京都の禅宗寺院に33面の円窓で構成されたひとつの世界。ハロルド・アンカートの日本初個展「Bird Time」

ニューヨーク在住のベルギー人アーティスト、ハロルド・アンカートの個展「Bird Time」が、京都の禅宗寺院、建仁寺塔頭・両足院で開催されている。禅宗寺院からインスピレーションを受けながら制作した、日本で初めての展覧会についてレポートする。

ハロルド・アンカート 撮影:編集部

日本への旅をテーマにしたアーティストブックもある、気鋭の作家

ハロルド・アンカート(1980〜)は、絵画、彫刻、インスタレーションを用いて表現する気鋭のアーティストで、作品はグッゲンハイム美術館、ポンピドゥーセンター、バイエラー財団など数多くの美術館のコレクションとなっている。

展示風景より 撮影:編集部

個展を開催するのは初めてだが、アンカートは日本には何度も訪れている。影響を受けたアーティストに大友克洋の名を挙げるなど、幼い頃から日本にシンパシーを抱き続けてきた。

「日本のマンガを読んで育ったんです。学校では、宿題よりもドラゴンボールの悟空や武天老師の水彩画を描くことに時間を費やしていたので、困ったことになりました」(笑)。

2019年には日本とタイを旅する道中でのパーソナルな体験の記録、アイデア、エッセイを集めたアーティストブック『Tokyo Private(Un Roman Photo)』(Zolo Press)を刊行している。

33の円窓は、異界に開いた「スコープ」

そんなアンカートが個展の会場に選んだのは、京都の禅宗寺院・両足院。日本最古の禅寺・建仁寺の塔頭だ。

会場は、庭を望む60畳の方丈だが、室内には一見、展示物が何もないように見える。作品は、垂れ壁に穿たれた円窓のようなフレームに描かれていて、あたかも元々そこにあった壁画のように、空間にしっくりと馴染んでいるのだ。

ペインティングのモチーフは単純化された自然の風景や花。松や梅、日本の海岸を思わせる風景もある。抽象と具象の中間、日常と非日常のあいだにあるような揺らぎも感じさせるタッチ、色彩は時にサイケデリック、また、ノスタルジックな甘いトーンも織り交ぜられて、年月を経た静かな和の空間と一体感を生み出している。

展示の構造に目を凝らすと、円窓の絵は、壁に円形のキャンバスを貼り付けたものではなく、壁と同サイズの長方形のキャンバスに描かれていて、それがピッタリと壁面に被せられている。余白の壁に見えている部分もペインティングだ。しかも、古い漆喰の壁そっくりに、ムラや汚れが描きこまれていて、騙し絵のような面白さもある。インスタレーションやサイトスペシフィックな大型作品にも取り組んできたアンカートの、環境把握と繊細な空間演出のセンスが感じられる。

両足院は、杉本博司の襖絵を収蔵するほか、これまで数々のアートイベントの会場となってきた Photo: Takashi Homma

誰もが毎日体験している、未分化の時間「Bird Time」

展覧会のタイトル、「Bird Time」について聞いた。

「『Bird Time』は、朝陽が昇り、鳥たちがさえずり始める時間のことを言います。人が目覚める瞬間、ほんの一瞬だけ、夢と現実の狭間にいるような、まるで初めて視覚を得たときのように、様々なイメージが上下関係なく、ひとつのものとして私たちの前に現れます。この瞬間は画家にとって貴重なものです。なぜならこの瞬間には、私たちの視野を構成する多くの要素がまだ区別されていない唯一の瞬間です」。

ハロルド・アンカート 撮影:編集部

人の意識が、コントロールできない未分化の状態にある「Bird Time」は、原初的な視覚で世界のイメージをとらえることができる。これは、じつは誰もが毎日体験しているはずなのに、見過ごしてしまっている瞬間かもしれない。

「多くの人は自分がコントロールできることに集中し、コントロールできないことを忘れてしまう」と、アンカートは言う。

禅寺の円窓は、「異界をのぞく望遠鏡」

円窓に描かれたペインティングは、禅宗寺院へのオマージュに見えるが、アンカートは偶然にも、以前から円形の作品を手掛けてきた。

「風景を円で縁取った絵は、過去にも描いていて、そのうちの2点は奥の「大書院」にあります。円窓は、寺院に入って最初に目に入ったもので、これを見つけたことは、素晴らしい偶然の喜びでした」。

両足院の円窓 撮影:編集部

両足院の玄関で円窓を見たのは、1年前にここを訪問したときのこと。それを「異界をのぞく望遠鏡」のように感じたことで、この展覧会のイメージは生まれた。

「美術館で絵画を見るとき、私はいつも、絵に宝物のようなものを見つけようとして見ます。優れた絵画は、非常にたくさんの、無数の小さな宝物から構成されています。だから、海賊が望遠鏡を覗いて宝物を探すように、私も望遠鏡をのぞきます。つまり円窓は、見るという行為のユーモラスなありよう、あるいは能動的に見るという行為でもあり、その両方が組み合わさったとき、様々な場所に開いた窓になると考えました。それは寺院の建築様式にぴったり合うし、メディテーションに入ったときに感じられるであろう、ある種の“エスケープ”にもフィットすると考えました」。

円窓の背景、壁に見える部分もペインティング。円窓の輪郭も、穿たれた窓の縁のように立体的に見えるように描きこむ周到さ 撮影:編集部

ひとつの作品でありながら、一度には観られない展示

「この展覧会はたくさんの絵で構成されているけれど、ひとつの展覧会であり、ひとつの経験でもあるんだ」とアンカート。

方丈の垂れ壁は33面あり、絵画も同じ数だけ展示されている。しかし、部屋が区分されていて、壁も三方あるいは、四方を向いているため、一度に観られる作品は一部分だ。鑑賞者はひとつひとつの円窓を巡り、その真下に立ち、作品と向き合う。この「経験」は、一度に全ての石を見ることが出来ない、龍安寺の枯山水庭園を鑑賞する経験とも似ている。そんな思いを巡らしてみると、アンカートが仕掛けた“エスケープ”への窓は、禅的な寓意も帯びて見えてくる。

「ここに来たときに、これは展覧会を開催するのに最適な場所だと思った。このお寺の空間は何も足す必要はないものだけれど、作品は、お寺の力を求めていたかもしれない」。

アンカートが神聖だと感じたこの場所には、日の出を描いた作品がシンメトリーに設置された 撮影:編集部

鑑賞の深みに誘う、禅僧からのレスポンス

作品と空間とのインタラクションをさらに深めているのが、両足院の伊藤東凌副住職が掛けた二幅の軸だ。

「放下著(ほうげじゃく)」の軸とアンカートの作品 撮影:編集部

入り口には、伊藤が揮毫した1行「放下著(ほうげじゃく)」。「執着を放り捨てる」という意味で、「Bird Time」の境地にいたるには、無碍(何ものにも縛られない)な心が求められると示唆している。展示の出口には、両足院に江戸後期から伝わる円相図が掛けられ、アンカートの円窓の絵と強く響き合っていた。

両足院では展覧会やアーティストイベントを数多く開催しているが、伊藤は「アンカートさんが1年前にお寺に来られて、すぐさま展示のアイデアを思いつかれたことに、まず驚きました。そして偶然ではありますが、今回の出品作の数である33が、仏教での聖なる数字であることにも、ご縁を感じました」と語る。

空間と作品の一期一会を感じさせるハロルド・アンカートの展覧会は、公益財団法人現代芸術振興財団が展示事業のひとつとして展開したもので、同財団は、設立者・会長である前澤友作が2017年にアンカートの作品を購入して以来、その活動の軌跡を辿っている。

展覧会概要
ハロルド・アンカート 「Bird Time」
会期:2023年10月29日 〜 11月11日
時間:13:00 〜 17:00(最終入場 16:00)
休館日:会期中無休
会場:建仁寺 両足院
入場料:無料
※別途、拝観料が必要(一般1000円・中高生500円・小学生以下無料)
※ご入場にはオンラインによる日時指定予約が必要です。
https://haroldancartbirdtime.peatix.com/

沢田眉香子

沢田眉香子

さわだ・みかこ 京都拠点の著述業・編集者。アート・工芸から生活文化までノンジャンル。近著にバイリンガルの『WASHOKU 世界に教えたい日本のごはん』(淡交社)。