ルーヴル美術館で10月16日、企画展「愚者の姿:中世からロマン派まで(Figures of the Fool:From the Middle Ages to the Romantics /Figures du fou:Du Moyen Âge aux Romantiques)」が開幕した。会期は2025年2月3日まで。
13世紀から16世紀にかけて、視覚文化に数多く登場した愚者・道化師・狂人の姿を紹介するユニークな展覧会。時に宮廷で重宝され、時に街に不穏さを撒き散らす愚者とはいったいどんな存在なのか? 歴史的背景をもとに、文化的観点からその存在にフォーカス。改装されたナポレオンホールを会場に、写本、版画、タペストリー、絵画、彫刻や日用品など300 点以上の作品が一堂に会した。ここでは本展の見どころをレポートする。
その前に触れておきたいのが、ルーヴル美術館が本展に合わせて行なった、公開中の映画『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』とのコラボレーション。美術館の招待のもとワーナーブラザーズと提携し、ハーリーン・クインゼルを演じるレディー・ガガをフィーチャーしたオリジナルビデオをリリースして話題を呼んだ。「ふたり狂い」とも訳される「フォリ・ア・ドゥ」は、妄想を持つ人物Aと、親密な結びつきのある健常者Bが、外界から隔離された環境でともに過ごすことで、AからBへ、時にはさらに多くの人々へと妄想が共有されることを意味する。狂気とは、狂人とは。そんなテーマが13世紀から現代へと橋渡しされるコラボレーションだ。共同キュレーター、エリザベス・アントワーヌ・ケーニッヒが映画の予告編を見てジョーカーとハーレークインの姿を解説する動画もアップされているので、こちらもおすすめ。
西洋美術に馴染みがある人にとっては、「愚者」は度々目にする存在だろう。ニヤニヤとした嫌らしい顔でカップルに近づき、道化を演じて人々を笑わせ、病や死と結びついて人々を不安に陥れる。たとえ作品の主役ではなくても、強烈な存在感で人々の目を引く、それが愚者だ。フランス語の「fou」という単語は、宮廷に仕えた道化師から精神障害者まで様々な人を含むという。本展は精神疾患について辿る内容ではなく、あくまで西洋における道化師の偏在性を明らかにするものだが、ではこうした存在は視覚文化にいつから登場するのだろうか?
本展はまず、中世の装飾写本から始まる。愚者・道化師はもともと宗教的な思想に根差したものであり、キリスト教世界において周縁性を象徴する者として登場した。展示された写本を覗き込むと、世界の端の住民であることを示すように、神聖なテキストを取り囲む美しい装飾の余白にグロテスクで混合的なモンスターたちが見える。こうした奇妙な存在はしかし、不思議と人々を魅了し、世界の端っこから中心へと進出していくことになる。
愚者はもともと「神を拒絶する者」とみなされていた。詩篇52の頭文字「D」は「愚者は心の中で神はいないと言っている」という意味の一説で始まることから、Dには愚者の姿がよく描かれた。中世後期には特定の色の衣服、王笏の堕落したパロディとして道化師の杖を持ちパンを手にしているなど、姿の定型化も進んだ。
新約聖書に登場する「愚かな処女」を模った13世紀の彫刻には、怠惰で思慮を欠いた人物が神の教えを忘れるということを伝える印象的な表情が刻まれている。
またキリスト教世界の周縁性という意味で、当時の愚者のイメージにはユダヤ人差別も練り込まれていた。神を信じない愚か者の道化師と、キリストを裏切るユダヤ人とのイメージは混同されながら広まっていったという。
14〜15世紀は都市において道化師・愚者が欠かせない存在になっていく時代。
当時はユーモアと皮肉を交えた「愛の愚かさ」が老若男女を惹きつける主題であった。たとえば古代ギリシャの哲学者アリストテレスが、アレクサンダー大王と恋仲であったフィリスに魅了され、彼女に馬乗りにされる姿を滑稽に表す表現が大流行した。
そして次第に、こうした愚かなカップルにそっと道化師が忍び寄る……。
典型的なのは、いやらしい表情をした中年男性が若くて美しい女性を金によってものにしようとしているシーン。ふたりの横にいる道化師は、鑑賞者に目配せしながら、人間の愛と欲望の淫らさについて語りかける。
また中世の騎士道精神を謳った物語では、庭園は愛を紡ぐ場面としてよく登場するシチュエーションだった。展示された美しいタペストリーには、そんな庭園で自制心を失っていちゃつくカップルとそれを指し示す道化師が。宮廷生活の秩序の乱れを嘲笑するように笑いかける道化師は、反面教師としてこうした狂気の愛や、もしくは愛が持つ愚かさが、人々を堕落や死へと導くことを示唆しているのだ。
16世紀ドイツで作られた、女性を抱きしめる愚者を模ったタオルハンガーも魅力的な逸品だ。口付けを交わすふたりの肩にも小さな愚者たちが乗っていて、行為を囃し立てているかのよう。解説によると、本作はおそらく売春宿に置かれ、愚者である男性に対する女性の性的な誘惑の力を肯定するためのものだったと考えられるという。
14世紀になると、宮廷道化師が制度化される。当時、中世にソロモンの宮廷にいた道化師が機知に富んだ発言を行い重宝されたという言い伝えが信じられており、これに倣って王や王子たちもこぞって自らの宮廷にも男女の道化師を置くようになった。こうした道化師による批判や皮肉めいた発言は、宮廷の支配者たちに基本的には受け入れられていたという。
おそらく16世紀にベルギーで描かれた絵画には、白い衣装を纏った優雅な貴族たちの集まりのなかに、赤い服を来た道化師が混ざっているのが見える。
また16世紀前半にイングランドを統治したヘンリー8世が持っていた鎧の兜は道化師の顔をしている。権力者にとって道化師の仮面をかぶることはたんなる遊びではなく、その道徳的勇気を奮い立たせるための行為だった。
宮廷で行われる舞踏会やゲーム、トーナメントにも道化師は参加し、馬上槍試合にコメントしたりパロディを演じたりするなど、皮肉なエッセンスを与えてその場を盛り上げた。宮廷文化に根付いた彼らはゲームの登場人物となり、それがトランプのジョーカーの祖先となった。本展には愚者を模ったチェスの駒や、道化師の姿をした猿が描かれた巨大なカードなども展示されている。
世俗の世界の権力構造がひっくり返るカーニバルは、飲酒、演劇、仮面舞踏などが繰り広げられるお祭り騒ぎが行われ、陽気で騒々しい道化師たちがその狂乱をリードした。続く章では宮廷を飛び出し、都市空間に身を投じた道化師たちを取り上げる。
ピーテル・ブリューゲル(父)と同時代の画家が描いたカーニバルの場面には、障害を持つ乞食たちのダンスが描かれる。白い衣服につけたキツネの尻尾は王室において純潔を象徴するオコジョを模したもので、悪名や偽善、狂気を示すものだという。こうした描写には、障害や病気、貧困等に対する当時の差別意識も深く刻まれている。
また様々な愚者の肖像画が集められたエリアは、その個性豊かな表情と衣装に身を包んだ様々な道化師たちを見ることができる。
16世紀までにはヨーロッパ文化のあらゆるところに偏在するようになった道化師。その成功の裏には、セバスチャン・ブラントの『愚者の船』やエラスムスによる『愚行礼賛』といった出版物の影響も大きいという。この時代に活躍した著名な画家は、ヒエロニムス・ボスとピーテル・ブリューゲル(父)だ。ふたりやその同時代の画家や模倣者による作品が、この愚者の時代の最後を飾る。
17世紀〜18世紀にかけて、ヨーロッパの芸術における愚者の表象は減少する。デカルトやディドロが導いた理性と啓蒙の時代において、宮廷からは道化師の時代はなくなっていったのだ。
しかし政治的革命を経た18世紀後半から19世紀前半になると、エラスムスの『愚行礼賛』新刊が流行するなど、再び道化師にスポットライトが当たるようになる。そして狂気は、ロマン主義の台頭とともにヨハン・ハインリヒ・フュースリーのような恐ろしく奇妙なイメージを追求する画家のインスピレーション源となった。フランシスコ・デ・ゴヤも、新しい方法で狂気の世界に取り組んだ画家だ。
19世紀前半になると、フランス語の「fou」は精神病者を指す言葉としてだけ使われるようになる。この時代は精神医学が誕生し、それまで行われていた精神病者を監禁するといった蛮行にも疑問が呈されるようになる。
また道化師の存在は、芸術家にとって、狂気や恐怖と戦う自らを重ね合わせる存在にもなった。その背景には、ウィリアム・シェイクスピアやヴィクトル・ユゴーら過去の偉大な作家が描いた物語がロマン主義時代に読み直され、そこに登場する道化師の存在が大きな役割を果たしている。ギュスターヴ・クールベは《恐怖で狂った男》(1844)として、画家としての成功と内なる葛藤の狭間で苦悶する自らの姿を描いている。
膠着化した社会構造や価値観を混ぜ返し、悪意や皮肉でもって人間の有り様を問いかけてきた道化師。宗教や時代が違えど、いつの時代も人々の心をざわつかせ、不安にし、だからこそ魅了するのかもしれない。多くの残された作品が、こうした存在への人々の飽くなき興味と愛着を実感させる展覧会だった。
Figures of the Fool/Figures du Fou
ルーヴル美術館
10月16日〜2025年2月3日
公式サイト:https://www.louvre.fr/expositions-et-evenements/expositions/figures-du-fou-0
福島夏子(編集部)
福島夏子(編集部)