二十世紀の偉大な作家ジャン・ジュネがかつて述べたように、自分の書いたものが社会のなかで活字になった瞬間、人は、政治的生活に参加したことになる。したがって、政治的になるのを好まないなら、文章を書いたり、意見を述べたりしてはならないのである。
——エドワード・サイード『知識人とは何か』
「アート界の良心」を自負する匿名フェミニストアート集団であるゲリラ・ガールズが1995年に制作した、「これらの男たちの共通点は何か?」と上部に大きく書かれたポスターがある。その文字の下には、O・J・シンプソンの写真があり、そのすぐ左脇にはカール・アンドレの写真が並べられている。
いっぽうはアメリカンフットボールの元スターであり、他方はミニマル・アートを代表するアーティストであるというように、一見ふたりに関連性はまったくないように思える。しかし、このポスターでも指摘されているように、両者は、(元)妻を殺害した容疑で逮捕・起訴され、最終的に無罪判決を受けたという点で共通しているのである。シンプソンは、1994年に元妻のニコール・ブラウンとその友人を殺害した容疑で逮捕・起訴され、1995年に無罪判決を受け、それより遡ること約10年、アンドレは、キューバ出身のアーティストで当時アンドレの妻であったアナ・メンディエタを殺害した容疑で逮捕・起訴され、1988年に無罪判決を受けた。そのため、アンドレは「アート界のOJ」と呼ばれるようにもなった。
アナ・メンディエタとカール・アンドレは1979年にニューヨークで出会い、1985年1月にローマで結婚した。メンディエタはアンドレの3番目の妻であった。結婚から8ヶ月後の9月8日の未明、メンディエタは34階のアパートにある窓から何らかの理由で転落して死亡した。警察に通報したとき、アンドレは、どちらが有名かということについて二人で口論して、メンディエタが寝室に向かうのを追いかけ、彼女が窓から落ちたと述べたという(*1)。
アンドレはその後、口論の有無等について証言を二転三転させることになる。警察が朝8時ごろにアパートでアンドレを尋問した際、アンドレの鼻に引っかき傷のようなものがあったが、アンドレは、数日前にバルコニーにいるとき強風のためドアが鼻にぶつかって出来たものだと説明した。1988年には異例の裁判官裁判が行われ(こうしたケースでは陪審員による裁判が通常である)、同年2月12日、アンドレは無罪判決を受けた。
このように法的には容疑は晴れたものの、フェミニストを中心に多くの人々の間で疑惑が解消されることはなく、その法的判断に異議を唱えアンドレの関与を追求する声は、その後も決して止むことがなかった。メンディエタの死から37年経った2022年、美術史家・キュレーターであるヘレン・モールズワースが、自らがホストを務め制作に関わったポッドキャスト「Death of an Artist」(*2)で、8回にもわたってアンドレとメンディエタの死の関連について取り上げ、それをきっかけとして、そうした声は近年、再び高まりを見せている。
そのカール・アンドレが2024年1月24日に、マンハッタンにあるホスピス施設で死去した。88歳であった。戦後アメリカ美術史の重要な動向であるミニマル・アートを代表する作家であったため、世界中の様々なメディアにアンドレの死亡記事が掲載された。筆者が確認することができた英米メディアの記事すべてにおいて、アーティストとしてのアンドレの業績だけでなく、メンディエタの死とアンドレの関わりについて大きく紙幅が割かれていた(*3)。それに対して、Tokyo Art Beatを含め、日本のメディアにおけるアンドレ死亡記事でメンディエタの死に関する疑惑に触れたものは、いまだ見つけることができないでいる(*4)。このことは、この疑惑に対する彼我の認識の差を象徴的に示していると言えるだろう。
1992年6月、グッゲンハイム美術館が新たにソーホー分館をオープンする際、そこで開館記念展が開催された。その参加作家は、女性が1人であるのに対して白人男性が4人であり、さらにその中にカール・アンドレが含まれていたため、女性行動連盟(Women's Action Coalition)が組織した抗議活動(*5)が、500人ほどの参加者を得て美術館の外で展開された。そうした抗議活動者の中には、「アナ・メンディエタはどこにいるの? Where is Ana Mendieta?」という横断幕を掲げている人々に加え、招待者のみ入ることができるガラに入り込んで、メンディエタの顔写真をアンドレの床彫刻の上にばら撒く者たちもいた。
『アートワーカーズ 制作と労働をめぐる芸術家たちの社会実践』の邦訳が最近刊行された美術史家ジュリア・ブライアン=ウィルソンが先述のモールズワースのポッドキャストで、1990年代後半カリフォルニア大学バークレイ校で美術史学の大学院生であった頃、外部から来た研究者が行ったカール・アンドレに関する講演会に参加したときのことを語っている(*6)。その研究者は講演の中で、アナ・メンディエタについて一切触れることなく、90年代の流行語であった「水平性」を用いてフォーマルな観点からアンドレについて語りつづけたという。ブライアン=ウィルソンは、その講演者が水平性や重力、地面について語りながらも、メンディエタが34階の窓から落ちてその身体が水平な地面に叩きつけられて亡くなったことを無視しているのを信じることができなかった。彼女は別の「水平性」について考えていたのである。怒りで煮えくり返えったブライアン=ウィルソンは心臓が高鳴るのを感じながらも立ち上がり、アナ・メンディエタはどうなのか、メンディエタはあなたの議論のどこに当てはまるのかと質問した。彼女(講演者)はたんにその質問を退けるのみであった。
グッゲンハイムでのデモも、ブライアン=ウィルソンのエピソードも、展覧会や講演会といった、カール・アンドレに関連した活動において、メンディエタの存在とその死がまるでなかったかのように消去されていることへの抵抗であり抗議であった。さらにそれは、アンドレの作品はメンディエタの死とともに見られるべきであるという要求である。デモの参加者たちは「アナ・メンディエタはどこにいるの?」と問い、床彫刻の上に直接メンディエタの写真をばら撒くことでメンディエタの存在を思い起こさせ、ブライアン=ウィルソンは、フォーマルな観点に終始してアンドレ彫刻を「自律的」な作品としてのみ扱う講演者に対して、メンディエタの転落死という別の「水平性」を突きつけた。彼女たちが主張するように、現在の状況において、アナ・メンディエタとその死を思い浮かべずしてカール・アンドレの作品を見ること、それらを完全に分離して考えることは不自然な行為であり、不可能であるとさえ言ってよいだろう(*7)。
ここ数十年、欧米では美術館でカール・アンドレの展覧会が行われるたびに、様々な抗議活動が行われ強い批判が寄せられるため、彼の展覧会を行うこと自体が困難になっている。こうした状況を避けるかのように、DIC川村記念美術館において、韓国から巡回してきたアンドレの個展「カール・アンドレ 彫刻と詩、その間」が現在開催されている。本展を見て頭に浮かぶのは、まさにグッゲンハイムの抗議活動者たちと同じ問い、「アナ・メンディエタはどこにいるの?」である。展覧会会場のどこを探してもアナ・メンディエタの存在を指し示すものはまったくなく、幾何学的な形態をしたミニマルな彫刻が散在しているのみであった。このようにアンドレの彫刻があたかも「自律的」な作品であるかのように存在している光景は、決して自然なものでも無垢なものでもなく、メンディエタという「外部」を積極的に排除した結果として人工的に生じたものである。アンドレの作品という「内部」をメンディエタの死という「外部」と切り離すことがもはや不可能である現状において、それでもなおメンディエタをアンドレの世界から消し去り漂白しようとする能動的な意志をそこに読み取ることができるだろう。本展の関連イベントの登壇者が男性ばかりであるという事実もまた、一層その印象を強めることにつながっている。
このようにアンドレの作品とアナ・メンディエタの死を同時に見ようとする態度は政治的に思えて釈然としない気持ちになる人ももしかするといるかもしれない。しかし、アンドレの作品にメンディエタの死を重ね合わせて見ることが政治的であるならば、あたかもメンディエタの死など起こらなかったかのようにその経緯を意図的に忘却し、あくまで「自律的」な作品として「純粋」にアンドレの作品を見よう(見せよう)とする行為もまた政治的なのである。ましてやそこにあるのは、自らが政治的であることを隠蔽した、脱政治化された政治性である。DIC川村記念美術館は、このようなかたちでカール・アンドレ展を開催することによって後者の立場を取ることを鮮明にしているわけだが、アンドレの作品を鑑賞したりそれについて思考したりする際、我々もまた、いかなる政治性を選択するのか問われているのである。
*1──アナ・メンディエタの死、そしてその後の裁判の経緯について詳しくは、簡潔にまとまっているARTnewsの記事や、後述のヘレン・モールズワースによるポッドキャスト「Death of an Artist」を参照してほしい。特にモールズワースのポッドキャストは(英語ではあるが)この件に関して必聴である。https://www.pushkin.fm/podcasts/death-of-an-artist
*2──https://www.pushkin.fm/podcasts/death-of-an-artist
*3──挙げるとすれば、
BBC https://www.bbc.com/news/entertainment-arts-68106194
The New York Times https://www.nytimes.com/2024/01/24/arts/carl-andre-dead.html
The Art News Paper https://www.theartnewspaper.com/2024/01/25/carl-andre-minimalist-sculptor-obituary
THE Guardian https://www.theguardian.com/artanddesign/2024/jan/25/carl-andre-obituary
*4──Tokyo Art Beat https://www.tokyoartbeat.com/articles/-/carl-andre-dead-202401
美術手帖 https://bijutsutecho.com/magazine/news/headline/283681
*5──この抗議活動に関しては以下の文献を参照。
Blocker, Jane, Where is Ana Mendieta?: Identity, performativity, and exile, Duke University Press, 1999, p.1.
*6──https://www.pushkin.fm/ podcasts/death-of-an-artist/ episode-4-the-genius-problem
*7──イギリスのガーディアン紙の美術批評家エイドリアン・サールも、アンドレの死後執筆した記事において次のように述べている。
アンドレの三番目の妻であった若いキューバ系アメリカ人のアーティスト、アナ・メンディエタの死を考えることなしに、アンドレのれんがを見下ろしたり、アンドレの金属板の床を踏みしめたり、カットしたトリネコやスギの木材でできたアンドレの構築物を見ることはほとんど不可能となった。1985年9月のある夜、メンディエタは、ロウアー・マンハッタンにあるアンドレの34階のアパートから落ちて死去したのであった。(拙訳)
https://www.theguardian.com/artanddesign/2024/jan/25/carl-andre-artist-legacy
菅原伸也
菅原伸也