メトロポリタン美術館では、1920年代から30年代かけて興ったアフリカ系アメリカ人の文化運動「ハーレム・ルネサンス」をテーマにした「ハーレム・ルネサンスと大西洋横断モダニズム(The Harlem Renaissance and Transatlantic Modernism)」展が開催されている。会期は7月28日まで。
メトロポリタン美術館にとって、ハーレム・ルネサンスを真っ向から取り上げるのは長年の課題であった。同館は1969年にハーレム・ルネサンスをテーマにした「ハーレム・オン・マイ・マインド」という展覧会を開催しているが、ハーレムの風景や住民の写真などを展示するにとどまり、黒人作家の作品は紹介されなかった。その構成は、物珍しいものを無頓着に陳列する人種差別的なものだとして、当時激しい非難を浴びた。2020年に開かれた、同館の150周年を記念する「メイキング・ザ・メット 1870-2020」展では、ハーレム・ルネサンスを同時代に取り扱わなかったことや、69年の展覧会への後悔が述べられていた。今回の展示には、こうした過去の失敗に対する禊のような側面があり、そのぶん力が入っている。
アメリカでは1865年に奴隷制度が撤廃されたものの、南部の州ではジム・クロウ法やクー・クラックス・クランが生まれ、人種差別的風土が根強く残っていた。20世紀前半になると、生活の向上を望むアフリカ系アメリカ人たちが南部から他の地域に移動する「グレート・マイグレーション」が加速し、その多くが北部のリベラル都市を目指した。なかでも人の流入が多かったのが、ニューヨークのハーレムであった。
新しい地に降り立った人々にとって、生活基盤を築くのに加えて、急務だったのが社会地位の向上や新たな社会的アイデンティティの確立であった。哲学者アラン・ロックは「ニュー・ニグロ」という概念を用いて、その重要性を訴え、W・E・B・デュボイス、ラングストン・ヒューズ、ゾラ・ニール・ハーストンら、アフリカ系アメリカ人知識層もその動きに共鳴した。彼らは芸術こそが、新しいアフリカ系アメリカ人の姿を表現する場、自己の尊厳を取り戻す場、そして意義ある作品を生み社会に貢献する場になりうるとして、創作活動を後押しした。そうしてハーレムは美術・音楽・文学などにおいて新たな表現が生まれる文化的ハブへと躍進し、ハーレム・ルネサンスの動きへとつながっていった。本展は56の作家による約160作品を通じて、他の都市や海外も含め、広範囲に及んだハーレム・ルネサンスの影響をとらえようとする意欲的な内容になっている。
ハーレム・ルネサンス時代の作家たちにとって、「奴隷制度から解放され都市での現代的な生活を実現した黒人像をいかに表現すべきか」というのは一大テーマであった。本展では、黒人の姿が描かれた作品が大多数を占め、とくにフォーカスが当てられているのが、ポートレイトである。
サミュエル・ジョセフ・ブラウン・ジュニアの水彩画《自画像》(1941頃)には、ブラウンの、鏡越しにこちらを見据える姿と、伏し目がちな横顔が描かれている。ここには、W・E・B・デュボイスが「二重意識」と呼んだ、白人優位社会が黒人に割り当てるステレオタイプと自己イメージのはざまで揺れ動く、アフリカ系アメリカ人の精神性が表されている。終わりの糸口が見えない二重性を生きることへの、疲弊や孤独が感じられる作品となっている。
ローラ・ウィーラー・ワーミングの《母と娘》(1927頃)は、肌の色は違うが、顔のパーツや佇まいがそっくりな親子を描いた作品だ。当時、異人種同士が結婚し家族を持つことに抵抗を感じる人は少なからず存在したが、それについて公然と語るのは憚られる状況があった。本作はそうした社会の「沈黙」に対する挑戦的な側面を持つ。さらには、同じ人種においても肌の色が濃い方が偏見や差別を受けやすい「カラリズム」の問題も提示している。親子でありながら異なる処遇を受けるという、残酷な社会構造もここでは示唆されている。
ジョン・N・ロビンソンの、《バートン夫妻》(1942)は、ロビンソンの育ての親である祖父母のダブルポートレイトだ。写実主義で描かれているが、画面端のダイニングテーブルの遠近が歪められ、圧迫感を与える。ふたりの表情や服装、隅々まで整えられた室内を見ていると、ロビンソンは厳格な家庭で育ったのが窺える。この作品はロビンソンの私的なテーマを含むと同時に、グレート・マイグレーションを経験したアフリカ系アメリカ人の姿を総体的に表現している。彼らが切望した安定した暮らしと、人間としての尊厳の回復もここには描かれている。
ハーレム・ルネサンス時代の作家の意識の変化を如実に見ることができるのは、ウィリアム・ヘンリー・ジョンソンの作品だ。ジョンソンは、ニューヨークで伝統的絵画を学んだあと、1926年にフランスへ留学し、10年以上ヨーロッパで制作を行なっていた。この間の作品も紹介されており、ヨーロッパ時代はモダニズムの影響を受け、表現主義を多分に取り入れていたことがわかる。しかし、30年代後半にニューヨークに戻ると、アフリカン・アメリカンの文化や伝統を強く意識するようになり、アフリカンマスクやフォークアートの要素を取り入れた「プリミティブ」な表現へとシフトした。ジョンソンの描く人物は簡素なフォームで平面的だが、鮮やかな色彩と大胆な構図が用いられ、独特の躍動感を湛える。この頃には、文化運動としてのハーレム・ルネサンスの勢いは弱まっていたものの、その影響はまだ残っていたことが窺える。
ジョンソンは、40年代ごろから妻の病死など、不遇な出来事が相次いだことで心身に不調をきたし、50年代半ばに制作を辞めてしまった。のちに、ジョンソンの残した大量の作品は、スミソニアン・アメリカ美術館に収蔵され、同館が回顧展を開催したことで、ようやくジョンソンの功績が知られるようになった。それはジョンソンが亡くなった翌年、71年のことだった。本展ではジョンソンの作品が多数紹介されており、彼の再評価の動きが、改めて進んでいる様子が見えた。
紹介されている作家の多くは、伝統的な美術の技法を学んだ末に「新しい黒人像」の描き方を模索した。当時の政治社会的な背景を抜きに、形式主義的アプローチのみで読み解こうとすると、作品の歴史的意義を理解するのは難しい。本展はその点を十分に考慮した構成となっており、白人中心主義だった美術史観の見直しが、これからさらに進むのだと予感させるものとなっている。
「ハーレム・ルネサンスと大西洋横断モダニズム」
“The Harlem Renaissance and Transatlantic Modernism”
会場:メトロポリタン美術館 (ニューヨーク)
期間:2月25日~7月28日
https://www.metmuseum.org/exhibitions/the-harlem-renaissance-and-transatlantic-modernism