A24が史上最高の製作費を投じ、アメリカで起きる内戦を描く映画『シビル・ウォー アメリカ最後の日』が10月4日から全国公開される。
本作の舞台は、連邦政府から19もの州が離脱したアメリカ。テキサスとカリフォルニアの同盟からなる“西部勢力”と政府軍の間で内戦が勃発し、各地で激しい武力衝突が繰り広げられ、ワシントンD.C.は陥落目前。14ヶ月一度も取材を受けていないという大統領に単独インタビューを行うため、ニューヨークに滞在していた4人のジャーナリストは、ホワイトハウスへと向かう。だが戦場と化した旅路を行く中で、内戦の恐怖と狂気に呑み込まれていく──。
本作でキルステン・ダンストが演じる主人公の報道写真家リー・スミスの名前は、アレックス・ガーランド監督が尊敬する写真家、リー・ミラーにちなんでいるという。
このリー・ミラーとはどのような人物なのか? モデル、シュルレアリスト、戦場カメラマンと多様な顔を持ち、パブロ・ピカソをはじめとする様々な芸術家と交流しそのポートレイトをとらえてきた、写真家としての歩みについて紹介したい。
リー・ミラー(1907〜1977)は、20世紀の写真史において特異な存在感を放った女性の写真家だ。
まずファッションモデルとしてキャリアをスタートし、その後は報道写真家、なかでも戦場カメラマンとしての道を歩んだ。その人生は芸術と戦争の交差点で展開され、女性の視点であることを強く意識させる重要な作品を数多く残している。
NYに生まれたミラーの父親はエンジニアで発明家、そしてアマチュア写真家であり、この父の存在が彼女の人生に大きな影響を与えた。
パリで衣装や舞台美術などを学んだあとNYの美術学校でも学んでいたが、交通事故に遭いそうになったところを救われた縁で『ヴォーグ』の発行人コンデ・ナストと出会う。そして1920年代にミラーは『ヴォーグ』の誌面を飾るモデルとして名声を得るようになった。その美しさや才能はエドワード・スタイケンをはじめとする多くの著名な写真家に注目され、「モダンガール」として時代の顔となった。
同時にファッションスケッチや写真も手がけ、その芸術的才能を伸ばすべく1929年にパリに渡る。そこでミラーはシュルレアリスト、マン・レイのアシスタントかつ恋人となって写真を学び、パブロ・ピカソやジャン・コクトーといった数々のアーティストと親交を結ぶことになる。
マン・レイの技法として有名な「ソラリゼーション」は、ミラーがその効果を偶然発見し、マン・レイとともに発展させたものだった。
1932年、マン・レイに別れを告げNYに戻ったミラーは、自身のスタジオを構え写真家として躍進。1934年、エジプト人実業家アジズ・エルイ・ベイと結婚するとカイロへわたり、砂漠を旅する冒険家として数年を過ごした(その後離婚)。
1940年からはフリーランサーとしてイギリス版『ヴォーグ』を舞台にポートレイトやファッション写真を手がける。しかしロンドン大空襲やそこで暮らす市民の取材をきっかけに、より社会的な写真を手がけるようになる。
第二次世界大戦下で、ミラーはアメリカ陸軍の従軍カメラマンとして活動を開始。戦局よりも戦時下に暮らす人々にフォーカスし、戦争の残酷さと人間の苦悩を克明にとらえた作品を数多く発表した。とくにノルマンディー上陸作戦や、ブーヘンヴァルとダッハウの強制収容所でナチスの戦争犯罪の跡をとらえた写真は、今日まで歴史的意義を持つ。
またミラーの仕事で注目すべきは、雑誌のグラビアや報道写真に留まらず、シュルレアリストのアーティストとしての視点も失わなかったことだ。殺害された男性や自死した女性を撮影した写真にも、マグリットなどを想起させる奇妙な美しさが現れている。
象徴的なものに、《ヒトラーの浴室のリー・ミラー》(1945)という写真がある。これはドイツの取材旅行を同行していた写真家デヴィッド・シャーマンが撮影したものだが、ミラーとの共作とも言えるもので、ダッハウの強制収容所の取材を終えた数時間後に撮られたものだ。ヒトラーのアパートで数日を過ごした彼女は、「ヒトラーでさえ、ふつうの人間の習慣を持っていたようだ」と書き残している。
日常性とおぞましさ、被写体の美しさといった通常ではあり得ないショッキングな組み合わせはシュルレアリストらしい手法であり、様々な感情を掻き立てる強烈なイメージとなっている。
また彼女の仕事の特筆すべきものとして、『ヴォーグ』上で掲載された軍務に関わる女性たちのポートレイトがある。さらにパイロットや消防士などの勤労動員された女性たちも撮影し、『ヴォーグ』で「戦争へいった女性たち」という大特集が組まれている。こうした写真群は女性たちの力を示すと同時に、ナチスドイツに対抗するための戦意高揚の一翼を担うことにもなった。
また戦後も、オーストリア、ハンガリー、ルーマニアといった戦争の爪痕が残る地域で社会の再構築を目指す女性たちや、デンマークで独自のネットワークを築いた女性たちなど、国境を跨いで様々な女性や子供たちへとカメラのレンズを向けた。
戦争の最前線でカメラを構え、つねに危険と隣り合わせの状況に身を置いていたミラー。その選択は、女性の社会的地位が現在よりずっと低かった当時において、勇気のあるものだったと言えるだろう。
ただしその代償も大きかった。従軍による経験から、ミラーは鬱を患うようになる。戦地から帰ったあとは画家・美術評論家・収集家で夫のローランド・ペンローズとイギリスの農場で暮らし子供を得たが、晩年に至るまでたびたび鬱に悩まされた。1977年にイギリスにてガンで死去。70歳だった。
『LIFE』で活躍したマーガレット・バーク=ホワイト、フォトジャーナリストとして活躍したドロシア・ラングと並び、20世紀を代表する女性の写真家のひとりに数えられるリー・ミラー。しかしその評価は、必ずしもずっと高かったわけではない。
1950年代に『ヴォーグ』に幻滅して決別してからはこれを超える媒体と出会えず、活動が下火になっていったこと。本人が自身の功績のアピールにあまり熱心でなかったこと。そしてその美しさと相まって、彼女のモデル時代からの交流関係や行動、恋愛遍歴が“奔放”とみなされ、中年期はアルコール中毒や鬱に悩んだことも、大きな要因だと考えられている。こうしたまなざしや言説にはミソジニーも大きく含まれているはずだ。
写真家、アーティストとして残したその作品は、今後さらなる研究、評価が進んでいくだろう。
【参考】
『リー・ミラー写真集 いのちのポートレイト』岩波書店、2003
映画『シビル・ウォー アメリカ最後の⽇』
公開日:2024年10月4日(金)
監督・脚本:アレックス・ガーランド
出演:キルステン・ダンスト、ワグネル・モウラ、スティーヴン・マッキンリー・ヘンダーソン、ケイリー・スピーニー
原題:CIVIL WAR
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福島夏子(編集部)
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