスで開催されたアートバーゼルのブースで、一際目を惹くある作品があった。正方形のキャンバスを埋め尽くす刺繍はまさに超絶技巧といった細かさで、ひと目見ただけでこの作品が生み出されるまでに費やされた時間が想像できる。
キャプションに目をやると、そこには見慣れない文言が並んでいた。「コットン地にシルクの糸、仲介人、イデオロギー、賄賂」……? 美術作品のキャプションとしてはありえないような言葉ばかりだ。これらの言葉の意味が理解できるのは、彼女の作品の制作プロセスを知ってからだろう。
ギョンア・ハムは1966年に韓国・ソウルで生まれ、現在もソウルを拠点に活動している。1989年にソウル大学を卒業後、92年にプラット・インスティテュート、95年にスクール・オブ・ビジュアル・アーツをそれぞれ修了した。
彼女の作品は、一見すると豪華絢爛な色彩で織られたカモフラージュ柄のように見える。しかし、その細部をよく見ると、「Big Smile」や「Are You Lonely Too?」といった短い文章がその表面に織り込まれていることに気づくだろう。
じつは、これらの作品は北朝鮮で制作されている。細やかな刺繍は北朝鮮を代表する伝統的な文化であり、その技術は世界でも群を抜いていると言われる。「北朝鮮で制作された作品がアートバーゼルに?」と思うだろうか。制作プロセスはこうだ。南朝鮮、つまり韓国に在住のハムが作品のデザインを考え、それを北朝鮮の刺繍職人たちに送る。当然、国家規制により韓国から北朝鮮へと直接デザインの依頼を送ることはできないため、ハムはロシアや中国を拠点とする仲介人を通し、こっそりと職人たちへデザイン案を送る。作品は北朝鮮で職人たちの手によって丁寧に刺繍され、また仲介人を通して韓国へと送られる(万が一「芸術作品」と正直に申告してしまうと当然検閲の対象となるため、作品には「ビタミン剤」などといった嘘のラベルがあてがわれることとなる)。作品キャプションに不穏な言葉が並んでいたのはこのためだ。
「Big Smile」や「Are You Lonely Too?」といった作品内の文言は、国境を接していながらも国民どうしが直接交流することのできない状況のなかで、対岸にいる人々へのメッセージとして発信されている。この刺繍作品は、たんなる工芸品ではなく、秘密のコードや仲介人への賄賂があってようやく完成する一連の芸術的アクションだと言える。もちろん、アーティスト自身もこのアクションの一員だ(これはつまり、彼女自身も大きなリスクを背負っているということを意味する)。実際に、彼女の作品のうちのいくつかは北朝鮮当局に没収されている。
今回、筆者は幸運にもアーティスト本人にインタビューをする機会を得た。彼女の制作プロセスは、大変デリケートで、つねに国家的な危険と隣り合わせである。このような背景も含め、これまでに日本語で彼女のまとまったインタビューは管見の限り発見できなかった。このインタビューが、日本の読者にとって彼女の作品を知り、世界に未だ色濃く影響し続ける帝国主義の歴史に目を向けるきっかけとなれば嬉しい。
──Hamさんは韓国に生まれ、アメリカの美大に進学したと聞きました。幼少期はどんな子供でしたか?幼い頃から描くことが好きだったのでしょうか。
はい、子供の頃から絵を描くことが好きでした。学校での絵画コンテストで入賞した経験もありますよ。当時は水彩で風景画を描くことが好きでした。温室に行って植物を描くのもお気に入りでしたね。何時間も集中して描き続けた後、パレットを置いた瞬間に、なんとも言えないエネルギーが電流のように身体を駆け巡ったことをいまも覚えています。
ただ、私は将来画家になるために絵を描いていたのではありません。純粋に絵を描くことが好きで、それに喜びを感じていたのです。
──では、どのような経緯でプロのアーティストになろうと決めたのでしょうか?
「アーティストになろう」と決意したことはありません。
でも、17歳の時に決定的な転機がありました。その冬、テレビでナム・ジュン・パイクの《Good Morning, Mr. Orwell》を見たのです。これが、彼の作品との初めての出会いでした。ジョン・ケージのことも、この作品を通して初めて知りました。まさに衝撃でしたね。私は一瞬で彼らの作品の虜になり、初めてアヴァンギャルドな芸術のあり方に目覚めました。彼らの表現は革新的だと思いました、これまでに私が経験した「アート」とは、まったく違う形態だと思ったのです。
また、マルセル・デュシャンとの出会いも私に衝撃を与えました。ダダイズムについて勉強し、新しいアートのアイデアを発見したことで、伝統的な「芸術」のステレオタイプを逸脱したような表現やメディウムへの関心が生まれたのです。私にとって、どんなアートが「綺麗に」見えるかは重要ではありません。私はアートが人々にどのような変化をもたらすか、人々がどのようにアートを違う見方でとらえるかということに関心があり、単純に視覚的な美しさのためだけに作品を作っているわけではいないのです。
私の学生時代、韓国の現代アートシーンは非常に保守的なものでした。もしかすると、それは、いまでもそうかもしれません。しかし、たとえば1980年代や90年代にはいまよりもっとメディウムの選択肢も少なく、表現の幅はとても狭いものでした。美術といえば絵画か彫刻、といった感じでしたね。私は、このような既存の芸術のあり方に疑問を持ったのです。表現の幅を広げるために、シアターパフォーマンスを勉強もしました。このように試行錯誤しながらステレオタイプな価値観へ抵抗していたら、気づいた時にはアーティストと呼ばれるようになっていました。「伝統的な芸術」に対して、何が「新しい芸術」なのかは、私の中でいまでも答えの出ない問いです。
韓国で学生をしていた時、私は決して優等生ではありませんでした。しかし、アメリカに渡って美術批評家のドナルド・カスピット(Donald Kuspit)氏と知り合ったことが私の人生を変えました。彼は私の作品をとても高く評価してくれて、ニューヨークで活動する扉を開いてくれたのです。韓国の学校では、私の作品のラディカルなコンセプトは受け入れられませんでしたが、アメリカでは違いました。カスピット氏の導きがあったことで、アメリカの美大で学ぶことを決めました。
──あなたの作品「SMS」シリーズは、鮮やかな色彩にあふれた豪華な刺繍作品ですね。その背後にあるメッセージには、一見すると気がつかないかもしれないほどの鮮やかさです。このような表現方法を選んだ理由、作品の着想はどんなところにあるのでしょうか。
私が子供のときから、韓国ではしばしば北朝鮮からヘリウム風船ガスで飛ばされてくる小さなビラを見つけることがありました。もちろんその内容は北朝鮮のプロパガンダで、韓国に対するアンチテーゼを含むものです。しかし、私にとってそれらのビラはとても身近な存在でした。大人になったある日、住んでいたアパートの玄関近くに同じようなプロパガンダのビラを見つけました。国境を挟んでこんなに近くから飛んできているはずなのに、そのビラはまるで異星人からの交信のようでもありました。そこで、ふと「このビラを私たちに送ってきている人々と、コミュニケーションを取ることはできるのだろうか?」と思いつきました。これは2008年の出来事です。
作品の実現にあたり、韓国人が普段当たり前のように使用しているデジタルなコミュニケーションのかたち、携帯電話やインターネットを通じたやり取りと、北朝鮮から送られた古典的なコミュニケーションのかたち、プロパガンダのビラのようなものの差異を強調したく、できるだけアナログな表現方法を選びたいと考えました。私にとって、それが刺繍だったのです。刺繍は北朝鮮における伝統的な文化ですが、制作には膨大な時間を要します。一針ひと針縫うことで完成される刺繍は、他の芸術表現よりもずっと時間と手間のかかる行為ですから。
もうひとつの理由は、刺繍という手間のかかる表現方法を選ぶことで、作品が完成するまでのすべてのステップに対して自覚的になれると考えたからです。この作品を作るのは、デザインを考えた私だけでも、刺繍職人だけでもありません。デザインのアイデアを隣国へと伝えてくれる人、海を超えて作品を運んでくれる人……多くの仲介者の手を借りて初めて、この作品が実現されます。
──まるでレイヤーのように、たくさんのステップが積み重なっているのですね。
「SMS」シリーズで、私は「Big Smile」や、「Are You Lonely Too?」など、非常に短い文章を刺繍のデザインに忍ばせています。これらの言葉は、北朝鮮のドキュメンタリーに政治的なプロパガンダとして登場したフレーズだったり、韓国で流行しているポップソングの一節だったりします。あるいは、韓国の若者の間で使われるスラングだったりもしますね。新しい流行語を使う時には、この言葉が何を意味するのか短い説明文をつけることさえあります。たとえ同じハングルで書かれたテキストだとしても。
これはつまり、アーティスト以外の人、たとえば刺繍職人たちに、彼女の書いたメッセージが繰り返し読まれて理解される、ということを想定しているのです。私が書いたメッセージは、彼らにとってはまったく新しいもので、おそらくこれらの文字が芸術的なメッセージになり得るものだと認識したこともなかったはずでしょう。しかし、彼らは作品の制作過程で新たな言葉や文化を受け取り、その意味を理解することになります。このように、時間をかけて多くのステップを経る中で、そこに生じる「経験」こそが、作品の重要なパートを占めています。
私が作品で伝えるメッセージは、刺繍職人たちに「読まれる」ことを想定しているものですが、同時にこれらを「読まれない」ようにも気を配っています。想像できる通り、北朝鮮において他国から送られてくる文章の扱いは非常にセンシティブです。カモフラージュのようなデザインを用いているのは、作品に書かれたテキストがパッと見た時に目に飛び込んでこないように、です。背景色に何十色もの色を重ねることで、多くの鑑賞者は初見ではこの作品に文字が書かれていることにも気がつきません。しかし、刺繍職人たちは、何時間もかけて一針ずつ刺繍をしていくなかで、これらのメッセージを繰り返し読むことになります。これはいわば、アーティストである私が刺繍職人たちへメッセージを伝えるための、秘密のコミュニケーションなのです。
これは別のシリーズの話なのですが、私の別の代表作「シャンデリア」シリーズの着想は、北朝鮮のアリラン・フェスティバルという祭りの様子を追ったドキュメンタリーをみたことにあります。その祭りでは、何百人もの子供たちが小さな色付きの紙を持ち、それらを一斉に掲げることによって、集団でひとつの図柄を表現するというプロパガンダ・アートが行われていました。その時に表現されていたのは、銃の図柄でした。私は、色紙を持った子供たちのなかに、ひとりの男の子を見つけました。ほんの一瞬、彼は手に持っていた色紙を取り落としかけ、その顔が集団のなかでちらりと見えたのです。彼は驚いて大急ぎで色紙を元の場所に持ち直しましたが、その一連の様子は私にとってとてもショッキングなものでした。まるでひとりの少年が、プロパガンダ用の画像、しかも銃の画像を作るためのピクセルのうちのひとつになってしまったように感じたからです。
北朝鮮のプロパガンダ・アートの光景から着想を得た「シャンデリア」シリーズは、帝国主義の歴史をテーマにした作品です。西洋的なシャンデリアの図像は、富や成功の象徴です。しかし、よくズームインしてみると、この巨大なシャンデリアはまるで点描画のような細かいピクセルによって像が結ばれています。これら一つひとつのピクセルは、作品に携わった多くの人、たとえば北朝鮮の刺繍職人たちの姿と重なります。この作品に近づいてよく見れば、彼らが縫った一針ひと針の痕跡がわかります。この豪華なシャンデリアのイメージを作り出すために実際に手を動かして働いているにもかかわらず、刺繍職人たちの存在はある種「不可視」なもの。あるいは、帝国主義の歴史の中で犠牲となってきた人々の姿もまた、「不可視」なものだと言えるでしょう。私は、国家間の権力関係のなかで犠牲となり、なきものとして扱われてきた人々の存在をも、この作品の中で表現したかったのです。
戦後、権力を持つ大国たちによる取り決めによって、朝鮮半島は北と南へと分断されました。このことは、実際にここに暮らす私たちの意思ではありません。本当は分断なんてしたくなかったにもかかわらず、帝国主義的な政治のなかで犠牲となったのです。私は、一針ひと針縫われたこのシャンデリアが、様々な場所、かつて朝鮮を分断することを決めた大国の美術館に飾られてほしいと願っています。できるだけたくさんの人がこの作品を見ることで、歴史の背後に存在する「不可視」の存在に気づいて欲しいのです。この作品が訴えるメッセージは、朝鮮半島の歴史だけではなく、いかに強い権力を持った国々が弱い国々をコントロールしてきたか、という世界史の様々な事例ともリンクしています。この作品は、歴史の中で犠牲になった「不可視」の人々がいることの証拠でもあります。私は、現在の社会的・政治的な状況を、アートという形で翻訳し、表現し、記録したいのです。
──あなたは刺繍のほかにも、様々な表現方法で作品を制作していますよね。先ほど言及があったように、パフォーマンスにも関心があると伺っています。
はい、私の作品は刺繍だけでなく、ペインティングや映像作品、陶器からパフォーマンスまで多岐に渡っています。
たとえば、《Soccer Painting by the Soccer Ball Bouncing Over Crocodile River》(2016)では、真っ白な舞台を用意し、そこである少年にサッカーボールを蹴ってもらいました。この少年は、9歳のときに自力で北朝鮮から韓国へと亡命してきたのですが、いまでは韓国でサッカーに熱中しているのです。サッカーボールにはアクリル絵具が塗ってあり、彼が舞台上でボールを蹴る度に周囲に絵具が散らばります。私はその少年に、「北朝鮮から逃げてきたときのこと、あなたがぶつかった困難を考えながら思い切りボールを蹴ってみてください」とお願いし、その様子をビデオに記録しました。彼が蹴ったボールの痕跡によって生まれた作品に「クロコダイル川」の名前を付けています。タイにあるこの川は、少年が脱北する際に渡ってきた川です。彼が渾身の思いを込めてサッカーボールが残した絵具の飛沫ひとつひとつが、彼の存在の証となり、闘いに明け暮れた彼自身の時間を物語る作品となりました(*1)。
また、《Odessa Stairs》(2009)は、美術館の歴史と制度に焦点をあてた作品です(*2)。私は、西洋の大きな美術館を訪れる度、古代セクションではその収集品の多くがその国以外から持ってきたもの、有り体に言ってしまえば植民地時代に強奪してきたものであることを疑問に思っていました。煌びやかな美術館の背景にあるのは、権力を笠に着て立場の弱い国から工芸品を奪い、美術館に展示することでその暴力を正当化するシステムなのではないかと考えたのです。
《Odessa Stairs》は、この権力と強奪のメカニズムを、国家ではなく個人レベルで行ったらどう見えるのだろう?という疑問から生まれました。階段に置かれているのは、スーパーマーケットのショッピングカートやゴルフシューズ、トイレの便座といった日常的なゴミです。なかには、大英博物館やルーブル美術館から無断に持ち出したミュージアムカフェのカップやフォークなんかも入っていますよ。私は、まるで西洋の大きな美術館がこれまでしてきたように、地理的・歴史的なコンテクストから全く切り離された場所に、別の場所で作られたものを移動させ、それを飾り立てるという一連のプロセスを再現したのです。私の行為を盗難だと責めることは、同時に西洋の有名美術館の行為に疑問を呈することと変わらないのではないでしょうか?
私は、作品が結果としてどんな見た目になるか、どれくらい視覚的に綺麗なものになるのかには関心があまりありません。私はたくさんの作品を手掛けてきましたが、そのすべてに共通するのは、作品の結果ではなく過程、どのようにしてその作品が生まれたのかに重きを置いていることにあります。
──私はアートバーゼルであなたの作品に出会いました。あなたの作品はヴィクトリア・アンド・アルバート博物館(通称V&A、ロンドン)やグッゲンハイム美術館(ニューヨーク)などの有名美術館にもコレクションされていますし、アートバーゼルのような大規模フェアにも出品されています。様々な場所に作品が置かれている状況だと思いますが、ハムさん自身は国際的なアートシーン、アートマーケットをどう見ていますか?
美術館とアートフェアは社会のなかでまったく違う役割を担っていますよね。アートマーケットについて言えば、私は当初自分の作品が個人のコレクターから注目を集めるとは考えていませんでした。私の作品の背景にあるアイデアはとても政治的ですし、すべての人からの支持を得られるものではないだろうと予想していたからです。ですから、個人のコレクターのニーズに合わせて作品を作ったことはありません。私は、自分の作品が世界中の多くの美術館などで展示されることを目指してはいますが、個人に対して販売することは第一の目的ではないと言えます。私は、自分の作品に「生きて」いてほしいと思っているのです。
アートフェアに関することでいうと、過去に香港でのアートバーゼルに参加したとき、きっと売れないだろうと予測していた作品が、偶然にも完売したことがあります。当時、私はその事実に対してかなり動揺してしまい、正直にいうとパニックになっていました。私は、作品が売れたという事実、その結果と向き合うための時間が十分に取れていなかったと感じたのです。しかし、最近になってようやくマーケットやコレクターについても分かり始めたように思います。アートマーケットは、つねにイデオロギーと、儚い幻想が交差するような場所ではないでしょうか。そのなかで、コレクターがどのように作品を受容し、所有するのかというプロセスは、ひとりのアーティストとして大変興味深いことです。私の作品をコレクターたちが所有する理由は、ただたんに綺麗だからとか、価値が高いからという訳ではないはずです。私の作品が、なんらかのかたちでコレクターたちの心を刺激しているということが、マーケットでの結果として可視化されているのではないかと思います。
──韓国も他の国と同様、COVID-19の影響で厳しい社会状況だったと思います。この2年間で、心理的・身体的に何か変化はありましたか?
私の刺繍作品は、COVID-19の流行によって制作がこれまでよりもさらに困難になりました。物流が混乱し、他者とのコミュニケーションを取りづらくなったことは、私にとって大きな変化でした。たとえば、私が刺繍作品のシリーズで協働していた仲介者のひとりは、彼女の両親を二人ともCOVID-19によって亡くしてしまい、彼女自身も母国に帰ることもできず苦しんでいました。このような時に私ひとりにできることは多くなく、制作を進めたくてもなかなか反応が返ってこないことに悩みました。
COVID-19の流行によって、隔離やソーシャルディスタンシングなど、人々はひとりでいることを強いられました。私も初めは、自分ひとりでできること、誰かと協働しなくても完成できるものを作るという社会政治的なふるまいをしようとしていました。ある種、アーティスト自身が完全にひとりでも作品を生み出せるフェーズ、伝統的な絵画表現へと回帰するタイミングなのかもしれないとも考えました。しかし時間が経つうちに、やはり私はコミュニケーションが重要な鍵となるプロジェクトに取り組みたいのだ、と考え直しました。
現在はCOVID-19に加えロシアによるウクライナへの軍事侵攻も始まり、世界の政治は混乱の一途を辿っています。しかし、そんななかだからこそ、アートマーケットはただたんに見た目が美しい作品や資産として金銭的な価値が高い作品だけではなく、実験的な作品をも包含する市場であってほしいと願っています。
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ハムの作品に一貫して見られる大きな特徴は、隠された現実を可視化すること、そして不可視化されてきた誰かとコミュニケーションをとろうとすることにある。もちろん、そのような活動にはつねに不安とリスクが付きまとい、彼女自身のポジションも決して安定したものではない(刺繍作品の制作過程を知れば、アーティスト自身がどれほどの脅威に晒されているかがよく分かるだろう)。それでもなお作品を生み出し続ける彼女の言葉からは、朝鮮半島の南北分断への強い抵抗がにじむ。これらの作品が多くの人の目に留まること、そしてその背景が多くの人にシェアされることが、歴史の背後に存在する「不可視」の存在を認識する第一歩となるだろう。
彼女の作品は、来年6月23日までイギリス・ロンドンのヴィクトリア・アンド・アルバート博物館で開催中の韓国をテーマとした展覧会「Hallyu! The Korean Wave」にも展示される。インタビューで語られたように、彼女は、自身の作品が様々な国の美術館に飾られ、できるだけ多くの人に帝国主義の歴史を見直してほしいと願っている。ハムの作品を通じて、アートを介した政治的なアクションとコミュニケーションを実感してほしい。
*1──この作品は、2016年に韓国国立近現代美術館(국립현대미술관)で行われた韓国アーティスト賞(Korea Artist Prize)プロジェクトの一環として初公開された。同プロジェクトにおいて、ハムは展覧会の共催・後援者であるSBS財団から授与された制作資金の全額を脱北者支援のために寄付し、同時にその過程を記録しようと試みていた。しかしながらこのプロジェクトは政治的緊張により、残念ながら実現には至らなかった。
*2──《Odessa Stairs(オデッサの階段)》は、セルゲイ・エイゼンシュテイン「戦艦ポチョムキン」(1925年)の有名なシーンに由来するタイトルである。この映画のある場面では、オデッサの一般市民が、ツァーリ軍の手で虐殺されるシーンが描かれている。同映画は、1905年にロシアの戦艦で起きた革命的な船員たちの反乱を描いたプロパガンダ映画であるとされ、外国での上映には強い規制がかかった。