ある瞬間に私たちの生活が完膚なきまでに破壊され、知人や友人の、誰が生きていて死んでいるのかを確かめることができなくなる。アスファルトがめくれ、窓が砕け、天井が落ちて火がのぼる……そんな景色を、各自の皮膚感覚にもとづいた未来予想図として想像することを教育する社会で私たちは生きてきた。小学生の頃は机の下で四肢を小さく折りたたむ練習をさせられた。テレビでは東京が火の海にのまれるCGシミュレーションが流されていた。日常の途絶可能性と「今日ではなかった」という安堵。それは誰かの悪意ではない。単独の神による天地創造ではなく、古事記が伝承する「国生み」の二者関係のように、しかし神話ではなく事実として、複数のプレートの緊張関係こそが日本の物理的な根拠であることを私たちは知っている。
いま手元にあるのは一冊の白い冊子だ。やわらかい表紙をめくると次の一節が記されている。
「Everything is a Museum」は、2024年1月1日に発生した能登半島地震の影響と様々な危機に対して、どう向き合うのかを共有する運動です。
2024年6月8日から21日にかけて、金沢21世紀美術館アシスタント・キュレーターの髙木遊による「Everything is a Museum」が開催された。金沢市内のギャラリーや書店、飲食店、髙木邸、芸宿などの11ヶ所を会場に、作品展示や書籍販売、パフォーマンス、DJイベントなどが行われた複合的な展覧会である。本稿の目的は、私的な旅行記としての展覧会レビューを行うことではなく、震災と芸術の関係においてキュレーションを批判したうえで、展示作品から取り出すことのできる可能性を批評することだ。
能登半島地震発生当時、美術館内で開催されていた2つの展覧会に髙木は関わっていた。「コレクション展2:電気-音」と企画展「DXP(デジタル・トランスフォーメーション・プラネット)―次のインターフェースへ」である。自身が勤務する美術館での展覧会中止のなかで、髙木は新たに別の展覧会を作ろうとした。それが「Everything is a Museum」である。開催に先立って震災を踏まえたうえで、美術館のあり方について、建築家やレジストラー、アーティストらと集まって話し合う公開ミーティングが複数回開催されたという。展覧会とあわせて刊行された冊子には、ミーティングの記録から各会場の来歴までが掲載されている。
そうして丁寧に作られた「Everything is a Museum」は、金沢という街に根付いた文化の紹介として、あまりに「正しい」ものだ。しかしその正しさによって本展を評価することはできない。むしろ本企画の正しさは震災とは無関係である。会場となった施設群には震災以前から人々の生活があり、お酒や食べ物、スケボー、灰皿、本、作品、イベントがあった。こうした文化の紹介は震災とは無関係につねになされるべきであり、髙木が「すべてはミュージアムだ」とうたうとき、震災による美術館の被害情報の公開不足、不透明性を煙に巻くようにも思えてしまう(髙木もまた情報を得ることができないことが冊子には記されているのだが)。すべてがミュージアムではないから金沢21世紀美術館は重要なのだ。
ここで問いを明確化すれば、地球上の大震災の20%が起こるとも言われる日本列島において「ミュージアムとは何か?」であり、その問いに対してキュレーターは端的に応えることが必要とされる。そしてその回答は、過去数百年の西欧におけるキュレーションの技術や展示制度の歴史や批判とは異なるものとなるはずだ。つまりキュレーションやミュージアムの技術的な多様性の提示が求められる。
もちろんヨーロッパでもリスボン地震(1755)やメッシーナ地震(1908)のような事例はある。しかし日本と比べると頻度は少ない。人間の生のスケールを超えた文化伝承(収集と公開)を目的とするミュージアムにおいて、震災という危機はグローバルな課題であり、その問題を先立って思考する土壌が日本にあることは無視できない。たとえば美術批評家の椹木野衣は、聞き取り調査と文献調査、そして「Don't Follow the Wind」などの実践に基づいた著作『震芸術論』(2017)のなかでいくつもの論点を提示しているが、こうした蓄積が本展に反映されているとは言い難い。髙木のキュレーションにおいて震災は、土地に根付いた文化紹介の「きっかけ」に過ぎず、この20年の国内の事例で言えばChim↑Pomやカオス*ラウンジ、ストレンジャーによろしく、ART DRUG CENTERなどによる手作り芸術祭的な表現空間の自主制作のバリエーションに思える。それはミュージアムへの問いからの撤退だ。
ところで、哲学者のユク・ホイ(1985〜)は、コンピュータサイエンスや情報技術などの単一的で西洋由来のテクノロジーが普遍化して全世界に普及したことを踏まえつつ、東西を問わない複数の宇宙論を論じてきた。実際、私たちの文化から経済までの活動は惑星規模の情報通信網に覆われている。そこでホイは特定の技術を宇宙論とセットでとらえる「宇宙技芸」(cosmotechnics)という概念を提示した。宇宙技芸は、天体物理学に限らず複数あり、その技術多様性において世界をとらえ直す枠組みだ。たとえば著書『芸術と宇宙技芸』(2024)では、古代ギリシャ以降の悲劇(悲劇者の宇宙技芸)と中国の山水画(道家の宇宙技芸)を対比している。
ここでホイの議論を導入したのは、震災と芸術について思考しながら展覧会をキュレーションするには、ミュージアムにおける文化伝承が前提とする宇宙論の再開発、つまり過去/現在/未来の時間系列の非西洋的な再組織、さらには悲劇者や道家とは別の宇宙技芸が求められると考えたからだ。
各時代、各地域ごとに異なる宇宙技芸があった。それぞれに異なる時間や空間のモデルが語られ、表象されてきた。宗教的な神話とはひとつの宇宙論の表現であり、大学制度のなかで分類された諸科学もまた各自の宇宙論を構成している。逸脱的な要約となるが、宇宙論が制度化されたときにこそ個体の死を超えた伝承が果たされるのであり、世界の起源の複数性が記述可能となるのだ。
だが、本展において、そうした宇宙技芸の提示がキュレーションのレベルで果たされていたとは言えない。そのことは本展の「正しさ」が、惑星レベルで反復する震災におけるミュージアムの問い直しとしては、効果的でなかった理由にもなってしまうだろう。
しかし展覧会を通じた宇宙技芸の提示は、キュレーションではなく、作品レベルでは果たされていた。ここでは、震災によって開催中止に追いやられたコレクション展「電気-音」に招へい作家として参加し、同展の作品の再展示と新作制作で「Everything is a Museum」に参加した小松千倫と涌井智仁に注目したい。ふたりの作品は個別に興味深いだけでなく、互いに異なる時空間のモデルが展覧会のなかで響き合っていた。この点においてキュレーションは効果的である。
まず涌井智仁は新作インスタレーション=展覧会内個展「Various Fires of Fire」をホワイトキューブであるFOCで発表した。塩見允枝子による1963年の「真昼のイヴェント」の再演でもある同名作(海を背後に立つ女性のまばたきに合わせてギターエフェクターがオン/オフされて波の音が変化していく有機的な映像作品)が置かれた第一室を抜けると、液晶モニターのバックライトをLEDマトリクスパネルに換装した二重ディスプレイに古代ギリシャの哲学者で詩人のエンペドクレスの図像を表示する《sit ius liceatque perire poetis》(日本語では「詩人たちに自決の権利を許せ」)、そして16.1chのサウンド・インスタレーション《MONAURALS/Various Fires of Fire》が展示されていた。
《MONAURALS/Various Fires of Fire》における大量のスピーカーは、「FIRE」という文字が記された赤い角材に乗せられているのだが、そこからは文字通り「fire」という音声が流れている。それらの音声は、作品内でリアルタイムで記録⇄再生されており、そのプロセスなかでフーリエ変換によってデータが変化していく。つまり鑑賞者が聴取する音声は再生されながら記録、変換されているのだ。
かつて哲学者のイマニュエル・カントは、完全に抽象的な幾何学空間において左と右の区別ができないことを指摘した。左右の差異とは、私たちの身体的な知覚においてこそ生じるのである。そして涌井作品のモノラルサウンドのネットワークは——その音響全体がひとつのポリフォニーのように聴取されるとしても——私たちの耳の左右差を機能不全に陥らせる。そして空間的な音の定位を、データの変換操作の時間的な前後関係へと再組織するのである。
また展示室に文字かつ音声として無数に存在する「fire」は、辞書的には「炎」と「銃撃」を同時に意味する。炎とは持続する時間のなかでゆらめく存在だが、銃撃とは撃鉄による瞬間的な打ち出しだ(さらには二重ディスプレイに表示されたエンペドクレスがエトナ山の火口で投身自殺したという逸話も想起させる)。
異なる時間性の詩的重ね合わせのなかで(瞬間と持続の「fire」の二重性)、商品として流通するコンピュータやアプリケーションにおいては対立的で共存不可能なはずの操作が一体化させられる(「再生=出力=記録=入力」という同致)。私たちの耳の生理は、作品を通じて、コンピューターの有機性へと詩的に巻き込まれていく。
そして若者たちの生活空間である芸宿の101号室に展示された小松千倫による作品《Earless》もまた、タイトルの通り、左右の耳の剥ぎ取りについての25分のサウンドドラマでありインスタレーションだ。小泉八雲の怪奇文学集『怪談』(1904)で知られるようになった「耳なし芳一」において、琵琶法師の芳一は怨霊によって耳を剥ぎ取られてしまう。そうした物語を解釈の糸口とした本作は、世界大戦下の日本によるパラオ共和国の委任統治時代に強制的に導入された日本語教育に基づいた単語音声(「denki(デンキ)」や「nets(ネツ)」など)が散りばめられている。それは振動スピーカーによって直接に建築を揺らすことで再生される。靴を脱いで鑑賞するので足の裏からも音が聞こえてくる。
強制的な言語教育に着想を得たサウンドドラマを、委任統治を行った側の国の人間が制作すること。その倫理的妥当性の責任は、本作においては、作者のみに帰すべきではないと私は考える。まず言えるのは、日本語話者である鑑賞者にとって重要なのは「nets(ネツ)」が「熱(ネツ)」として聴取されるにもかかわらず、それを「「熱い」という意味として受け取っても良いのか?」という不信の音響化だったと言える。その不信こそが、倫理的なのであり、〈聴くこと〉と〈揺れること〉の同致において経験される芸術作品《Earless》の特質なのだ。振動する建築のなかで言語に対する不信に耐えるとき、私たちの耳は、かつての委任統治時代の言語教育を感性的かつリテラルに批判することになるのである。本作において言語は音に還流する。いや、還流しようとして失敗しながら皮膚と鼓膜の距離が再組織される。
ふたりの作品において、私たちの耳は、ただ聴くことの不可能性に晒される。一方では左右の耳へと流れ込む音の定位が、他方では言語と音が、作品を通じて再組織される。身体そのものの部分的かつ全体的な変換操作。ただ聴くことの不可能性は、生理的に平均化されながら観念的に抽象化された身体(人間/男性としての「Man」)を否定する。身体たちの非互換性を回復させる。この身体がふたたび私のものとなる。涌井と小松は、身体における矛盾した可能性に基づいて、時間と空間のあり方をとらえ直しながら、それぞれの宇宙技芸を構想しているのだ。そこにあるのは表象(re-presentation)ではなく再我有化(re-appropriation)の運動である。この大地が、何度でも揺れて、割れて、移動するのだとしても……そんな大地の上で生き延びて思考する身体の再制作こそが、ひとつの宇宙論であり、芸術であるのだと信じ直すことの希望を、身勝手ながらも、私は受け取った。
そしてふたりが制作/再制作した身体=宇宙において、その作品から構想可能な新たな論理において、震災と芸術の関係をとらえ直して、ミュージアムをふたたび私たちのものとすることがキュレーションには求められるだろう。そのとき「ミュージアムとはなにか?」という問いに答えることができる。だが、そんな物語の「つづき」を描く権利は、すべての人々にひらかれている。作品から自由に論理を構築する権利においてこそ、芸術の公共性は担保されるのだ。
布施琳太郎
布施琳太郎