2021年11月3日、八戸市美術館がリニューアルオープンを迎えた。美術館の建物は、公募型プロポーザルで選ばれた西澤徹夫建築事務所・タカバンスタジオ設計共同体(西澤徹夫・浅子佳英・森純平)が設計。
敷地は、青森県内初の美術館として1986年に開館した旧美術館の土地をベースに、隣接する消防署の市有地と青森銀行の土地を等価交換で、拡張・整備された。もともと八戸税務署庁舎を転用していたが、展示室や収蔵庫を十分に確保できていなかったため、建物の老朽化に伴い新築することになった。
また、従来の美術館機能に加え、アートセンター、エデュケーションセンターの機能の追加が望まれた(*1)。「従来の美術館は名作を展示する場所だけれど、この美術館は個人の歴史や日常を掘り下げていく」と西澤徹夫は説明する(*2)。
新しい美術館は鉄骨造の3階建てで、延床面積は旧美術館の約3倍にあたる4881㎡。ニュートラルな趣きで、仰々しさや奇抜さはない。
エントランスを抜けると、三層吹き抜けの「ジャイアントルーム」がある。美術作品等ものの展示に特化したギャラリーや「ホワイトキューブ」に対し、アーティスト、市民、美術館のスタッフらによる学びの拠点となる予定だ。
「ジャイアントルーム」の端には、機能が明確に与えられた部屋が配置される。ギャラリー、会議室、キッチンを介してつながるスタジオとワークショップルーム。さらに所蔵作品を実験的に展示する「コレクションラボ」、映像展示用の「ブラックキューブ」、アトリエ。奥に「ホワイトキューブ」を据える。
2階は収蔵庫と給湯室、事務室、「八戸学院まちなかラボ」。ベンチを配したテラスに続く。3階は機械室。ベンチや手すり、家具、軒下、コーナー、細部にわたり隅々まで気配りされ、これからありうる用途やリスクを想定しデザインされている。
開館最初の企画展は「ギフト、ギフト、」(11月3日〜2022年2月20日)。本館設計の建築家を含む11組のアーティストが参加し、ほとんどの作品が本展のためのコミッションワーク。八戸固有の文化資源と現代を生きるアーティストの活動を結びつけることが試みられた。
展覧会は、八戸在住の切り絵作家、大西幹夫の作品群で口火を切る。
そして、三社祭を支える人々を撮影した浅田政志の作品に続く。
江頭誠も、三社祭の山車組の倉庫から見つけた欠損した山車のパーツと、市民からもらった花柄の毛布を組み合わせ、インスタレーションを制作した。
本展を企画した吉川由美(八戸ポータルミュージアム[はっち]文化創造事業ディレクター)は、今回展示されているすべての作品は「八戸の市民にとってよく知っているもののはず」と言う(*3)。本展が八戸市を代表するお祭りである「八戸三社大祭」を主な題材としているだけでなく、本展に参加したアーティストたちのなかにはこれまで「はっち」(*4)でのアーティストインレジデンスや八戸市内で制作や展示をした者がいる。アーティストは制作活動を通して市民に新たなパースペクティブを与え、市民はアーティストに対して題材や資材を与え、アーティストと市民の間にあるものの双方を「ギフト」と捉えたのが本展だ。
「ギフト」は支払いや代償なしに受け渡しされる贈り物のことだが、実際にはお金が介在する。田村友一郎の作品《予期せぬギフト》では、ギフトを購入する場としてデパートとオンラインショップを併置し、展示会場にインストールした。リアルとデジタル、どちらでもギフトを展開する場は市場経済であることを意識させ、背景となる美術館もまた、そのような社会装置として存在することも感じさせられる。
アーティストと市民をつなぐ場合、目には見えないお金の流れがある……。事実、美術館も政府主導するインバウンド、観光ビジネスのなかに組み込まれる。KOSUGE1-16の巨大な人形で、山車と同じ発砲スチロールで作られた《インバウンドおじさん》は、目の前に落ちてくる事象(ピンポン玉)がインバウンドに該当するか、しないかを、ジャッジする。
アーティストと市民を阻むものは、お金だけではない。コンテクストなくしてアートは成り立たない。だから、ただものづくりをすればアートになるかというと、そうではない。
三社大祭のデザインのインスピレーションともなっている浮世絵は、もともと江戸時代の歌舞伎役者のブロマイドや、観光名所ガイドとして二束三文で売買され、市民に愛好される大衆芸術だった。だが西欧に渡り、美術品、アートの認定を受け、いまでは世界中の美術館の収集の対象となった。
田附勝が題材にするデコトラ(電飾を施したトラック)は、じつは八戸発祥。浮世絵同様大衆芸術とも言え、いわゆるアートではないが、美術館という場所に陳列されることによってアート性を帯び始める。
八戸市美術館は、従来の美術館のようにコレクションを核としていない。常設展示室はないし、美術館のオープニングに、美術館の核となる目玉のコレクションを作品として紹介しなかった(*5)。美術館の所蔵作品は、美術館の設計者らが展示の一部として壁面に用意した図の中に組み込まれ、設置されていた。
いま、日本に求められている芸術施設とは、マスターピースをかかえる美術館だろうか。元値も維持費も高いマスターピースを保有し、囲う経済力や体力を、日本に、地方の小さな自治体に求められるのだろうか。美術館はどんなに新しい役割が課されてもアートセンターやギャラリー、公民館ではなく、芸術作品の収集・保管・公開という固有の役割を持つ。貴重な芸術作品の展示から体験できる経験はかけがえがない。日本のアートは、どうやって日本の中でサバイブすることができるのか。
八戸市美術館の目的はラーニング(「学びをシェアする」という意味[*6])。アートという制度、美術館という形式を借りて、この施設は新しい市民の学びの場を展開していく。同館に関わる人々は、学校でも、図書館でも博物館でもなく、美術館に何を求め、学んでいくのだろうか?
青森県にはすでに、青森県立美術館のほかに現代美術を推進する施設がいくつかあるが(*7)、このように八戸市美術館は極めて異色だ。漁業と工業が栄え、飲食店もホテルも多い八戸中心街を足がかりに、同市の持つ縄文遺跡や国宝、近隣の十和田市現代美術館(西沢立衛設計、2008)に訪れるのも楽しそうだ。
*1:八戸市美術館整備基本構想(https://www.city.hachinohe.aomori.jp/material/files/group/11/20161124-114651.pdf)
*2:2021年11月2日プレス内覧会にて。
*3:2021年11月2日プレス内覧会にて。
*4:八戸ポータルミュージアム、通称「はっち」。 観光スポットに誘うポータル(玄関口)として2011年に設立された。八戸市は、マニフェストに「多文化都市八戸推進会議の設置」を掲げた小林眞市長の就任後(2005年)、多文化都市八戸推進会議を設置するなど文化を基軸とした街づくりに取り組んできた。「はっち」はその政策の中核で、中心街の再生を目論み、観光窓口、市民活動拠点、アーティストインレジデンスなどを揃えた多目的施設。「はっち」との連携を取りながら本美術館も2016年から本格的に整備を始めた。
*5:八戸市美術館は、八戸ゆかりの作家の作品を中心としたコレクション約3000点を持つ。八戸生まれで、谷文兆門下の文人画家橋本雪蕉(1802~1877)や、 八戸における洋画の創始者、福田剛三郎(1886~1977)らの作品を含む
*6:「提案の核になった「ラーニング」という言葉は、大雑把に言うと、学びをシェアするという概念です。」https://www.10plus1.jp/monthly/2017/07/issue-01.php
*7:青森県立美術館、青森公立大学国際芸術センター青森、弘前れんが倉庫美術館、八戸市美術館、十和田市現代美術館、青森の5つの美術館・アートセンターの連携が本年度より始動した。https://aomorigokan.com/